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借金により、労働から逃れられなくなる


身近に潜む、労働束縛装置

 以前の記事で、経済的に恵まれない環境に身を置く学生からすれば、この社会は奨学金という名の教育ローン、つまりは借金をしてでも大学に行くことを強要されていると言っても過言ではなく、それにより、ただでさえ少ない一般的な若者の可処分所得が減少し、結果として少子化へとつながっている構造上の欠陥を指摘した。

 裏を返せば、借金をすることにより、将来的にそれを返済するためには、安定したサラリーが得られる職に就く以外の選択肢が除外されることを意味する。

 自営業、起業、投資家のような、自分の腕一本で食っていく生業の場合、収入が不安定、下手をすればゼロやマイナスの可能性もあるわけで、よほど金融リテラシーが高くて、固定費を引き締められる仙人生活でも営まない限り、何かの拍子に返済が滞るリスクが高まる。

 それにより、例え時間の切り売りであり、フルタイムで手取り20万円に満たないような薄給で、労働力を安売りしている環境であっても、借金の返済という名の毎月発生するキャッシュアウトに備えるためには、雇われの身で労働し続ける他ない。

 これは別に貸与型奨学金に限った話ではなく、住宅ローンやリボ払いにも同じことが言える。

 特に住宅ローンの場合、夢のマイホーム的な謎のプロパガンダによって新築信仰が根強く、国土交通省の「住宅市場動向調査(2021年度)」によると、新築一戸建て住宅の費用相場は、土地付きで5,122万円となっている。

 住宅金融支援機構の「フラット35利用者調査(2022年度)」を見ても、5,000万円程度の相場感となっていることからも、あまり深く考えず、普通に営業マンに勧められるがまま、新築の住宅を購入すると、それ位の借金を20〜30代で負うことになる。

 生涯賃金が2億円そこらとなっていることを踏まえると、実に25%を住宅購入に費やす形となり、仮に40年働くとしたら、実質10年間は住む家のために働いている計算となる。

 そして何より新築の場合、建物代に新築プレミアムが2〜3割程度上乗せされている訳で、仮に建物3,500万円、土地1,500万円相当の物件だとすると、新築の鍵を開けた瞬間に700万円〜1,050万円の価値が失われる訳で、開封の儀を執り行うコストとしては、人生史上最も高額となるだろう。

 このような、借金という名の労働束縛装置は、あの手この手で身近に潜んでおり、世間一般の常識に囚われていると、気付かぬ間に労働から逃れられなくなっている可能性がある。

借金で時間を買える側面はあるものの…

 私は中学生の段階で、今と違い言語化こそできなかったものの、借金を負うことで、身動きが取れなくなる大枠は理解していたため、奨学金という名の教育ローンを組んでまで大学へ進学するという選択肢は端から除外された。

 子どもならではの素朴な疑問で、なぜ借金はダメなのに、住宅ローンは良いとされているのか、この矛盾を大人に突きつけて、納得のいく答えが得られなかった原体験が、今の無借金経営的な人生設計に至ったのかも知れない。

 無論、借金で資産にレバレッジを効かせることで、時間をお金(金利)で買う時短効果があることは、シ○シティを始めとする経営シミュレーションゲームで擬似体験していたため、リスク管理が出来れば、借金が必ずしも悪とならないロジックは心得ている。

 パンピーが独力で貯蓄して、新築物件をキャッシュで買えるようになる頃には、ローンの完済時期から逆算すると、恐らく還暦辺りが相場な訳で、そんな時期に新築物件を購入したところで、建物の耐用年数を迎えるのが先か、寿命を迎えるのが先かのチキンレースとなるのが目に見えている。

 だからこそ、ある程度の金利を支払ってでも、現役時代に良い住宅を買って住んだ方が、その価値を引き出せる考え方は理解している。

 とはいえ、住宅に関しては賃貸物件でも新築や築浅が選べる環境下で、わざわざ35年先まで分割払いする契約をしてまで、今後家族構成が変化する可能性のある、20〜30代のうちに終の住処を購入する合理性が見出せないのが正直なところである。

リスクを負うべきは金銭か、人的資本か

 代案のある住宅と違い、貸与型奨学金こと教育ローンは難しい。新卒一括採用、年功序列、終身雇用ありきのキャリアシステムの根深さ(これに関しては、冒頭で紹介した過去記事に詳しく記している。)によって、借金で時間を買ってでも、20代前半に大卒とならなければ、大した意味をなさない社会構造となっているからだ。

 そうして親の金では大学に通えない若者は、借金漬けの大卒で社会に出るか、無借金だが高卒(非大卒)で社会に出るかという、究極の二択を迫られる。

 多くは前者を選び、自分一人が生きていくのに精一杯で、資産形成も儘ならず、入院などしてサラリーが得られなくなれば、経済的に詰む環境で疲弊している。都市部ほど、この傾向が強い。

 一方、後者を選ぶと必然的に一人一社制の高卒採用となるため、民間企業は学校に送られてきた求人の中でしか選べない制約があり、募集する職種の多くは、ブルーカラーの現業職となり、身体が資本となるうえ、大して稼げないか、稼げたとしても賃金以上のリスクを負っていることが多い。

 自動車メーカーのライン工をイメージすると分かりやすいが、基本的に誰がやっても同程度の成果となるような単純作業が多く、作業をこなすことで他社で使えるようなポータブルスキルが身に付く性質はない。それでいて自身の裁量によって成果が挙げられる余地も殆ど残されていない。

 これは、年齢を重ねれば重ねるほど、採用基準が学歴(ポテンシャル)よりも職務経歴の比重が大きくなるため、ホワイトカラーへの転向に難航することを意味する。

 しかし、人は必ず老化する上、現業職は身体に負担が掛かることから、現場を10年、20年と続けると、身体を壊すなど、現業で勤め続けることが厳しくなる時が来る。しかし、それに気付いた時に頭脳労働に転向しようと思っても時すでに遅し。

 借金漬けの大卒で社会に出る場合、金銭的リスクを負うのに対して、無借金だが高卒(非大卒)で社会に出る場合、人的資本でリスクを負うことになる。

 私は後者で身体を壊し、無事(社会的に)死亡したため、借金をしてまで大学に行くか悩んでいる学生は、非大卒の隠れたリスクを考慮した上で、どちらを選ぶべきか、よくよく考えていただきたい。



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