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【追悼】谷川俊太郎さんに救われた日々

悲しみがいっぱいの朝を迎えた。
ああ、谷川俊太郎さんが亡くなられてしまった。
ご高齢にも関わらず、ご活躍されていたのを陰ながら応援していたのに…
辛かった時、支えてくれたのは谷川俊太郎さんの詩だった。偉大な人だった。まだまだたくさんの言葉を残してくださると思っていたのに。

谷川俊太郎さんの詩との出会いは小学生の時。教科書に載っていた、「朝のリレー」と「生きる」という2編の詩は衝撃を受けた。「朝のリレー」ではカムチャッカの若者から始まり、地球に住む人々の大きなつながりを感じさせる壮大な詩。想像力を掻き立てられ、温かい気持ちになる。「生きる」は今、感じている全てのことが生きるということを気づかせてくれる、リズムも美しい詩。わたしはこの先もこの詩を思い出すだろうとその時予感したのは間違えてなかった。

20代になってから谷川俊太郎さんの詩が読みたくなり、買って夢中で読んだ。20代中頃、高校生の時からつきあっていた彼とも上手くいかず、父が亡くなり、仕事も激務と辛いことが続いたため、谷川俊太郎さんの詩にとても救われた。同じく辛い時期を過ごした友達と、定期的に井の頭公園で谷川俊太郎さんの詩を音読した(暗すぎる!)。

涙は汗と同じもの
ふかなくたってすぐ乾く
ハンカチなんて要らないわ
風にむかって歩くだけ
ガードをくぐり坂を下り
知らない街を歩くだけなの

なまあたたかく塩からい
夜の渚に光ってた
幾百万の夜光虫
夏のあの日の思い出は
苦しいくせに何故甘いの

涙は雨とまじりあう
風が運んだ俄雨 
雨傘なんて要らないわ
骨のずいまでびしょぬれて
まっすぐ前をむいたまま
知らない街を歩くだけなの

「歩くだけ」  うつむく青年 詩集 谷川俊太郎

この情景、この感情、今のわたしと一緒だ。とすごく共感して繰り返し読んだ。歩くだけ。そう、わたしはひたすら歩きたい、雨にぬれながら、この詩のように。想像すると気持ちがすっきりするのだった。

うつ病になった時、谷川俊太郎さんの本を買った。

ときどき思う、死んでからヒトは、生きていたことが、生きているだけでどんなに幸せだったかを悟るんじゃないかって。

幸せについて 谷川俊太郎

そうかもしれない。生きているだけで、わたしはきっと幸せなんだ。だから、どうしたら幸せになれるかなんて深く考えないで、もっとシンプルに生きていってもいいのかもしれない。と心が軽くなった。

谷川俊太郎さんは様々な詩を書いた。わらべうたもあれば戦争について書かれた詩もあった。絵本もたくさんつくられた。海外作家の絵本などの翻訳もされていた。ゴフスタインの絵本は大好きだった。いつもそこには言葉があった。どうしてこんなに素晴らしい言葉が溢れ出てくるのだろう。尊敬という言葉じゃ足りない。たくさん励ましてもらった。大好きだった。
「死」についてもたくさん書かれていたように思う。「死」についてこんなに考えた詩人もいないのではないだろうか。今、谷川俊太郎さんがどんなことを思っているのか、言葉が聞きたい。

誰にもせかされずに私は死にたい
扉の外で待つ者が私をどこへ連れ去るとしても
それはもうこの地上ではないだろう
生きている人々のうちにひそやかに私は残りたい
目に見えぬものとして 手で触れることの出来ぬものとして

「誰にもせかされずに」 自選 谷川俊太郎詩集

わたしの心の中にひそやかに残っている。これからも残り続けるだろう。

谷川俊太郎さんありがとう。
どうか安らかに。
心からご冥福をお祈りいたします。

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レモン
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