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panda_52:きょういく

 教師という仕事をして10年近くになるが、「自分のような未熟者が他者を教育するなんておこがましい…」という思いが未だに強くある。

 教育学を専攻していた大学時代は、「よい教育とは?」「理想の教育とは?」「生徒との接し方は?」「社会科教育のあり方とは?」などとガツガツ考えてきたように思う。思い返せば、友人と語り合ったり、勉強会を開いたりとなかなか意識の高い教員志望者だったのかもしれない。

 いわゆる若手教員と呼んでもらえる時代には、大学時代のような「理論」からは離れてしまったが、生身の生徒たちや保護者の方々、同僚と接するなかで「自分がなすべき教育」「自分が理想とする教育」について考えていたような気がする。現実と理想のギャップに悶々としながら、心ある同僚や友人たちとたくさん議論をしていたのが懐かしい。

 そして今。

 それなりに学問に向き合って、それなりに経験も重ねてきた今。

 教育という試みがなんだかよくわからなくなっている。

 そんなときに、「きょういく」は、「今日、行くところがある」という意味だよ、という指摘を思い出した。

 現役引退後の高齢者に向けて、毎日を元気で過ごすための秘訣として「きょういく(教育)」と「きょうよう(教養)」が大事だよと語られる文脈の中で出てきたものである。

 「きょういく」=「今日、行くところがある」
 「きょうよう」=「今日、用がある」

 上手い言い回しを考えたものだなあ、と感じたが、何も高齢者に限ったものではなくて、私のような現役ど真ん中世代や生徒たちにも当てはまるのではないかと思った。

 特に、教育困難校では、生徒たちが心身ともに健康なコンディションで学校に来てくれることが第一である。



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