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わける、へだてる、かくす(スクリーン・03)

「screen」という英語の言葉を英和辞典で調べて、その見出し語のもとに並んでいる日本語訳を眺めていると不思議な気分になります。

 1)さまたげるもの、さえぎるもの。ついたて、すだれ、びょうぶ、幕、とばり、障子、ふすま、仕切り、障壁、目隠し、遮蔽物、遮蔽、スクリーンプレー。おおい隠す、かくまう、かばう。

 2)うつすもの、うつされるもの。スクリーン、映写幕、銀幕、画面、映画。映画化する、脚色する、撮影する、網がけ・網どりする。

 3)とおすもの、ふるいにかけるもの。網、網戸、ふるい、編目、砂目、フィルター、百葉箱、審査制度、選択制度、選抜、スクリーニング。審査する、選抜する、排除する、除外する。

 似ているようで似ていない。似ていないようでいて似ている――。

 screen というたった一つの英語の単語が、英和辞典では複数の日本語に変奏されているわけですが、screen という見出し語で束ねられてそこに並んでいるだけに、それらの日本語の単語が異化されて感じられるのかもしれません。

 ついたて、すだれ、びょうぶ、幕、とばり、障子、ふすま、仕切り
 網、網戸、ふるい

 これがスクリーン/screen なの? そうであるような、そうでもないような、やっぱりそうであるような……という不思議な感じ。

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 日本の風物を説明した英語の文章でも、今述べたのと似た異化を感じます。

Take, for example, things as basic their traditional clothing, their cuisine, or their domestic architecture and the manner in which they live at home. The thick straw floor mats, the sliding paper panels in place of interior walls, the open, airy structure of the whole house, the recess for art objects, the charcoal-burning braziers (hibachi), the peculiar wooden or iron bathtubs, and the place of bathing in daily life as a means of relaxation at the end of a day's work and, in winter, as a way of restoring a sense of warmth and well-being---all of these and many other simple but fundamental features of daily life in traditional Japan are unique to the country and attest to a highly creative culture rather than one of simple imitation.
("Japan: The Story of a Nation" by Edwin O. Reischauer、 McGraw-Hill Publishing Company、p.8)

 日本の事物について英語で記述されたものが、さらに日本語に訳されていると、異化は二重や三重のものになります。以下は、かつてお世話になった國弘正雄先生による翻訳です。

一例として、日本の伝統的衣服とか食事、住居、日常の暮らし方といった基本的な事項を考えてみよう。床に敷く藁製のぶ厚いマット、壁の代わりに家の中を仕切る紙製の引き戸、開放的で風通しのよい家屋全体の構造、美術品を飾る床の間、炭火を入れる火ばち、木または鉄製の一風変わった浴槽、一日の仕事を終えてくつろぐ手段として、入浴が日常生活の中に占めている位置(入浴はまた、冬季には体を温め心の豊かさをとりもどす手段にもなる)。以上あげた以外にも、簡素ではあるが、日本の伝統的日常生活の基本をなす多くの事物は、日本だけにしかみられない。このことは、日本の文化が単なる模倣の産物ではなく、きわめて独創的なものであることを証明している。
(エドウィン・O・ライシャワー著『ライシャワーの日本史』國弘正雄訳・講談社学術文庫・pp.24-25)

 the thick straw floor mats ⇒ 床に敷く藁製のぶ厚いマット ⇒ (たたみ・畳)
 the sliding paper panels in place of interior walls ⇒ 壁の代わりに家の中を仕切る紙製の引き戸 ⇒ (ふすま・襖)
 the open, airy structure of the whole house ⇒ 開放的で風通しのよい家屋全体の構造
 the recess for art objects ⇒ 美術品を飾る床の間
 the charcoal-burning braziers (hibachi) ⇒ 炭火を入れる火ばち 
 the peculiar wooden or iron bathtubs ⇒ 木または鉄製の一風変わった浴槽 ⇒ (風呂桶・五右衛門風呂)

