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テレビと読書

俺にとって、読書は娯楽であり、遊びの一つだ。知識を求める時もまあかなりあるけど、究極的には人生における娯楽だと思ってる。テレビに関しては、まず去年(大学時代)までは家にテレビすらなかった状態。新居にはあるけど普段はまず見ることはない。ついてたりはするけど。

これら2つは同じ娯楽であり、人を楽しませる、生活を充実させる、感情を揺さぶる、などさまざまな共通点や目的がある。なのに、なぜ俺は読書を選ぶのか?ちょっと思いついたことがあるのでまとめてみたい。

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テレビの番組は、基本的に毎週同じ時間に、一定時間放送しなくてはいけない。だから、製作側もなんとかして毎週間に合わせるよう番組を作成する。つまり一つの放送に費やされる時間というのはある程度限度があることになる。たいていは一日がかりで収録されたり、一日で二本分収録したりする。製作費を削減するという必要もある。

反対に本はどうだろう。小説であれば、まず作者は長い期間をかけて構想を練る。たった一つの場面のために何冊もの本を読む。例えば司馬遼太郎は、一つのシリーズを書き始めるにあたってトラック単位で本を収集し、情報を集めるという有名な話がある。ゲーテは『ファウスト』という作品を、60年もの年月をかけて、まさに一生涯をかけて書き上げた。

面白いのは、例えばドラマと小説は、このように費やされた時間にとてつもない差があるのにも関わらず、それらを消費する時間にあまり差はないことだ。当たり前だが、同じ一時間でドラマの一話分を見終えることも、小説の第一章を読み終えることもできる。

これを思いついたときから、あるいは再認識するたびに、自分の人生という貴重な時間を、例えば夜の30分をスッカスカの内容のドラマに回す気にはどうしてもなれなくなった。

費やされる時間が多ければ良い訳じゃない、好き嫌いがある、なんならテレビには多くの人が関わってる、そもそも部類が違う、などというのももっともだ。まあテレビを否定というよりも、本の良さを伝えたいだけだ、よろしく。

最後にタイトルを回収すると、ドラマと本とでは、それにかけられた時間や労力、熱意、こだわりに差があると感じる。人の一生涯の努力や経験、世界観を味わえる、そんな読書に費やす1時間の方が、ドラマのそれよりも時間の密度がちがう。俺個人はそう評価している。同じ理由で映画はありやね。

※完全に主観的意見です




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