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観る将歴2年の女あるいは読む将の裾野から、読書感想文『ぼくらに嘘がひとつだけ』と女性棋士の作り方

ステータス
まつお(女)
 観る将歴2年、社畜歴10年以上、本州外在住、漫画・小説・ゲームが大好きなオタク。フットワークは軽め。

 前回のnoteで予告した通り夏秋は海峡を越えて将棋教室を訪ねてみようと思っていたのだが、職場と自宅の往復しか出来ないまま季節が過ぎてしまった。予告詐欺で申し訳ない。
 
ということで引きこもって読書の秋だ。読書感想文を書くのはおよそ20年ぶりだ、国語の授業を離れオタク語全開で書く読書感想文は楽しい。奇声をどれだけ大文字で入れても怒られない、素晴らしい。

①読書感想文『ぼくらに嘘がひとつだけ』

 ステータスに観る将歴2年、社畜歴10年以上と書き、最近では指す将まで始めたオタクの読書歴は30年を超える。漫画を含め月に数十冊の本を買う自他ともに認める活字中毒にとって、将棋界とは活字天国だ。
 将棋世界、文春オンライン、将棋ペンクラブ、Wikipedia、読んでも読んでも尽きず毎日新しく供給される活字の沼にほくほく顔で浸かっている。観る、読む、指す、浸かっている時間を測れば私は読む将に分類されるだろう。

 文春将棋さんのツイッターも大好物であり過去ログを掘り返しつつ、オススメとあらばと9月に購入した小説がこちら。

『ぼくらに嘘がひとつだけ』 綾崎隼/文藝春秋 (2022/7/25)

才能を決めるのは、遺伝子か環境か?
エリート棋士の父を持つ京介と、落ちこぼれ女流棋士の息子・千明。二人の〝天才〟少年は、またたく間に奨励会の階段を駆け上がる。期待を背負い、プロ棋士を目指す彼らに、出生時に取り違えられていたかもしれない疑惑が持ち上がる。才能を決めるのは、遺伝子か環境か?運命と闘う勝負師たちの物語。

(作品紹介より)

 将棋、ミステリ、文藝春秋。好きな物の3連単的中ですよ、マジ最高。
 京極夏彦、森博嗣、宮城谷昌光を始めミステリと歴史ものを履修していたオタクは、この本をウキウキと抱えてミステリ愛好家のマスターの喫茶店に向かい、コーヒーと共に楽しむことにした。……それが惨劇の始まりとも知らずに。

『ぼくらに嘘がひとつだけ』には奨励会員(子供)、棋士(成人男性)、女流棋士(成人女性)の3組が登場する。ざっくりとは以下
・長瀬京介(学生/奨励会員)
・朝比奈千明(学生/奨励会員)※男子

・長瀬厚仁(棋士/京介の父)
・国仲遼平(成人/元奨励会員)

・長瀬梨穂子(元女流棋士/京介の母)
・朝比奈睦美(元女流棋士/千明の母)

 「二度読み不可避の青春ミステリ!!」と帯にあったので主人公は奨励会員の少年ペアでありミステリ部分もそこに集中するのだが、私が主に感情移入したのは最後の女流棋士ペアであったので、このnoteにミステリ的なネタバレは含まれない。
 noteを読む分には本文を読んでいなくてもあまり問題ないが『ぼくらに嘘がひとつだけ』はプロローグが公開されているので是非読んで欲しい。(下記リンク)
 このnoteは、ほぼほぼこのプロローグ(第一部)に対する読書感想文だ。

むむむ、睦美ィーーーー!!
睦美お前、マジ、マジお前さあ…………!

いきなりフルスロットルで申し訳ない。が、本作を読んでる間、私が終始ツイッターで叫び続けたのがこれである。

折角なので当時の呟きを貼っておこう。プロローグの主役である落ちこぼれ女流棋士の朝比奈睦美が、ひどい言われようをしている。

 上記の通り私は読む将であるのでWikipediaの『女流棋士 (将棋)』『日本女子プロ将棋協会』のページも、それにまつわる泥沼の類もひと通り読んでいた。

“かつては醜聞としか思えなかった日本女子プロ将棋協会の独立問題までもが、その意味を変え始めた。”

(プロローグより)

読んだよ、知ってるよ…2005年あたりまでアルバイト扱いだったね…2011年に公益法人化したときに保険証ってちゃんと貰えた…?