 このように、ある事物やイメージをめぐって日本語と英語のあいだを行き来していると、「ふち・はし・へり」にいる自分を意識しないではいられません。

「ど真ん中」や「奥」から「よそ・そと」と接した「ふちっこ」へと身を移すことによって、見慣れた物や風景が異なって見えるということでしょうか。

 たとえば、源氏物語や谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』には英訳がありますが、それを部分的にでもいいから、自分の語感で日本語に訳してみれば、それはスリリングな体験になるにちがいありません。

 エドウィン・O・ライシャワー著『ライシャワーの日本史』國弘正雄訳は、日本の歴史が英語を母語とする書き手によって英語で書かれていて、それがさらに日本語で書かれているわけですが、対訳で読んでみると目まいを覚えます。もちろん、いい意味での目まいです。

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 英和辞典・見出し語の日本語訳 ⇒ 和英辞典・見出し語の英語訳
 英和辞典・見出し語の日本語訳 ⇒ 国語辞典・日本語による説明

 英和辞典で見出し語の日本語を眺め、それをさらに和英辞典や国語辞典で引いてみるのも楽しく刺激的な体験になります。

 そうした体験で出会うのは、あくまでも文字なのです。文字たちが自分の中にあるイメージを喚起します。

 そのときに呼び起こされるぐちゃぐちゃごちゃごちゃしたものが「意味」なのかもしれません。頭の中の話です。

 残念ながら「意味」は見えません。そのために、その代わりに文字があるかもしれません。ぐちゃぐちゃもごちゃごちゃもしていないで、文字はすっきりとして澄ました顔をしています。

 すっきりくっきりしたものを見て、ぐちゃぐちゃごちゃごちゃするのは人のほうなのです。それでいいのだと私は思います。ぐちゃぐちゃごちゃごちゃ曖昧模糊――人間らしいじゃありませんか。

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 ついたて、衝立て、screen
 すだれ・簾、bamboo blind、bead curtain・玉すだれ、Venetian blind・ベネチアン=ブランド・板すだれ
 びょうぶ・屏風、folding screen
 まく・幕、curtain
 とばり・帳・帷、垂れ幕、veil、pall、shroud
 しょうじ・障子、sliding paper door、screen
 ふすま・襖、a framed and papered sliding door used as a room partition
 しきり・仕切り、screen、curtain、bar、division、partition
 あみど・網戸、screen、a window screen・窓網戸、screen door
 ふるい・篩、sieve・こし器、riddle(目の粗いもの)、screen 

 以上は「ジーニアス和英辞典」を参照したものですが、文化的な違いがあるために、和英辞典には英語での定訳だけが載っているのではなく、説明的なとりあえずの訳語らしきものも目に付きます。

 辞書は、辞書をつくった人たちの語感や考え方、そして編さんされた時代や時期によっても左右されるようです。

 なお、言葉が常に過渡期にあることについては「目まいのする読書」に書きましたので、よろしければお読みください。日本語と英語とのあいだを行き来しての対訳による日本語の勉強法についても触れています。

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 上で挙げた例にある日本語と英語を見比べていると、さまざまな発見があって、楽しい時間を過ごすことができます。私が特に興味を引かれたものを抜きだし、それぞれにコメントを加えてみます。

・the thick straw floor mats ⇒ 床に敷く藁製のぶ厚いマット ⇒ たたみ・畳:

 床は「ゆか」であったり、「とこ」(寝床)であったりする。床(ゆか)に敷く、床(とこ)を敷く、床(ゆか)に床(とこ)を延べる。
「たたみ・畳」をあらためて国語辞典で調べると、その語義の記述が面白い。「畳」を含む熟語と慣用句の多さに驚く。

・the sliding paper panels in place of interior walls ⇒ 壁の代わりに家の中を仕切る紙製の引き戸 ⇒ ふすま・襖:

「スクリーンや板や壁やパネルや紙をスライドする」という具合に、勝手に読みかえてイメージを膨らませると面白い。そう言えば「スクリーンをスライド(スワイプ)する」という言い回しがある。
 slide を英和辞典で引くと、これまた興味深い日本語訳がぞろぞろと並んでいる。いつか記事にしてみたいほど。
 板、パネル、紙、壁、仕切り。どれもがスクリーンになりうる気がする。
「ふすま・襖」を辞書で調べてみると、「臥(ふ)す間」という記述があり、その光景を思い描いてしばらく考えて込んでしまう。伏魔殿も連想する。辞書には同音の「ふすま・衾・被服」も載っている。

