対処 | 憂鬱と一生向き合っていく生活
物心がついた時から、どこか憂鬱に陥りやすい性質があった。
それはふとした会話の最中だったり、天候に左右されたり、悲しいニュースを見たときなど。タイミングは本当にバラバラだった。
憂鬱は、数日に一回起きることもあれば、一年に一度だけど数か月続くようなこともあった。理由は特にない。誰かに酷いことを言われたり、辛い目にあったりというようなきっかけはない。
もちろん、上記のような「きっかけ」のある憂鬱に直面することもあるし、そういった場合はしっかり落ち込む。だけど「きっかけ」があるということは解決をする手段や思考を持つことができるのでやがてどこかで気持ちに区切りをつけることができた。
問題は、「きっかけ」のない落ち込みだ。
「アラサー」と呼ばれるようになった今は、十代の多感な時期に比べて憂鬱な気持ちをコントロールできるようになり、頻度も昔より落ちてきた。それでもそれは突然やってくる。
そしてまさに最近、わたしは久しぶりに理由のない憂鬱な気持ちに直面していた。
台風が直撃したせいなのか、季節の変わり目だからなのかはわからないが、漠然とした不安と恐怖で頭が埋め尽くされて非常に疲れやすい。仕事中も不安で人と接するのが億劫。ベッドに入ったまま誰とも話さず暗い部屋で過ごしていたい。かとおもえば、些細なことが気になり殺気立つ。そんな憂鬱で頭がいっぱいになるのは約一年ぶりくらいだった。
こういうときにどういう対処をしていたのか思い出そうとしても、当時は暗い気持ちに支配されていたので記憶がおぼろげだ。だから今回は、次に落ち込んでしまっても大丈夫なように少しだけ対処したことを記録しておこうと思い筆を執った。
憂鬱に陥った日。その日は台風が直撃しており、風が強いこともあってあまり眠れなかった。気圧の変化と寝不足が良くなかったのかもしれないが、翌朝にはしっかりと根暗人間が出来上がっていた。身体は重く、気持ちは沈んでいる。会社に行きたくないし、誰とも話したくない。そんな気持ちで出社し、私は必要なこと以外は極力人と接しないようにしていた。会社の喫煙所は階段の踊り場が指定されていて、そこで日に何度も煙草を吸ってはうずくまった。
ようやく仕事を終えると、家事一切を放り出して化粧だけ落としてベッドに潜り込んだ。
テレビも明かりもつけない。普段はお香やアロマオイルを焚くのが大好きだが、香りで吐き気を催すようになっていたのでそれもしない。好きな読書も気力がないのでやらない。食事も適当でアルコールも飲まない。煙草は少々。そして、頭痛薬や病院で処方された薬などを飲んでただひたすら眠る。出勤時間ギリギリまで十時間くらい眠る。
それでも、翌朝を迎えても気分は良くならなかった。これは今回長くかかるなと思い、わたしは仕事と必要最低限の家事以外は一切やらないことに決めた。そうして上記のような働いて、ただひたすら眠る日々を一週間ほど続けて、ようやく少しだけ気分がすっきりとするようになった。まだお腹の底にこびりつくような不安は残っているけれど、好きな音楽を聴く元気は出てきた。
これはおすすめなのだけど、わたしはこういった落ち込んだとき用に「処方箋」というプレイリストを前もって作っている。十代から落ち込むたびに聴いていた曲やホッとする曲、優しい気持ちになれる曲などを詰め込んだプレイリストはいざというときに本当に役に立った。映画、読書、音楽、どれも趣味だけれど、気力がなくなっているときに一番手が出しやすいのは音楽なので、回復の取っ掛かりには本当に良かったと思う。
まだまだ憂鬱な気持ちは続くけれども、おそらくこれは一生付き合っていかなければいけない体質的なものだと思う。今回は思ったより短く一週間ほどで終わったのでまだマシな方だったけれど、次はいつ来るのかと思うと本当に怖い。また台風が発生しているらしいので、今から第二弾を身構えている。次に憂鬱な気持ちに陥った時は、温かいお茶でホッと一息つくぐらいの余裕が欲しい。