「失はれる物語」感想
ミステリ大賞を受賞した乙一のGOTHという本が面白くて、同じ作者の別の本も読んでみたくなって手に取った本。
この本は短編集なのだが、その中の一つがとても切なくて心に残っている。
そのお話は表題にもなっている「失はれる物語」。
交通事故に遭って植物人間となった夫と見舞いに訪れる妻の交流を描いたお話だ。
このお話が良かったのは、夫の視点から世界が描かれるところだ。
植物人間となった夫の一人称で進むのだが、夫の視覚も聴覚も失われているから世界は暗闇に包まれていて何も聞こえない。
嗅覚も働かずあるのは触覚のみ。それも片腕のひじから下だけで、夫にできることは人指先をほんの微かに動かすこと。
そんな絶望的な状況で、それでも夫の指先がかすかに動くことに気づき、指先の微かな動きを通じて交流することができるようになる。
その奇跡のような交流は温かく、音楽をしていた妻が夫の腕をピアノの鍵盤に見立てて演奏をするなど詩的な表現もあって儚い美しさを感じさせる。
だがこの美しさが切ないラストに向けての始まりなのだ。
暗闇。
夫の置かれた環境はこの一言に尽きる。
妻という光が一日のうちの数時間を明るく照らしてくれるが、それは同時に夫のいる暗闇をより色濃くさせる。
では妻は?
夫にとって妻が光であったように妻にとって夫は光になりえただろうか。
最初は抱いたであろう回復への希望も、変わらない日々の中で色あせる。
妻は疲れていく。
夫もそれを感じる。
この二人が老夫婦になってからの事故であれば、このまま看取るまで続いた日々だろうが、二人はまだ若かった。
妻の疲れ、苛立ち、焦燥。
視覚も聴覚も失われた夫にとって皮膚からの感覚はとても鋭敏になっていただろう。だからこそそこから推しはかられる妻の心の動きはとても心に迫るものがあったのではないかと思う。
そうしてこの夫の出した答えがとても切ない。
私たちは誰しもが物語を持っている。
それはつまらない物語かもしれないし、ドラマチックな物語かもしれない。くそったれな物語かもしれないし、平凡だけど温かい物語かもしれない。
どんな物語を持っているにせよ、それを語る気になれば語ることができるし、人と関わればその中で物語が紡がれてまた広がっていく。
たとえ人と関わらない選択をしていても、ネットで何かをつぶやいたり表現したりできる。
数えきれない選択肢の中にいて、物語が終わる時を知らずに生きている。
もし自分が暗闇の中に置かれていたとして。
たった一人、妻だけがこの暗闇の中にいる私を照らしてくれたとして。
そんな存在は世界に妻しかいなかったとして。
私に妻を手放すことができるだろうか。
妻がいなくなれば、私は未来永劫暗闇の中にただ一人になる。
誰からも顧みられることもなく、何も見えず聞こえない暗闇の中だ。
妻の疲れを感じていても、世界に妻しかいなくて妻を手放せるだろうか。
自分の存在が妻の重荷となって苦しめていると分かっていても、それができるか私には怪しい。
愛していたら、愛してほしい。
愛しているから、自分が愛されなくなっても相手の幸せを願うなどといった高尚なことは私にはできそうにもない。
こんな風に書けば、この夫の選択が何だったのかは分かるだろう。
失われたのだ、彼の物語が。
その最後の最後に妻の幸せを願った、それがこれから暗闇の中で生きる彼を支える矜持となるのだろうか。