・the open, airy structure of the whole house ⇒ 開放的で風通しのよい家屋全体の構造:

 風通しのよい構造という点が興味深い。日本のテレビドラマ(特に大河ドラマや朝の連ドラ)や映画(典型的なのは小津安二郎の作品)では、仕切りや戸や窓を明(開)け放って、屋内から庭(外)が見えるようなセットや設定で撮影する場面が多いのに気づかされる。 

・the recess for art objects ⇒ 美術品を飾る床の間:

 英和辞典で調べると、recess は alcove とも言えるようだ。「とこのま・床の間」の辞書の記述が刺激的。谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』で「床の間」について書かれた部分を再読してみたい。

・すだれ・簾、bamboo blind、bead curtain・玉すだれ、Venetian blind・ベネチアン=ブランド・板すだれ:

 blind を英和辞典で引くと、おおい隠すもの、日よけ、ブラインド、目隠し、遮蔽物という言葉が見える。まさに screen という感じ。日本の「すだれ」の場合には、透けて見える点がユニーク。こっちから見えてもあっちからは見えないという点で西洋のレースのカーテンに相当する。

・びょうぶ・屏風、folding screen:

「びょうぶ・屏風」は「風を屏(ふせ)ぐ」らしい、「風よけ」という記述も見える(広辞苑)。風通しのいい作りの日本家屋においては、時と場合によって風をふせぐ場所をもうけるということか。「ふすま」もそうだろう。開き戸(とびら・扉)よりも引き戸(スライド式)のほうが、通る風を容易に調節して固定できそう。

・しょうじ・障子、sliding paper door、screen:

 sliding paper door という説明的な英語を見ていると、異化を強く感じる。「障子」の「障」を漢和辞典で調べると、「さわる、さえぎる、ふせぐ、さわり」という文字が見えて納得する。「さわる」という言葉のイメージについていつか考えてみたい。これだけでも記事が書けそう。

・ふすま・襖、a framed and papered sliding door used as a room partition:
 
 なるほど……。この説明的な記述をうんうんとうなずきながら読んでいる自分がいる。パーティションという言葉が気になる。partition、part、party、participate、depart、apart、compart。「別れる」と「集まる」が同居している気がする。party には政党という意味があるのを思いだす。仲間割れ、結成。

 私の趣味は辞書を読むことなのですが、辞書を読んだり眺めたりするさいには、上で述べたような感じで心の中であれこれとつぶやいています。私にとっては幸せなひとときです。

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 ところで、partition (パーティション) と言えば、新型コロナの流行を機になじみ深いものとなったアクリル板や、災害時での避難所に並んでいる仕切り(衝立・ついたて)を思い浮かべずにはいられません。

 part とは「分ける」です。人と人を「分ける」、つまり「隔てる」ものが、身のまわりにはたくさんあります。というか、この数年で急に増えてきた気がするのは私だけでしょうか。

 たとえば、スマホやタブレット端末がそうです。これらも私にとってはスクリーンです。「さえぎる、うつす、とおす」機能をそなえたスクリーンです。

 スクリーンは、人を「つなげている」ようでいて「分けている」、「近づけている」ように見えて「隔てている」気がしてきました。

 ちなみに、数年前から人びとの口にのぼりはじめた「ソーシャル・ディスタンス」のディスタンスは「隔たり」つまり距離です。

 今、ふと思ったのですが、マスクも広義のスクリーンに含めてもいいのではないでしょうか。そう考えると、仮面やお面もスクリーンだと言えるかもしれません。ポータブルなスクリーン。肌に密着したスクリーン。

 分ける・別れる、隔てる・離れる、隠れる・騙す、防ぐ・戦う

 広義のスクリーンの機能をさらに広くとらえると、こんな言葉が連想されます。なんだか、悲しいし、きな臭くもあります。

 スクリーンのある風景がなんだか殺伐としたものに見えてくるのは、この記事を書いていて体験した異化のせいかもしれません。

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「そう言えば……」という感じで今思いだしているのは、「衝立」(ついたて)の出てくる小説です。次回は、その作品を紹介しようと思います。

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