真の「教育者」になるために全力疾走/迷走中。
こんな風に日々迷いながら、
バスケ部のコーチをしている23歳。
突然だけど、
俺は学校の先生にはなりたくないけど、
教育者ではありたい。
教師が行う教育は、国が定めた教育だけど、
俺は俺なりに人生に必要なものを、
生徒に伝えていきたい。
そんなことを日々思いながら生徒と関わっています。
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もちろん学校の先生の中にも、真の教育者はたくさんいると思います。
(ここでいう真の教育者とは、国の教育ではなく目の前の生徒と徹底的に向き合える人と置きましょうか。)
けど、顧問やその他教師の方々と関わる中で、
大きな流れの力は強すぎて俺はそこに抗う道は選べないと、強く感じました。
これ、ちなみに本当に恐ろしいですよ。
教育は国を作るからね。
この国の教育に不満はたくさんあるけど、
変えてやる!と思うほどの愛国心はない。
俺はただ、大好きなバスケットボールで繋がって、俺についてきてくれた生徒には最大級のお返しをしたい。
それだけの思いで、生活をかけるレベルでチームと向き合ってる。
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こんな自分が教育者を語るなんて烏滸がましいんですが、本気で生徒とぶつかってるから、
教育者の端くれではあるかなて勝手ながら思ってます。
けど、教育者であるということは、
自分の人生ではなく他人の人生を見つめ続けること。
もちろんそれに伴って自分の人生を見つめる機会をもらう。本当にありがたいことだけど。
やはり、突き詰めすぎたり、本気であいつらと向き合ってると、なんだか
自分の存在がよくわからなくなってくる。
一言で言うと、恥ずかしいけど、
あいつらが羨ましい。
中学生に戻りたい。
あいつらは輝いてる。
部活で本気でバスケがしたい!!
俺たちも十分くらいに輝いていることは分かっているんだが、
懐かしくて今とは異質な輝きで、
もう戻れないというスパイスも加わって、
「私、輝きたいんです!」
て、セリフを思いだす。
(花咲くいろはより)
なのであえての、中学時代の駅伝の写真を今回の表紙に。
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こんな風に、強烈に生きたいとか言ってるのにも関わらず、自分の人生が確立してないとこうなってしまうのかと悔しい思いも溢れ出てくる。
けど、俺にとってコーチ業は大きすぎる存在で、自分の人生でもあるというのも事実なんだ。
教育者の皆さんはこんなジレンマに陥ることはあるのでしょうか。
でも、俺は守りに入らずに本気で生徒と向き合いたいし、そうあるべきだと思うし、
そうじゃないと生徒もついてこないと思う。
自分の人生を確立させながら関わるのが、
真の教育者なんでしょうね。
背中で、自分の言葉で語る教師に俺はついていきたかった。
国に与えられた教師像を通した言葉はもういらない。
あなたの言葉が欲しいと今でも思う。
あなたはどんな人生を送ってきたんですか??
と教師には聞きたくなる。
子供だからって舐めてないで同じ人間扱いして、対等にぶつからない理由は自己保身ですか?
子供を子供として扱うと、永遠に子供だよ。
中学生なんて大人だよ。
だからね、俺は自分の弱いところとか、迷っているところとかも生徒には共有したいと思ってる。
だって大人になっても幾つになっても中身は変わらんよ。
外面とアウトプットは変わるけど、みんな悩んでごちゃこちゃしてる。
それを知ってたほうが自分の頭で考えて、
自力で世界を変えようという気持ちになれるでしょう。
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ただ、
言えるのは、
自己実現の手段に生徒を使ってはダメだ。
そして教育を洗脳にするな。
真の教育者になるにはこれは必須。(自戒)
コーチをやれるタイムリミットも迫っていそう。
プレイヤーである方が楽なのは当然だね。
けど、楽しいんだ。これに尽きる。
死ぬほど楽しいんだ。
意見を聴ける人には聴いていこうかなて思う。
有識者の方々教えてください。
教育って、教育者ってなんですか?
花咲くいろは、は見たほうがいいですよ。
新生活が始まる4月の前に特におすすめです。