
ドイツ人のイケてるおじいさんから学んだ、「幸せ」になれるシンプルな方法
24歳の夏、ぼくは旅先のドイツで、あるおじいさんからこう言われた。
「大切なのは『おれは幸せだ』と言えるかどうかなんだよ」
このおじいさんの名前は、シュワイツタイガーさん(以降シュワさん)。
ヘッセン州の小さな古都「カッセル」のタクシー運転手だ。70 歳ちかくの風貌で、額と目尻に太い皺が刻まれている。眼光は鋭いが、優しい喋り方のイケてる男性だった。赤い古びれたキャップと、茶色いフレッドペリーのポロシャツが彼の仕事着だそうだ。
ぼくがドイツに来た理由は、5年に一度開かれる、世界最大規模の現代アートの祭典「ドクメンタ」を観るためだっだ。それで、会社の夏休みを利用して、メインの展示会場が並ぶカッセルに行った。
と、周りには豪語したものの、そこまでアートに詳しいわけではなく、ろくに計画も立てずに飛行機のチケットだけを買った適当な一人旅だった。今思えば、多忙な日常から「逃げたい」だけだったのかもしれない。
ぼくはカッセル駅に着くと、タクシーを拾うために、大通りで手を挙げた。数分後、目の前に止まったのは、肌色のベンツだった。
これがシュワさんとの、運命的な出会いの始まりだ。
「I know where you wanna go.(おめぇの行きたいところは知ってるぜ)」
助手席のドアを開けるなり、話しかけてきたシュワさん。今日だけでドクメンタの人気の展示会場まで何往復もしているそうだ。例に漏れず、ぼくもその場所まで乗せて欲しいと頼んだ。
「日本人?珍しいな。アジア人がここに来ることは、あまりないぜ?」おしゃべり好きなシュワさんは、分かりやすい英語で話しかけてくれた。
「第二次世界大戦では同盟を組んだ中だな。おれはあれから復興して、返り咲いたドイツを誇りに思っている。兄ちゃんは日本のこと、愛しているかい?」
いきなりストレートに戦争やら、愛国心の有リ無シの話を吹きかけられて、躊躇したぼくは、「まぁ、そこそこ好きだと思うよ。はっきり好きとは言いにくいけど」と答えを濁した。これだけインターネットが普及した現代で、国という概念がフワフワしてきたなぁと感じていたし、そもそも日本の歴史や文化について、自分で考えたことがなかった。(*後に自分で自国の文化や歴史を学ぶようになり、今では、花を生けるのが好きになった)
ドイツの日曜日は、どこのお店も閉まっていて、何も買えなくて少し困った。このことをシュワさんに話すと、
「日曜日まで働く必要は無い。日曜日は教会に行ったり、家族でゆっくり過ごす。バカンスも絶対1ヶ月は取る。働くだけが人生じゃないからな。日本やアメリカは長時間働くのが好きってのを聞いたことがある。凄いと思うが、無理しすぎも良く無いぜ」と顔は前を向いたまま、笑って返してくれた。
幸せそうで羨ましい。こんなおじいさんになりたい。
「唐突だけど、『幸せ』って、何かな?」ぼくはシュワさんに聞いた。
誰もが思春期に一度は疑問に思う「幸せとは、何か?」をシュワさんなら答えてくれる気がしたからだ。こんな質問、日本だったらタクシーの運ちゃんに聞くことは、まず無いだろう。海外一人旅の成せる技だ。
「兄ちゃん、幸せじゃないのかい?」シュワさんはチラリとおれの目を見た。
「今は、幸せとは思えないんだ。日々仕事に追われて、夜遅くに帰宅して、翌朝、早くに家を出る。それでまた、辛い仕事の繰り返し。何が幸せかは、分からないけど、幸せになりたい。」つい本音が漏れた。
日本では誰にも言ったことがないような、心の声だった。
「……兄ちゃんよ、幸せになりたいっておめぇ、先進国の日本人なのに、『幸せ』とは何か、分からないのかい?」シュワさんは優しく聞いてきた。
「分からない。やっぱり、お金を稼ぐしかないのかな……」
当時のぼくは、相当参っていた。今の仕事が向いていないと思いつつ、「『向いていない』は弱音だ」と自分に言い聞かせていた。
「幸せになるために必要なのは、お金じゃねぇよ。もちろん最低限は必要だけど、お金や地位は、求めれば求めるほど、遠くなるもんだ」
「じゃあ、シュワさんが考える幸せってなに?」
「幸せとは、『目指すもの』じゃねぇ、『感じるもの』だ」
「感じるもの?(シュワさん、禅僧みたいなこと言うなぁ)」
「そうだ。おれは毎日幸せだ。綺麗な景色を見ながら好きな運転ができるし、朝晩、愛する妻と一緒に食事ができる。休日は仲間とライン川を眺めながら、ベンチで、サラミをつまんで、ビールを飲む。どうだ、最高に幸せだろ?」シュワさんは前を見ながらニヤッと笑った。
「羨ましいなぁ。幸せってのは、その人がどう工夫できるかってことか。ぼくも日本に帰ったら、友達と川を眺めながら、ベンチで一杯やるよ」内心はモヤモヤしていたが、理解したフリをした。
「違う。それは理解していない。川沿いで仲間とビールを飲むのが幸せってことじゃない」シュワさんは、眉間に皺を寄せて、悔しそうに首を横に振った。ぼくは、軽率な返答を恥じた。
「大切なのは『おれは幸せだ』と言えるかどうかなんだよ」
「ど、どういうこと?(シュワさん、本当に禅僧なんじゃないか?)」ぼくの頭は混乱した。
「要するに、常に自分は『幸せだ』と、心から言える人になれば良いってことさ。それができれば、『幸せ』はそこら中に転がっていることに気づける」シュワさんは、またこちらをチラッと見て、笑った。
シュワさん曰く、幸せとは、欲しいものを手に入れることではなく、自分の日常生活に、幸福を感じられる心の状態そのものが『幸せ』なのだ。
「人と比べると、終わりの見えないブラックホールにはまっちまうぜ。兄ちゃんの幸せは、兄ちゃんの心の中にあるんだ。リラックスして、掘り返してみな」タクシーはスピードを緩めた。
「着いたぜ」シュワさんは目的地の会場の前にタクシーを寄せて、ニコッと笑った。
「ありがとう。カッセルでシュワさんに会えて、本当に良かった」ぼくは、タクシー代を払うため、€20を手渡した。シュワさんはクシャりと目尻を曲げた。
「今日も、おれは幸せだ。兄ちゃんに会えたからな!」シュワさんはそう言って、お釣りを渡してくれた。
「良い1日を!」
肌色のベンツは、カッセルの町に消えて行った。
数ヶ月後……
日曜日の昼下がり。
ぼくは、原宿の代々木公園で友達とピクニックをしている。
シュワさんに会う前は、こうして友達と過ごす時も、どこか漠然な不安があり、本心では楽しめなかった。
でも、今はこの状況を、心から「幸せ」だと思えるようになった。
幸せは、最初からここに、転がっていたんだ。