令和の松下村塾をつくる
「 アントレプレナーシップ × コーチング × ワークショップ」→のかけ合わせた教育は、松下村塾で実践されてきたものであり、明治維新を起こした人材育成の原点である。原点に×α(STEAM)により最上位目標「令和の松下村塾」の達成となる。
この最上位目標を達成すべく必要なマインドとして「全員が学習者」であり「一生が実践の場」となる必要がある。
その結果、令和に維新を起こすための基盤となる人材が日本をもう一度セカイのトップにしていく。
はじめに
こんにちは!
私学中高校教員のれんれんです。
大学卒業後 → バックパッカー(35か国)・ワーキングホリデー(inトロント)→ 地元茨城県で公立高校教師(1年で退職) → 横浜の私立女子校 → 青山学院大学院WSD35期卒 → 会社員 → 東京都港区私立中高一貫の教員
現在に至る…
その中で、IT・組織論・コーチング・ワークショップ・総合的な探求の学び・アクティブラーニング・マーケティング・ビジネスという観点から31年完の研究し続けた結果と今の挑戦を綴っていきます。
Why~なぜ松下村塾?~
初めに、私が『令和の松下村塾をつくる』を綴るに至った経緯を記していく。
まず『松下村塾をつくる』として、ナゼ松下村塾なのか?について記していく。
それは今でいう、アクティブラーニングや対話型授業、ファシリテーション、コーチング、アントレプレナーシップ、総合的な探求の時間などなど…新しいコトバで新しい手法のように見えるものが、安政4年(1857年)には吉田松陰により実践されていた。その結果、塾生から多く日本を維新へと導く人材が輩出されたのである。
今から167年も前に実施されていた教育手法により明治維新を起こす人材を輩出できた因果は、間違いなく吉田松陰の松下村塾にある。
戦後1955〜73年の高度経済成長を経て1990代のバブル崩壊後、日本は「失われた30年」と呼ばれる停滞期に入った。平成元年には日本企業が世界の企業の時価総額上位20社中13社に数えられていたが、現在は上位20社に日本企業は1社もない。
人口は減少し続け、生産性は上がらず賃金の上昇も見込めない。
日本はある分野において極めて高度な技術を持っているはずだが、ビジネスという視点で見ると世界に出られない。その間にユニコーン・スタートアップ企業は世界中に生まれ、世界中を豊かにし、日本のビジネスを置いてけぼりにした…
この背景には政治そして経済が深く関係しているはずだが、本章ではこの辺にしておく…。
つまり言いたいことは「このままじゃ日本ヤバくね」である。
ゆえに、日本をもう一度世界のトップにしていくためには、学校教育(中学~高校)にて、人材育成の原点回帰を行い、令和維新を起こせるような、強く新しい人材を輩出せねばならない。
Why~なぜ私が~
なぜ、私(れんれん)が令和の時代に松下村塾をつくり「教育原点回帰で令和維新」を目指すのか…?
大きなポイントは3つある
1つ目は、17年前に受けた中学校の国語の授業
2つ目に、世界から見た日本の現状
3つ目は、大人になってからのかっこいい大人との出会い
1.大洗町立南中学校での国語の授業
17年前(2007年ごろ)に受けた、今でいうところの「アクティブラーニング」「主体的・対話的で深い学び」であった、国語の授業が私の人生では大きな影響を与えている。
簡単にどんな授業か…だけ記すと
⓪本を読み →①問いをたてる →②問いの答えをまとめる →③クラス内にある問いとの議論=討論会 →④自らのブラッシュアップ…の繰り返しである。
簡単に記してしまっているため、これについては別章で詳しく書きたいと思うが、この授業がとにかく楽しかった!!!
本を読むような中学生じゃなかったのに、現代文や古文が無性に好きになった。今でも小説を読むルーツはココにある。
高校生になって知ったのだが、一般的に行われている国語の授業というのは、解説を聞きながら、板書を写し、穴埋め問題を解いて、漢字を練習して…のような、対話なんてほとんどない(発生しない)授業が主流みたいだということだ。
ワクワクし、文章の要点をおさえながら、他者と対話し、筆者の伝えたいことを導き出すことよりも、国語のテスト問題を解くための手法を教わる授業が世間の当たり前であり、みんなが重きを置いていることに大きなショックを受けた。
「本はそんなことのためにあるわけじゃない…」「テストのための勉強って楽しいのか…」「スコアを取れば将来役に立つのか?」と葛藤を抱えながら学生生活を過ごしていた。
(これでは本を読むことの意義は感じられなく↓↓↓グラフのような結果が出てしまうのではないか…)
本を読むことは、知識を習得することが大目的ではない。
本により取得した知識をもとに、自らの思考をブラッシュアップし、異なる意見や思考と対立する中で話し合う(=対話)によって得られる「判断力・思考力・表現力・学びに向かう力、人間性」等の育成となるのではないか。
松下村塾はそんなコミュニティがあった。教育の場があった。
2.世界から見た我が国、日本
国力・経済力が衰退していることは上記のグラフからでも社会からも分かることだろう。ここでは、その原因ともいえる日本人マインドを世界と比較してみてみる。
上記は、2024年のデータであるが日本人が抱いている国や社会への将来的期待値は低い。しかし、そこを何とかしようと考えるような「国や社会を変えられると思う」と答えた割合は世界で最低水準である。
かといって、従業員として組織に属して高いエンゲージメントのもと何かを生み出しているか…というわけでもない。
このような結果を見ても、国力・経済の衰退と日本人の社会への当事者意識には因果関係があるのではないかと考える。
「テストでよい点が取れる」「ランクが少しでも上の大学に入る」ことを勉強の目的にしてしまっては、自らが主体となって国や社会や会社を発展させられるような人材は生まれてこない。
自らの価値観や想い、社会への問題意識など誰もが抱えているものを何とかしようと行動し、学び、対話することが今求めれられるのではないか…
松下村塾にはそんな志があった。教育の場があった。
3.大人になってからのかっこいい大人との出会い
コーチ・起業家/事業家・ワークショップデザイナーの方々との出会いは大きく私を成長させてくれた。私が感じる、これらの人々に共通するのは、各々に「エゴ」があり、自分の「エゴ」を理解し、他者の「エゴ」を認め合っていることにある。
起業家・事業家には「社会の〇〇が変だ」「〇〇(価値観)を社会で当たり前にしたい」「こんなセカイになったら最高だ!」という思いのもと、自らの挑戦と行動で変えようとしている。
コーチは、上記のような想い(エゴ)を大切にして心と思考の奥底にあるものを言語化し自己理解を深めるための伴走をする。
ワークショップデザイナーは、様々なジャンルやコミュニティの中で、「自分を知る(エゴ)」ことや挑戦・行動のきっかけになるような対話の場を生み出す。
コーチ・起業家/事業家・ワークショップデザイナーの理解と教育へのかかわりが重要だという点は別章にて後述するが、これらの方々との出会いは私が「教育」という課題に向き合うきっかけでもある。
コーチングやワークショップ(≒ファシリテーター)など、今でこそかっこいい名前がついている手法であるが、松下村塾にはそんな手法があった。学び合いの場があった。
れんれんのnoteは…
ここで記した想いのもと、「教育原点回帰で令和維新」を実現するために挑戦・行動することを自らの思考と実践をもとにアウトプットしていきたい。