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【製本記】 飛ぶ教室 08 | 本という方舟

本をつくってばっかの日々。編集者として本を編みながら、時間を見つけては製本家として本をこしらえている。編集した本は世にでて光を浴びるが、製本した本は暗所に埋蔵するだけの習作も多く、せめてここに記録する。

表紙の見返しに糊を入れる。見返しに選んだのは、フランスの老舗製紙メーカー、キャンソン社製のミ・タントというドローイングペーパーだ。蜂の巣のような紙目が特徴で、紙端には社名の透かしが入っている。『飛ぶ教室』の主人公の一人、少年マルティンは絵が得意で、作中には絵を描くシーンがいくつか登場する。それもあって、ミ・タントを使うことにした。

見返しの糊入れは、何度やっても綱渡りだ。チリ(見返しの外側の余白)が均等にならなかったり、ノドのあたりにシワが入ったり、何かと失敗しやすい工程なのだ。「これなら間違いない」といいきれるやり方もなく、糊を入れたらすぐに開いてこする派と、すぐに閉じるノータッチ派がいる。

つまるところ、いま起きていることとこれから起きうることを見渡せているかどうか、なのだと思う。例えば、糊を入れると見返し用紙が水分を含む → 水分を含むと伸びる(ただし、用紙によって伸び方が違う)→ 伸びると貼り位置がずれる or 伸びた分だけシワになる。こんなふうに数珠つなぎになった、しかも何通りにも分化していく因果関係の全図を手に入れるしかない。そして、全図を手に入れるには、ひたすらつくりつづけるしかない。


しかし、編集の仕事と日常の雑事の合間を縫ってつくりつづけたところで、生きているうちに一体あと何冊つくれるだろうか。製本に限らず、何でもかんでも人より時間のかかるわたしは、こういうことを考えるとぞっとする。だけど、こんな話は『飛ぶ教室』の作者、エーリヒ・ケストナーにはとてもじゃないけど聞かせられない。

日本では児童文学作家として知られているケストナーは、祖国ドイツでは詩や政治時評、劇評でも名を成していて、詩集や評論集を複数出版している。舞台や映画の脚本も書いたし、再話絵本も手がけた。そのうえ編集者としての顔ももっていて、学生時代から新聞編集に携わり、終戦後は文芸欄の編集長を務めたり、青少年向けの雑誌『ペンギン』を創刊したりもした。

これほどエネルギッシュに仕事をしたケストナーだが、本当はこんなもんじゃなかっただろう。ケストナーがナチス政権下で執筆を禁止されたのは、年齢でいえば30代後半〜40代前半、作家として意欲と体力に満ちていたはずの12年間だったのだから。


ケストナーがこの世を去って50年近くが経つ。ナチスの圧政がなければ、世界戦争がなければ、もっと多くの作品を残していたかもしれない。だがそれよりも、彼の作品がいまなお世界中で読み継がれていることに価値がある。わたしたちは、いつでも生きたケストナーに会うことができるのだ。『エーミールと探偵たち』を開けば幼いケストナー君がいる。『点子ちゃんとアントン』を開けばケストナー先生がちょっとしつこいくらいに熱っぽく語っている。『飛ぶ教室』を開けば、ケストナーの真心に触れられる。

本というのは、すばらしいものだ。まるで方舟のようだと思う。小さく、脆く、頼りないように見えて、よい材料でもって丹精込めてつくられたものならば、長い航海にも耐える。時間の底へ沈まぬ限り、作家をのせてどこまでも進み、読者と出会っては別れる。いや、それだけじゃない。新しい時代の新しい読者に出会うたび、方舟そのものが堅牢さを増すこともある。


そう実感したのは、2022年のはじめ、図録『どうぶつかいぎ展』を編集したときのことだ。これは、ケストナーが第二次世界大戦後のカムバック第一作として発表した絵本『動物会議』をモチーフにした美術展の記録で、絵本作家のヨシタケシンスケさん、画家のjunaidaさん、現代美術家の鴻池朋子さんら、8人の作家が『動物会議』について語っている。

絵本『動物会議』は、戦争と平和をめぐる物語だ。戦争をやめない人間たちにしびれを切らした動物たちが、あの手この手で停戦を迫り、平和を勝ちとる。ケストナーらしい飄々としたユーモアとヴァルター・トリアーの愛嬌たっぷりの挿絵に彩られ、一見おもしろおかしい作品に思える。でもこれは、東西の冷戦で軍拡競争へ傾きはじめた世界への痛烈な風刺でもあった。

いまを生きる作家たちは、果たしてこの物語をどう受け止めたのか。ヨシタケさんは「意地悪な見方をすれば『話し合いですべてを解決することはできない』、さらにいえば『人間は人間の問題を解決できない』ともとれる」と話した。junaidaさんは「今現在の僕らもあらゆる未来をどこかの誰かに委ねつづけていることに気づかされた」といい、鴻池さんは「敵の強い力を打ち負かすには強い正義をふりかざすしかない。そうすると結果的に、善と悪は似たような構造になる」と語っていた。

これらのことばに共通しているのは、『動物会議』という作品が「いま」と向き合う糧になっているという点だ。声を枯らして反戦を叫ぶケストナーをのせた方舟は、21世紀の読み手のもとへ流れつき、発表当時とは違った意味を帯びて現代の課題に対峙している。


一冊の本が投げかける波紋が、どこまで広がるのか。それはきっと、書き手にすらわからない。そこにこそ本の可能性があると思う。

もしもケストナーがこの時代にやってきたなら、「まさかまだ戦争をやっているとは……」と激怒するだろう。だけど、ケストナー作品を読み継ぐ人々のことばを聞いたなら、あの立派な眉毛をピクリと動かして、きっといってくれる。「まだ希望はある」と。

さて、見返しに糊を入れたら、プレス機に挟む。ひと晩置いたのち取りだして開いてみると、まずまずきれいに貼れていた。これにて製本工程は終了だ。題字の箔押しを依頼して、完成を待とう。ケストナーさん、あなたに捧げる新しい方舟が、もうすぐできますよ。


●『どうぶつかいぎ展』永岡綾 編(ブルーシープ)


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