人間、やってもできないこと以外はできる、ということがまた証明されたのだと思う。人はいつでもどの段階でも進化できるのだ。
https://www.youtube.com/watch?v=0HOVrwgKN5g
7月13日 にYouTubeにアップした、毛筆朱書き動画「地球」。
これで50日連続投稿を達成した。
なんだか地球が怒っているだろうことは、ここのところの世界の状況をみれば誰しも感ずるところはあるだろう。
どうか怒りを鎮めて、落ち着いてほしいものである。
さて毎日動画の50日連続はなかなかの長さの道のりだった。
動画を毎日アップするという作業は思っているより大変だ。
登録者の伸びとか、視聴者からのコメントとか、モチベーションになる要素はいくつかあるだろう。あわよくば1000くらいの…と考えていた登録者はわずかに58人。100人にすら届かなかった。現実はかくも厳しいものである。
こんな社会になって、これまで受けたこともなく、受けようとも思わなかった''オンラインビジネス講座''を受けさせていただいたことで「何かやらなきゃ」という気持ちになった。そして講座の最後の課題で動画を50本作ると言い、それをやっと達成した(毎日と言いはしなかったのだがどうせならと毎日してしまった)。
これらの動画や、動画作成のプロセス等々が、自分自身や自分以外の人々についてどういう役割を果たすのかよく分からない。誰かの役に立つのか、ただの徒労なのか。
こういう毛筆の文化と相応の技術が伝統的に存在して、それらが何らかの形で日本の外へ、また後世へと伝えられていくのだとすれば、そういう役目の一端となることは、生きてきた時間の多くをその習得に費やしてきた身としてはとても喜ばしいことだと思う。
そしてこれと直接の関わりはないが、こんな社会になって、これまできちんと向き合ったこともなく、向き合おうとも思わず、むしろ毛嫌いして、それが好物だと公言して憚らない者に対して悪口雑言を尽くしてきた俺が、変わらねば、という気持ちになって、変わらねば、のネバのところをネバ―っとさせて、あの強敵であった『納豆』を口にし、そしてそれをある程度抵抗なく続けることに成功した。
こんなことは誰も褒めてはくれないけれど、だれかに褒めて欲しいと強く思ってしまう。
この納豆と、納豆食までのプロセス等々が、どういう役割を果たすのかよく分からない。何かの役に立つのか、ただの徒労なのか。
まあしかし、人間、やってもできないこと以外はできる、ということがまた証明されたのだと思う。人はいつでもどの段階でも進化できるのだ。
こんなところで書いていいのか分からないが、書道ファンの方も、書道ファンでない方も動画をご覧いただけたらありがたいです。是非チャンネル登録よろしくお願いします。いいのかな、ここでこんなの書いても。