誰に注目されることもなく、飛躍も期待出来ないまま引き立て役のように敗北を重ねる。それが私の現実だった。

(プロローグより)

そう、女流棋士70人のうち観る将の私が顔と名前がわかるのは10人ちょっと。つまり残りは知名度で仕事を貰うことが出来ず、食えていない可能性が…。

“きっと、私の人生はもう、とっくの昔に詰んでいたのだ。”

(プロローグより)

いや看護師というのは歩が最初から全部と金くらいの詰まなさなので、うちの職場シングルマザーまみれぞ??視野が!視野が狭いぞ睦美ィ!!

“愛しているから。あなたを誰よりも愛したいから。だから……!”

(プロローグより)

愛しているから、じゃねーよ!!この馬鹿!!!!

 女流棋士を引退し看護師となる睦美の目線で進むプロローグは、読む将であり医療系現場で働く私にとってハイコンテクストにもほどがあり、こんな具合で毎ページ数行おき何十回と前提知識との衝突事故が起きた。
 呻いたり怒ったり突っ込んだりと、読むのにものすごくエネルギーを消費した記憶がある。
さようなら青春ミステリ、縁が無かったね…。

 プロローグは丁寧に、本当に丁寧に朝比奈睦美というどん底の女流棋士と、その周辺が描かれている。地獄だった。3万字程度のプロローグを読み終わるのに2時間以上掛かった、コーヒーがまずくなった。

女流棋士朝比奈睦美は、スタートが遅く視野が狭く判断力が悪く、何物にもなれなかったあげくに子供を入れ替えようとする愚かな人間だ。

素晴らしい。
 自分が窮地に立ってやっと日本女子プロ将棋協会の見え方が変わる様。睦美の友人であり棋士の家系である長瀬梨穂子女流棋士が睦美よりも環境に恵まれているゆえに、才能で劣ったとしても睦美よりも人として好ましい所。好きな男が梨穂子と結婚したのでヤケクソで適当な男と子供を作り、看護師資格を持っていながらも愚行に走る睦美の社会性の低さ。

誰かが社会性をぶっちぎって愚かでないと物語は進まない。睦美は最高に愚かで、第一走者として素晴らしい働きをしてくれた。

こんなに愚かで惨めなド底辺の女流棋士キャラ、よく書いたな?

いや、本当に。

 オタクは同人誌を出したりしているインターネット文字書きマンだが、とてもではないが将棋ものには手が出せない。将棋界は狭い。そして読む将が大好きな、棋士・女流棋士の先生方のエピソードや逸話が無数に存在する。
 アマチュア作家私が惨めな棋士の話を書いて、投稿サイトに上げたとしよう。作中のキャラにモデルにした棋士が居なくとも、当てはめようとすれば当てはまってしまう。「〇〇先生への侮辱だ!ヘイト創作だ!」と炎上必至である、とても怖い。

 女流棋士の惨めな描写に容赦がないのは作者さんとの性差かとも考えたが、本作は全体を通してリテラシーが高く安心感がある。であれば普段我々が想像できても読むことのない描写は、商業作家と出版社、本という有料の商業媒体ならではの醍醐味だ。
 想像したことのある地獄の具現化を存分に楽しませてもらった。オタクはハピエン厨のオタクだが、秀逸な地獄も大好きだ。知識と一致すれば一致するほど、地獄の解像度が高くなるのは楽しい読書だ。

 睦美という人間が嫌いだ、友人になるなら梨穂子がいい。だが、キャラとしての朝比奈睦美が大好きだ。記事を書きながら考えていたが、この手のキャラにもう一人思い当たりがある。
 「Fate/stay night [Heaven's Feel]」の間桐桜だ。20年前に初出の超有名コンテンツであるので今更語るまでも無いが、未履修の方は劇場版三部作を見てほしい。私は3回映画館に行った、タオルを持って。
 20年前は嫌いだったキャラクターを、私が歳をとって「保護者」という視点が加わって好きになった。私はおそらく睦美のことを「元女流棋士、職場の同僚で年下の後輩」と思って見ている。
 睦美、間桐桜、両名に対する感想は「福祉が来い!」だ。

