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note躍進の理由は「一見して非合理」(ストーリーとしての競争戦略)

こちらの記事を拝見して、note躍進の理由についてちょっと考えてみたのです。そこで!と思い起こしたのが、最近読んだ木村さんの記事でした。

私が持っているのは 2011年4月29日 第16刷 でした(第1刷は 2010年5月6日)。私も10年近く前に読みました。今回、木村さんの記事をきっかけにあらためて本を開いてみて、最も強く記憶に残っていた箇所を読み返しました。

それが「一見して非合理」でした。

”第5章 「キラーパス」を組み込む”から:

「それだけでは一見して非合理だけれども、ストーリー全体の文脈に位置づけると強力な合理性を持っている」
「まねできなかった」のではなく、そもそも「まねしようと思わなかった」というのがポイントです。

多くのブログサービスを無料で利用しているとよく見かける表示。

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ブログやSNSだけでなく、ほとんどのWebサイトは「広告」が絡んでいます。最近であれば似たような考えを持ったサービスも出てきているかもしれませんが、noteがローンチした頃を考えると、間違いなく「一見して非合理」だったと想像します。

しかし、この「広告」依存、またアフィリエイトなんか、がインターネットを何だか変な感じにしていることも事実でしょう。

「広告」依存がPV至上主義になり、極端な表現、誇張、どぎつい批評に駆り立て、それが拡散されることで、さらに拍車が掛かる。粗探し、揚げ足取りがバンバン増える。これをベースにつくられるものも「創作」と呼ぶものかもしれない。けれど、それってどうなのよ、という想いをnoteから感じます。

アフィリエイトも似た面があると思います。自分が使ってもいない、読んだこともないけれど、紹介して成果発生すれば収入発生するから、ブログに書きます、って。忖度みたいなものもあるでしょう、ちょっと違和感あるけどそれはブログに書かない(書けない)みたいな。

そういうのが排されているのがnoteだと思います。もちろん、noteでも上記のような極端な表現等でPVを稼ぐことは可能でしょうけれど、それはお金にはつながらないし、また、評判、評価を高めることにはならないと思われます。

つまり、クリエイターが自分自身をしっかり持って創作を行うこと。そこに、この「一見して非合理」がすごく効いていると私は思います。

また、PVへの欲、忖度無しにつくりだした創作に自分で値段を付けて販売することができる。決めるのは、向こう側ではなく、自分。

私もブログを長く運営してきましたので、広告料を受け取ったり、アフィリエイト報酬を得たりしてきました。が、noteで有料記事を買ってくださることの方が何百倍も嬉しい。そういう積み重ねがあると、広告料やアフィリエイトへの関心はドンドンと小さくなっていきます。同時に、ブログに配信されてくる広告も「うーん」と思わされるものも多く、これは載せたくない!という広告はブロックするわけですが、キリがない。ブログがオワコンだとは思いませんが、バナー広告って近くダメになるんじゃないか、って最近、強く思います。

もう一つ「一見して非合理」だな、と感じる点があります。

ジョブ理論で考察された、人事のなべはるさんのコメントです。

note の競合は Twitter や Facebook などの SNS、またはジョブを解決する適切な手段がない故の「何もしない」勢なのだと思います。

SNSとの競合というのは分かるのですが、noteの中にはコンテンツを見て反射的に拡散する仕掛けが無いということです。「スキ」を押したり、コメントすることはできますが、拡散はtwitter等、外部サービスを通じてが主になっています。note内部での拡散増幅は無い。そうした拡散増幅でPVに下駄を履かせないってことなのかもしれません。サービスの規模を大きく見せるのではなく、ありのままになるだけ近い姿を、ということ? これも「一見して非合理」だと思いますが、数字が積み上がっていくことで、サービスの強さ、スゴさを認知させるのに力強いエビデンスになっていくように感じます。

この「一見して非合理」をきっかけに他にも色々考えたことがあるので、それは有料記事とさせて頂きます。

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