本の感想57『悟浄出世』中島敦
この「悟浄出世」は、中島敦の未完とされている小説の連作、『わが西遊記』の一編。
青空文庫(著作権が切れた古典とかが無料で読める電子図書館みたいなもの)を眺めていると、「悟浄出世」の文字が目に入った。前に万城目学の「悟浄出立」という本を読んで気に入っていたから、脳が反射的にこの「悟浄出世」にも期待をしたのだろう、ダウンロードして読んでみた。
読んでみると、万城目学の悟浄出立はこの中島敦の悟浄出世をオマージュにしたのかな?というくらい方向性が同じだった。両者とも、沙悟浄がクヨクヨ悩むのだ。考えてばかりで、「行為者」にならないという点が同じだ。まあ、そもそも沙悟浄という妖怪がそういう設定のキャラクターなのかもしれないけど。
今回の悟浄出世は、まだ悟浄が孫悟空や猪八戒と会う前の状況で、彼が呵責を感じ、不安をおぼえ、後悔に苛まれてばかりいるのを何とか変えたいと、賢人たちに教えを乞うて回ると言うストーリー。
「バケモノの子」という映画で主人公が世の賢人たちに教えを乞うて回るシーンがあったが、そんな感じだ。
あと、どうやって悟空たちと仲間になったかも最後にでてくる。いくつか賢人たちの言葉や、真理的のようでなかなか考えさせるものがあったので紹介したい。
神のみぞ知る
何かを見たり、出会ったり、知ったりしたときに、『なぜ?』と思うのは悪いことだろうか?
究極的な話をすると、
◯人はいつか死ぬ
◯世界の全ての物事は解釈に過ぎず、真実などない
(神のような存在がいるならば、全ての「なぜ?」に対しての答えは神しか分からない)
という観点から、「なぜ?」と懐疑的になるのは無意味に思える。考え方を変えると、物事を素直に受け止められないとも言える。
流沙河という川の妖怪界にあっては、こういった懐疑的な者は病気とみなされてしまう。「そんなことをいちいち考えていたら生きていけなくなる。」「そんなことを考えないというのが、この世の生き物の約束ではないか」と。
普通逆のように思える。物事に懐疑的になり、いろいろな物事の意味を知ることによって、(たとえそれが真実ではなくとも)人生を豊かにできる。自分の中の世界を広げることができる。
どっちがいいのか俺には分からなくなってしまった。むしろ前者のように世界に対して「一種の諦め的な境地」で、一切を考えずに行動できるのも、ある種悟っているとも言える。
文字
文字の発明は、人間世界で生まれ、妖怪にも伝わっていたが、彼らはこの「文字」というものを忌み嫌っている。というのも、生きている智慧が、そんな文字などという「死物」で書き留められる訳がない。煙をそのままの形で手に取ろうとするようなものと似た愚かさだ、というのが彼らの信じるところだからだ。
たしかに、よく考えてみると文字というのも不思議なものだ。この「木」という漢字。これはあの森にいっぱいある「木」を示すものとしよう。と、ある人がある時代に決め、それを周りのみんな、日本国民全員が信じてるから木という文字が自然の木を表す。俺が今日からこれ→木をペットボトルを表すものだと決め、俺が関わる周りの人間にそのルールを無理強いさせれば、俺の世界では今日からこれ→木は、ペットボトルだ。
話を元に戻すと、文字を「死物」と捉える感じが、一種の天才感があっていい。この感性を持つ妖怪たちに芸術に関わることをやらせたら人間よりも優れていそう。
たしかに、人間は言葉のせいで物事をよく観察できなくなっていく。子供の頃、つくしを見つけて、これはなんだろうとかなりの時間をかけて細部まで観察できた。いわば、つくしそのもの、現実のつくしそのものをよく「見て」いたのだ。しかし、つくしという言葉を知ってからは、道端でみつけるつくしを一瞬だけ目で捉え、「あぁ、つくしか」と、ほとんど無視してしまう。つくしそのものを見てはいない。
死は怖くない
「生ある間は死なし。死到れば、すでに我なし。また、何をか恐れん。」
この論法は、ちょっと恐怖を無くしてくれる。子供の頃、死ぬことを考えて怖くなって寝れなくなることが何十回あったか分からないのを思い出した。
我とは
目が三つないことを憂いる無意味さ。爪や髪の伸びを制御できないもどかしさ。人間は、このようなニュアンスの、「自身にはどうしようも無いこと」で悩みがちだ。よく「世界が変わらなければ自身が変わればよい」という名言があるが、このことだったんだな。
接客業をしていて、10人に1人クソ客が来るとしよう。「クソ客」というのは既にこの世に一定数存在してしまっていて、自分がいくら「消えろや」と願ってもどうにもならない。イラつこうが、サラッと流そうが、現実は同じだ。そうであるなら、自分が過剰反応しないように、すぐに忘れられるようにトレーニングするしかないのだ。
これと同じで、自分がクヨクヨ悩んでしまうことが、
◯世界に対してか
◯自分自身に対してか
を一度立ち止まって考えてみてほしい。もし前者であるならば、今すぐ止めるべきだ。どうにもならないから。
ちょっと、本を読み返しながら書いていたんだけど、全てを紹介したすぎて全文引用しないと気が済まなくなってきて収集がつかないからこれでやめにする。この本は、中島敦が「俺のファウストにする」という意気込みで書いたものだ。だからというのか、彼がこれまで培ってきた世界観や人生観、哲学が最初っから全速力で盛り込まれているように思える。「悟浄出世」自体は50ページほどのものだから、是非読んでみてほしい。
最後に
「没我」。これが人間にとっての幸せだ。集中して漫画を読んでいるとき、「わたし」という概念が失われていることがよくある。スポーツをしてる時とかもよく訪れる。よくホリエモンは没頭しろ!といっているが、これは聖人君主的にも正解なんだなぁ。