『ぼくらに嘘がひとつだけ』は、学生さんが読めば奨励会員の主人公ペアに感情移入するだろう。指す将や棋士の先生方は棋士ペアだろうか。女流棋士の先生方の感想は……ちょっと聞いてみたい。
 私が『ぼくらに嘘がひとつだけ』を青春ミステリとして読むことは無かったが、自らの知識をフル回転し作中とリンクさせ世界観とストーリーを掘り下げる楽しみを存分に堪能させてもらった。

 予告や作品紹介やプロローグにある通り「才能を決めるのは遺伝子か環境か」といったテーマはもちろん、取り換えっ子ミステリとしても楽しめる。『ぼくらに嘘がひとつだけ』は、どこから誰が読んでもどこかしらを楽しめる最高のエンタメ小説だ。
 語れと言われれば2時間以上感想を語れると思う、必要な人は呼んで欲しい。語り合える人を切実に募集している。

最後に、国仲遼平さんの株が上がりすぎてミステリ読者のくせにトリックを読み誤ったことを告白しておこう。君は僕を信用しすぎだ。


②女性棋士の作り方

……炎上が怖いと言ったそばから、炎上しそうな見出しだなあ。

このnoteは個人の書き散らしであるのでド素人の考察のひとつとしてお目こぼし頂きたい。
『ぼくらに嘘がひとつだけ』には女流棋士と同時に、女性棋士が登場する。三段リーグを抜け史上二人目の女性棋士になった諏訪飛鳥というキャラクターだ。

 2022年夏の将棋界は熱かった。里見香奈女流五冠の挑戦を将棋界ならず日本中が見守った。観る将である私もAbemaTVとツイッターに張り付き、里見先生を応援していた一人だ。
 女流棋士の先生方の祈るようなツイート、文春オンラインの特集記事、NHKニュース、読む将として読み逃しては恥とひたすら読んだ。歴史的な挑戦を観ることが出来た熱い夏だった。

 夏が過ぎて秋になり、文藝春秋で「なぜ女性棋士はまだいないのか」というオピニオンを二つ読んだ。お題指定だったとのこと。結論として「歴史も競技人口も男女で違いすぎる」「女性将棋プレイヤーの分母」というのは揺るがないのだが、過程を少し考えてみた。

女性棋士の作り方。「成り方」ではない、それは私ごときが考えられるようなことではない。本人ではなく周りの話なので「作り方」

さて、観る将の私から見た棋士とは
「将棋に全特化した人間」だ。

もっと細かく書くと
「頭脳リソースを100として、98~100くらい将棋に傾けた人間」である。
 『将棋の渡辺くん』の知能指数を測りに行った回などを読むに棋士は知能指数が高い人間ではなく、将棋に特化した人間、それも将棋以外は全捨てレベルの特化だ。

先に書こう。女性棋士の作り方
将棋全特化の人間を作る、XX染色体持ちの中から。

 将棋全特化の人間が偶然女性体を保持していたという印象は、里見先生と作中の諏訪飛鳥にも当てはまる。さあ、ではここで地獄のようなことわざを提示しよう。

「女は生まれたときから女」

「女の幸せ」と「女は生まれたときから女」を考えたのは男だと思う。
 問題は、「幸せ」は自分で決めればいいが、「女は生まれたときから女」は子供に降りかかる「そうであったほうが都合がよい」という社会的外圧であることだ。

 例えば、将棋が大好きでいつも将棋のことを考えている小学校低学年の子供がいるとする。将棋のことばかり考えているので、通学路で転んでケガをしたり忘れ物をしたりする。
 子供が男児であれば「一生懸命なことがあるのは良いことだ」になる評価が、女児だと「女の子のくせに落ち着きがない」「だらしない」と咎められたりする。親のみならず同い年の女児によって。
 女児は子供のうちから協調性、社会性を始め周囲のケアなどを求められる傾向が強い。
 ちなみに男性は、同姓間のケアの乏しさが介護分野で問題視されている。

