あなたは近くて遠い、まぼろし
今回は、「二つの「あなた」」の続きです。
* Ⅰ
人は一度に二つの言葉を口にできない、発音できない。そんなことを蓮實重彥がどこかで書いていた記憶があります。最近特に増えてきた気がする偽の記憶かもしれません。
ひょっとすると、一度に二つの言葉を口にできないではなくて、一度に二つの言葉を書けないだったかも……。
確かめに二階の書棚へ行くこともできるのですが、きょうは体調がすぐれません。
階段を上がり下りするにも、迷いながら書棚をあちこち見るのも億劫です。二階の部屋が天空に浮いた遠い場所に感じられます。
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きのうから「あなた」のことを考えています。「二つの「あなた」」という、きのうの記事に書いた「あなた」について、です。
・「あなた」:彼方・かなた・あなた。「あなた」=you。
・「あなた」:貴方・あなた。「あなた」=over there。
図式的に言うと、上のようにまとめることができます。
近くにいる「あなた」と、遠くにいる「あなた」――とも言えそうです。
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あなた、貴方、彼方、あなたは近くて遠い、まぼろし。
文字で書くと二つに分かれます。離れているのです。意味とイメージにも隔たりがあります。
口にすると、どちらかが浮び、両方が重なることはありません。少なくとも、私にはそう感じられます。分かれているのです。意味とイメージにも隔たりがあります。
しかも、口にした「あなた」はたちまち消えてしまいます。その消えた「あなた」を頭の中で呼び出し、ゆっくり唱えてみると、二つが重なって浮んでくるような気がしないわけでもありません。
この危うさと曖昧さは、例のだまし絵にも似ています。
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あなた、貴方、彼方、あなたは近くて遠い、まぼろし。
文字に似ています。「あなた」という文字に似ているという意味ではなくて、文字というものに似ているという意味です。
文字を見ていると、とたんに文字が見えなくなります。文字を読んでしまうからです。
文字を読んでいると、文字は見えません。文字を文字だと意識して眺めていたら、文字は読めません。
文字は近くて遠い、まぼろし。
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文字や活字は、目の前にいる「あなた」、形だったり、姿だったり、顔だったり、模様だったりします。
読めなくなるのは、かなたにいる「あなた」、意味だったり、イメージだったり、光景だったり、ストーリーだったりします。
同時には、見えないのです。それでいて、そのどちらもが「あなた」なのです。
あなたは、近くて遠い、まぼろし。
* Ⅱ
人と人との間には距離があります。好きあっている同士でも一心同体は夢でしかありません。というか、例の「同床異夢」という言い回しの本来の意味とは違いますが、いっしょに寝ていても二人が同じ夢を見ることなどまずないでしょう。
同じ床にいる二人は寝入った瞬間に一人になります。夢は徹底して一人だけの世界なのです。「同床同夢」も「異床同夢」もかなわない夢でしかありません。たとえ、恋人同士や夫婦間や家族間であっても、距離は避けられません。誰もが基本的には「別人」という意味での「他人」同士です。
とはいえ、いや、だからこそ、愛していればいるほど、その距離を埋めたくなるのが人間でしょうね。「あなた」という日本語の言葉には、「遠く離れた愛しく近しいあなた」という意味が込められています。「あなた」は近くて遠い、まぼろし。美しく哀しい言葉――。
ひらがなの「あなた」を「彼方、貴方」と表記すると、その美しく哀しい意味が立ち現れる。まるで魔法のようではありませんか。次にその文字を口にすると、今度は二つの意味がいっしょになる。生きているとしか考えられない言葉の身ぶりと表情。そんな文字と音のある日本語が私は好きです。
* Ⅲ
寝入るとき、人はとつぜん一人になります。二人で抱きあって寝ていたとしても、眠りに入った瞬間に二人は別れます。どんなに愛し合っていても、二人いっしょに眠りの中にいることはできません。
お墓とはちがうのです。そんなの、嫌ですか? 悲しいですか? お風呂もベッドも夢も、いっしょじゃなきゃ嫌。せっかく生きているのに。人生の三分の一は眠っているというのに。
お風呂はお墓に似ている、と書いた作家は誰だったか? それとも、浴槽は棺桶に似ている、だっけ? あ、トイレで縦長のドアが並んでいるのを見るたびに、縦に並べたお棺に見えると言った女性を思いだしました。
詩を書いていたあの人にまた会いたいです。夢でもいいですから。
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一人でいる時がいちばん安心できる人もいます。ここにも、ひとりいます。さらにいうなら、寝る時くらいは一人でいたいと願う人間です。
それにしても、同床異夢とはよく言ったものですね。四字熟語として使われる比喩的な意味ではなく、文字通りに意味を取りましょう。同じ寝床で寝て違う夢を見る、です。
同床異夢。話をややこしくしなければ、当たり前に近い至言かもしれません。多くの人にとっては残念で悲しい至言ということでしょうか。
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同床異夢、同床同夢、異床同夢というぐあいに、漢字を入れかえて遊んでみたくなります。「同床同夢」と「異床同夢」をネットで検索してみると、同じような遊びをした例がヒットし、その中で「藤枝静男」という名前を見つけてはっとしました。
あまりよく知られた名前ではありませんが「藤枝静男」という作家がいて、その人の書いた『異床同夢』というタイトルの作品および作品集があるのです。
同床異夢は当然のことですが、異床同夢となると、これは摩訶不思議な話になります。魅力的な作品名でもあります。残念ながら藤枝の『異床同夢』は読んだことがありません。
どんなことが書いてあるのでしょう。その文字を見たとたんにイメージが湧いて、たちまちそれが膨らんできます。藤枝の小説のタイトルで好きなのは、『犬の血』『異物』『私々小説』『出てこい』『虚懐』『空気頭』です。作品自体も好きです。
異床同夢、つまり違う――あるいは遠く離れた――寝床で寝ているのに同じ夢を見る話を描いた小説や漫画や映画は多いです。ストーリーを膨らませやすい魅力的なテーマですね。
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藤枝静男と言えば、人は一度に二つの言葉を口にできない、発音できないという、どうも偽の記憶らしい、蓮實重彥の言葉を思いだします。
ひょっとすると、一度に二つの言葉を口にできないではなくて、一度に二つの言葉を書けないだったかも……。
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選択の対象が二つであれ、複数であれ、少数であれ、多数であれ、最終的に一つを「いまここ」という現在で選択しなければならないとき、私たちはその選びそうになっている「一つ」と「その他」の二択での選択を余儀されているのではないでしょうか?
文章体験における二択とは、「いまここ」という現時点での語の選択のレベルから、その語の選択の結果として次々と生じていく語の集まりであるフレーズ、センテンス、文章、さらにはテーマにまで及ぶ「強制」なのかもしれません。
人は一度に二つの言葉を口にできない、一度に二つの言葉を書けない……。
一度の人生で、一つの物語しか紡げない、一冊の書物しか書けない。
あなたは近くて遠い、まぼろし。
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