【製本記】 木を植えた男 | 丸背上製・半革装
ここのところルリユールの作業にかかりきりで、なかなか本ができあがらない。そこで、以前つくった本の記録も残していこうと思いついた。つくってから随分経つものもあるので詳細はうろ覚えだが、製本様式や製本材料について、思いだせる範囲で記そうと思う。
まずは、ジャン・ジオノの『木を植えた男』から。南フランスはプロヴァンスの荒れ地でひたすら木を植えつづけ、何十年もの時間をかけて森をよみがえらせた男、エルゼアール・ブフィエの物語だ。この作品は、横組で左開きの大型絵本でおなじみだが、これは縦組で右開きの文芸版。ゆったりした文字組で読みやすく、余白がたっぷりとられているため改装にも都合がいい。
角背上製だったものを、丸背上製の半革装に仕立てた。もともと無線綴じだったものを解体し、短冊状の和紙でノドをつないで折丁にして、フレンチ・ソーイングと呼ばれる手法でかがっている。
束幅(本文の厚さ)8ミリほどの薄めの本だが、そこそこきれいな丸みをだせたような気がする。丸みだしは、薄すぎても厚すぎてもやりにくいのだ。
背に使っているのは黒の「モロッコ革」(シボのある山羊革)で、ルリユールの端材を活用している。半革装といえば通常は背革の幅をもっと広くとるのだが、あえて極端に狭くしてみた。と、ここまで書いて思いだした。背革を狭くしたのは、端材がそれしかなかったからだったような……。とはいえ、この不思議なバランスが気に入っている。
背の題字は金属活字による箔押しで、築地活字の角ゴヂを使用。黒い革に金の箔って、やっぱり最強だ。互いに拮抗し、互いに引き立て合っている。
表紙の平(ひら)には、ツヴィリンゲさんのクライスターパピアを。クライスターパピアとは「糊染め」のことで、糊を混ぜた絵具で模様紙をつくる技法だ。有機的な線の織りなす複雑な模様。まるで大木の樹皮のようだと思って選んだのだが、あらためて見ると、山野の地層か、あるいは木を植えつづけた男の山土と同化した皮膚のようでもある。
さらに、表紙の前小口(本を開く側の辺)を背と同じ革でくるんでみた。チリ(表紙の本文より大きい部分)と同じ3ミリほどの幅で、かなり作業しづらかったのを覚えている。これまた端材の面積の問題もあったと思うが、それ以上にあえて細くしたかったのだ。さわってはじめて「あ……」と気づくくらいの、寸止めの装飾。こうした仕様を何と呼ぶのかわからないのだが、コーネル装の亜型、ということになるだろうか。
悔やまれるのは、表紙をビゾーテしなかったことだ。「ビゾーテ」とは面取りのことで、革に重なる紙端の裏面を鋭利な刃物で薄く削ぎ、より平滑に仕上げるという一手間だ。とはいえ、失敗すれば一点もののクライスターパピアをダメにしてしまうわけで、当時のわたしは自信がなくてあえてやらなかったのかもしれない。
しかしながら、この本、まるで一本の木のような佇まいをしている……といったら、手前味噌だろうか。厳しい環境のもと、わずかな養分を糧に根を伸ばす木。若木の季節を過ぎ、老木となりつつある木。けれど、ちらりと見える花布(はなぎれ)は、生命の息吹をまんまんと湛えた深緑をしている。
樹皮のような表紙を開くと、そこには森が広がっている。という気持ちで、花布同様、見返しもまた生い茂る葉むらのような深緑を選んだ。t「ビオトープ」というファインペーパーで、色名は「フォレストグリーン」という。
糸かがりなので開きは上々。180度開くと、見返しの深緑が本文を縁取り、物語の背景に森が現れる。
ちなみに、文芸版にも絵本と同じ挿絵が載っているのだが、絵本では断ち落としで大きくレイアウトされているところを、こんなふうに余白をとって配置されている。そのおかげで、改装の工程で本文の三方を化粧断ち(背固めのあとの断裁)しても、あまり影響はなかった。
つくったものについて言語化するって、大事だ。こうして書くことで、いつのまにか忘れていた「この本をつくったときの気持ち」がふつふつとよみがえってきた。わたしは、本を木に、物語を森に見立てていたのだった。
森は、木々が集まってできている。だけど、この本では「一本の木の中に森がある」という逆説を形にしたかった。あたかも、ブフィエという一人の寡黙な男の中に、森を再生する力が宿っていたように。
●『木を植えた男』ジャン・ジオノ/フレデリック・バック 画/寺岡襄 訳(あすなろ書房)