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3分間スピーチ

あれは確か小学校5〜6年生の時だったと思う。
グリコ森永事件のあった年だったから。
自分の記憶がある限りの中では、生まれて初めて大勢の人前でスピーチをした時だった様に思う。
なにも私1人だけがする訳ではなくて、1人ずつ順番に黒板前に立ちクラスメイトの前で3分間スピーチをするというのが、私のいたクラスでの朝の会の日課だった。
皆んなの前で喋る事を喜んで楽しんでいたクラスメイトもいた様だけれど、人前に出てスピーチをする事なんてした事がなかったから、ほとんどのクラスメイトは緊張をしていた。
学年が上がってクラス替えをしたばかりだと、知らない子もクラスにいる為、さらに緊張の度合いも増していたのだった。
クラス替えをしたばかりの席順は名前の順だったので
いつも「あ行」の人はトップバッターを務めなければならないのは、何処か子供ながらに気の毒に思ったりもした。
名前の順だと私はいつも中間地点になる。
だからといって、いいとは言えず、
なにせ私ときたら、緊張のあまり授業中に指される事も嫌だったから、ほとんど手をあげる事もなければ、自分が書いた作文をクラスメイトの前で読まされる事さえ苦痛だったのに、さら人前に出てスピーチをしなくてはならないなんて苦行でしかなかった。

しかしながら時は無情にも順番が回って来る。
他の子のスピーチを聞いていても、皆んな上手だなぁ
何であんなに上手く喋れるんだろう…
しかも何処か楽しそうにしてる様にさえ見えて来る。

3分間スピーチをしなければならないと言っても先生が厳密に3分間を計っているという訳ではなくて、大体3分間以内で終ればいい位のゆるい縛りだった。
先生だって分かっていたんだと思う。
いきなり厳密に3分間スピーチしろと言っても、
そう容易い事ではない事くらい…
勿論、厳密に3分間計られたスピーチをさせられた事もあるから言えるのだけれど、最初のうちは1分間しか話していないのに5分も喋った様な感覚になるくらい
私には話し続けられなかった程だった。

自分が朝の会で3分間スピーチをしなければならない前日の夜は何を話したらいいのか分からず
途方にくれていた。
でも朝は来る。
学校に行かなくてはならない。
お腹が痛くなったり熱が出たりさえすれば学校が休めるのに、「どうしてこんな時に限って、なんで元気なんだろう。」と思いながら登校をしていたような気がする。
緊張し過ぎたあまり、何を題材に3分間スピーチをしたのか、まるで覚えていない。
そんな中でも、まだ喋り足りないと言うくらい人前で喋れるクラスメイトもいた事に複雑な気分を覚えたりもした。

そんなこんなをしているうちに
毎朝、学校での朝の会での3分間スピーチも3週目…
4週目…5週目…と、回を重ねる毎に個人差はあれど
場慣れをしてきて、無駄にウケを狙う様な話しになってしまったりと、日を追う毎にスピーチの内容が稚拙なになってしまっていった様で…
(自分達では全く何がいけないのか分からず…)
最初は笑って聞いていた担任の先生から「スピーチとは言えない事になって来た!」と叱られてしまう様になってしまったのだった。
それから担任の先生は、スピーチする内容はニュースを見て、その中から気になったニュースの内容について自分がどう思ったのかを朝の会での3分間スピーチとしなさい。
という事になってしまったから、さぁ大変。
新たな緊張間が走る事になってしまった。

何せ、まだ小学校5〜6年生だったから、ほとんどのクラスメイトはニュースなんて全く興味がなく、難しい内容の事も多く、さっぱり分からない事だったり、事件や事故と言った内容の事も多くて自分にとって何が気になるニュースなのかさえも分からない中から題材を見つけなければならなかった。
でも、やっぱり上手い子は上手いから不思議だった。 

先生か内容を改変後
朝の会での3分間スピーチの順番が私に回ってくる時にTVニュースの話題で持ちきりになっていたのが、 
丁度、グリコ森永事件だったのだった。
自分がスピーチをしなければならない事と、グリコ森永事件によって、スーパーの陳列棚に並んでいた従来の形式のパッケージの商品は回収され、グリコさんと森永さんのお菓子等の商品のパッケージが一目で開封されてるか、されていないか分かる機能性を持たせた新たな商品へと、あっと言う間に変わって行った。
他のお菓子メーカーさんも一斉に新たな機能性を持たせたパッケージに変った様な気もする。
犯人が捕まっていない以上、別のメーカーさんが狙われてしまわない様に。
そんな事も相まって、本来ならお菓子を食べた時に、箱の開け方が変わったと気付く様な位の事が、子供ながらに、とても私の記憶に残るもへとなったのでした。

今になって思えば、
場数を踏む事によって上達する場合と、ダレる場合がある事を、担任の先生はよく見極めてくれていたんだなぁと今更ながらに、あの時の先生の凄さを改めて実感させられている自分がいるのですから。
感謝しかありません。

先生、ありがとう。

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