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【音楽史】伝説の興行師ディアギレフとは何者か?~写真と動画でみる

音声配信の方で性加害の話をしていますが、クラシックにおいても数多の類例があります。どれを話すべきか悩んでいたら、1910~1920年代にクラシックの傑作を次々と世に送り出した伝説的な興行師、セルゲイ・ディアギレフのことが頭にふと思い浮かびました。

興行師の名前が教科書に出てくることはまずありません。オペラ史においてベルカントオペラの興行師やパリ・オペラ座の支配人の話が出てくることはあります。それでもマニア向けの脚注レベルです。

しかし、ディアギレフは違います。どの教科書でも言及され、必ず覚えるべき名前とされます。それはどうしてでしょうか。この記事で整理していきましょう。

20世紀初頭の芸術家たちの姿や動向が浮かび上がり、関連する音楽の理解が段違いに深まるはずです。大事な人物名・用語は太字にし、理解を助けるために画像やYouTubeリンクも数多く付けました。

1:伝説の興行師への道のり

まず、ディアギレフの前半生からスタートします。

1-1:超エリート・芸術好き・同性愛者・・・

セルゲイ・ディアギレフ(1872~1929)は、当時はロマノフ王朝だったロシア帝国でウォッカの蒸留業を営む裕福な家に生まれました。

母親は貴族出身で、生まれてすぐに亡くなり父は再婚。しかし義母には実子のように育てられます。世代的にはラフマニノフスクリャービンラヴェルらと同世代です。

ディアギレフ

幼いころに自分が同性しか愛せないことに気づいたそうですが、こともあろうに自分の従兄弟と15年にわたり関係を結びます。最初から型破りな人です。

ディアギレフは、偏見が激しく投獄もされかねなかった当時において、自分の性癖を公にして活動した非常に珍しい人物のひとりです。同じロシア人のチャイコフスキーなど隠すことに精一杯でした。

両親ともに芸術が好きで、毎週のように自邸で音楽イベントを開いていたらしく、そのサロンに頻繁に出入りしていたのが「展覧会の絵」を作曲したムソルグスキーでした(リンクは、ディアギレフの愛人だった名指揮者マルケヴィッチがNHK交響楽団を指揮した映像)。

すなわち、幼少期から音楽にたいへん親しんでいたということです。15歳で最初の作曲もしたとの記録もあり、音楽家を目指していたことが分かります。

最初の同性愛の相手、いとこのドミトリー・フィロソーフォフ(後述のバクストによる肖像画)

しかし貴族の子弟ということで、首都にある名門サンクトペテルブルク帝国大学(東大みたいなもの)の法科に入学。ただし本人に法律を勉強する気はほとんどなく、音楽や絵画に熱中し、6年かかって卒業しました。

この大学時代、生涯にわたり付き合うことになる友人たちと出会います。芸術サークルを作り、卒業後は「芸術世界ミール・イスクーストヴァ)」というロシア美術史で有名になる雑誌を、みずから編集長となり刊行しました。日本の浮世絵も紹介したそうです。

そんなサークル仲間を数人だけご紹介します。

レオン・バクスト(1866~1924):画家・デザイナー。後にディアギレフの興行に参加して舞台芸術を担当することになる。本稿でも彼の絵を多く引用した。

バクスト。彼の作品は意外なところで日本人にも影響している(後述)

アレクサンドル・ブノア(1870~1960):芸術家・デザイナー・批評家。雑誌「芸術世界」ではディアギレフと中心的役割をになった。やはり後に興行に参加する盟友。

バクストが描いたブノアの肖像

ヴァルター・ヌーヴェル(1871~1949):著述家。ストラヴィンスキーの『自伝』は彼がゴーストライターとして書いたもの。ディアギレフの伝記も執筆。

ヌーヴェル。ディアギレフについての基本情報を提供

ポイントは、彼らは後にディアギレフの興行に舞台や衣装のデザイナーとして参加し、ともに歴史を創ったことです。

また、冒頭に申し上げた、本稿を書くきかっけになった性的な観点でふれると、ほとんどが裕福な家庭出身の同性愛者のサークルだったことにも特徴があります。ディアギレフのお相手もいました。

ディアギレフは生涯にたくさんの愛人を持ち、良くも悪くも「育てた」ことで有名です。見どころのある若者を(同意の上で)愛人にし、金銭援助だけでなく自分の経験やセンスを伝えて立派に育てるという関係も歴史上よくありました。女性の愛人になって勉強した大哲学者ルソーなどが有名です。

話はそれますが、ゲイの方は総じて鋭い感性や独特の美意識があります。ディアギレフのサークルもそうでした。

たとえば、一員だった画家コンスタンティン・ソモフ(1860~1939)が描いた愛人の肖像などを見ると、その一端が垣間見えます。

ソモフが晩年(60代)に描いた20代のロシア人の愛人の肖像。

ソモフは、人形と遊んだり、人形に着せる服を作るのが好きだったそう。歌舞伎で女形(おやま)の最高峰と称えられた人間国宝・六代目中村歌右衛門を思い出させる逸話です。彼も人形を好み、男性と駆け落ちしたことさえありました(リンクは六代目による京鹿子娘道成寺)。

ちなみに、ソモフはこのようにラフマニノフの肖像画も描いています(二人におそらく関係は無かったはずですが・・)。

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