「頑張れ」への解釈
「頑張れ」という言葉が、いつの頃からかちょっと悪者になった気がします。
うつ病の認知度の高まりとか、震災の影響とかでしょうか。
「頑張れ頑張れって言わないで。これ以上どう頑張ったらいいの」と。
私も、どちらかと言うと「頑張れ」が少し苦手なタイプです。
わりと、日常的に外では頑張り屋な方なので😓(自分で言う笑)
そんな「頑張れ」に、私が一番腑に落ちたひとつの解釈を、今日はご紹介します。
頑張れないときもある。でも頑張りどきだってある。
私には大好きなエッセイがあります。
それがこちら。女優の酒井若菜さんの『心がおぼつかない夜に』。
胸が苦しくてザワザワが止まらなかった頃、訳もなく「ごめんなさい」が頭の中をグルグルしていた頃、どうやったら楽になれるかばかり考えていた頃。
何度も何度も読み返して、救われたエッセイです。
このエッセイには、優しい言葉の数々が綴られています。
元々頑張っていることを誇りに思っていた人の中の、更にわずかな例だとは思うけれど、「明日だけは頑張ってみよ」と心に決めた日、迂闊な「頑張らなくていいよ」を貰っちゃったら、「あれ、私はまだ、ダメなのかな」って不安を抱きだしてきて、~中略~
だから、徹底的に「頑張って」を言わないのではなくて、本人が「頑張る」と決めたある日だけは、「よし、明日だけ頑張ってこい」と言うのも、悪い方法ではないような気がします。
出典:『心がおぼつかない夜に』酒井若菜/青志社/2015
ここぞというときの「頑張れ」は背中を押す
「頑張れ」が辛いとき、それはきっと、「本当は頑張りたいのに頑張れないことが辛い」ときなんじゃないかと思うのです。
この2ヶ月ぐらい、私は頑張りどきでした。
色んなことが重なって、心身ともに疲れちゃったりして。
でも、今は大変だけど頑張るときだって自分に言い聞かせていました。
頑張り疲れてひと休みすることも、限界になる前に逃げることも、絶対必要だと思うのです。
けれど、そこから少し浮上するために、「今日はちょっとだけ一歩踏み出すぞ」って日もある。
そんな日は「頑張れ私!いけるぞ!大丈夫!」って、少し虚勢を張って、鼓舞したりするのです。
そうやって強がれるうちは、もう少し頑張ってみたい気がするのです。
そしてそんな日は、きっと誰かからもらう「頑張れ」が心強く感じたりもするんじゃないかなって思うのです。
たぶん、「頑張れ」が辛いのは、今まさにもがいている証拠。もっと頑張ろうとしている証拠。
そんな自分に気づけたら、いつか「頑張れ」に背中を押される日もきっと来る。
それが私の、「頑張れ」への解釈。