 外圧による強制は矯正でもあり教育や福祉の観点からみると悪い事ばかりではないのだが、こと将棋となると特化の阻害になりかねない。100のリソースを割いて将棋以外に振り分けることになる。
 社会的外圧によって女児は将棋特化に育ちにくいのでは、女性は将棋特化のままでいられないのでは、と思ったりなどする。忙しいのだ。

 近年では子供の意思を尊重する親が増えており、頭ごなしに叱る親は少なくなった。しかし、現実として女流棋士の収入は厳しい。
 普段目にする顔と名前がわかる女流棋士は何人だろう、何人のうち何人が仕事を貰えているのだろう。学生のうちはまだいい、一人暮らしをしたら?親が亡くなったあとは??親御さんは子供が生きていける方法を考える。

 一生懸命な子供を否定したくない、だからリスクヘッジとして大学に進学させようとする。将棋という観点から見て善意の足かせが発生し、将棋と学業でリソースを二分してしまう。両立は事前研究に時間を要する昨今では致命傷になりかねない。
 そうやって女児の特化は失われ、関東の奨励会に女子はおらず、入りにくさが更に悪循環に拍車をかける。好きなことを仕事にして食べていくのは難しいのだと、親は知っている。

問われるのは親の覚悟だ。
 娘が奨励会に挑戦したいと言う。200人のうち女子は3~4人の奨励会で、8割は棋士になれずに退会するという奨励会で。テレビや記事で時折ドキュメンタリーが組まれる元奨励会員と同じように26歳・学歴職歴なし・将棋以外できない娘、親はこれを覚悟しなければならない。
 きつい。現時点では女流棋士という枠組みがなければ挑戦すらなされないのではないかと正直思う。

 作中の第二部にはその辺りも書いてあり、痒い所に手が届きまくりで大変に楽しい。奨励会に挑戦している倉科朱莉が、諏訪飛鳥に弟子入りを断られたくだりは私も好きなシーンだ。

“私は子どもの頃から、男を意識し続けてきた。でも、本当は、そんなことを考えもしないでいられる世界が理想でしょ。本質的には、将棋に性差なんてないんだから。倉科さんには可能性を感じる。でも、だからこそ、『女に育てられた女』という分かりやすいレッテルを張りたくなかった。”

(第二部より)

気が合いますねぇ!!!諏訪飛鳥先生!!!推せる。

 諏訪飛鳥は女性棋士で、倉科朱莉は女性棋士を目指す奨励会員だ。つまり作中で語られているのは女性棋士の「成り方」だ。
 これをこのnoteの「作り方」に直すと『母親に育てられた娘』になる。

女性棋士を作るとは娘を女性として育てないことだ。

 難易度が高い。子供は親のみで育てるにあらず、沢山の人の手を借りる。その手が、子供に「女」というレッテルを貼りつける。手を拒むのではなく、伸ばされる手の持ち主のほうにこそ意識改革が必要になる。
 将棋以外のことを強制しない親と周囲は、現状ではガチャ頼りだろう。過程は違っても結論は同じだ、土壌が足りない。娘をそう育てられる親と環境が当たり前になるまで女児の親の絶対数を増やして、周囲の意識を変えていく必要がある。

もはや将棋の話をしているのか教育と福祉の話をしているのか分からないが、前回の記事も似たようなものだったのでこのnoteはそんな感じで進むのだと思う。

“ネットやAIを使えるようになれば、誰でも里見のようになれるわけではない。将棋界に真の男女平等を定着させるためには、女性にも人生を賭けて戦う覚悟が必要です。私は、今回の編入試験で里見の覚悟を見たような気がしています。”

https://bunshun.jp/articles/-/57629?page=5

熱い夏の間で、私が一番好きだと思った言葉と記事だ。だから私は里見先生を応援するのだと。

 将棋特化の男性は「男を捨てた」とは言われない。これから増えるであろう将棋特化の女性達が「女を捨てた」と、心無い言葉を投げつけられないことを願いつつ。
 もし見かけた際は「なんて見当違いな」と笑ってやろう。将棋に人生を賭けられること、それは、きっと、とてつもなく幸せなことなのだ。

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