【認知のバイアス?!〇〇を上げれば人生が変わる!?】
こんにちはリレクションズです。
仕事や勉強や新しいことを同僚や新人、子供に教えたりするのが上手くいかないことありませんか?
なぜ同じ説明をして理解できる人とできない人がいるんだろう?と。
私たちは人の見方を上手く察する事が出来なかった時、
自分と同じ態度や気持ちを他者が理解してると誤認してしまったり 、
自分の落ち込んでる気持ちに 、人がきちんと察知できると思い込んだり 、
人を評価するときに自分自身を基準にしたり 、
他人にどう評価されるかを予想するときに自分自身の経験を頼りにしたりすることがある 。
ほかのかたちでも時々厄介なことになりかねない 。
自分の知識を頼りに『あいつは頭いいかな?』なんて他人の知識を推し量るのもそう 。
人はみな 、自分の持っている情報や知識を、
伝えなければ他人が知るよしも無いことを 、
時々忘れてしまう。
この種の誤った見方は 、時々 「知識の呪い 」と呼ばれるらしい 。
私たちはあるテ ーマを事柄を知ると 、その知識を持たない状態が想像しにくくなり 、
ほかの人々が自分と同じ水準の知識を持っていないかもしれないということが 、すんなり受け入れられなくなる 。
コーチングで言う心理的盲点・スコトーマだ。
例えば、保険商品の説明を受けた時や、デリバティブ、急に経済について熱く語られたりしたときのことを考えてほしい 。
会話の途中で 、この話し合いがなぜこうも抽象的なのか 、なぜ自分はこんなに頭が混乱しているのかと 、
話が全く理解できない事を不思議に思いはじめたかもしれない 。
私がきちんと注意を払っていないから 、話についていけないのだと 、自分を責めたかもしれない 。
だが実際には 、相手の専門家が得意分野の用語や抽象的な知識を使って 、あまりに速く話しすぎ 、
そうしているうちに 、自分が知っている知識にあなたがアクセスできないかった可能性はじゅうぶんある 。
今日もカーネギーメロン大の実験です。
経営学の学生に 、ある画像をいくつも見せた 。
参加者は次の3つの条件のどれかに割り振っておいた 。
第 1の条件では 、参加者には 、画像について何の情報も与えなかった ( 「無情報 」条件 ) 。
第 2の条件では 、参加者が画像の違いを探す前に 、その違いを教えた ( 「情報 」条件 ) 。
最後に 、第 3の条件では 、参加者には 、料金を払って違いを教えてもらえる選択肢を与えた ( 「選択 」条件 ) 。
第 3の条件を加えたのは 、役に立つ可能性も立たない可能性もある情報を得るために 、
参加者が現金を使うかどうか確かめるためだった 。
どの条件でも 、参加者には 「無情報 」条件の参加者が違いを突き止めるパ ーセンテ ージを推測するように指示し 、
その予想の正しさに応じて謝礼を支払った 。
あなたは 、どんな結果になったと思うだろうか ?
「無情報 」条件の参加者のうち 、画像の違いを突き止められた人は約 2 0パ ーセントしかいなかった 。
だが 、それよりもっと興味深いのは 、情報を与えられた参加者が 、
与えられなかった参加者と比べて 、このパ ーセンテ ージを大幅に過大評価した点だ 。
情報を与えられた参加者は 、与えられていない参加者の 5 8パ ーセントほどが違いを突き止められると思ったのに対して 、
情報を与えられていなかった参加者は 、およそ 3 0パ ーセントと見積もった 。
この実験からは 、ほかにも特筆に値する結果が得られた 。
「選択 」条件の参加者の 2 9パ ーセントがお金を払って違いを教わり 、
この情報にお金を払ったせいで 、彼らの推定の精度が落ちたのだ 。
彼らは 、情報を与えられていない参加者の約 5 5パ ーセントが違いを突き止めるだろうと推定した 。
情報を手に入れないことにした参加者は 、このパ ーセンテ ージをおよそ 3 5パ ーセントと予想した 。
つまりこの実験では、自分の特権的な情報を得た参加者は、
それを持たない他の参加者に簡単に答えはわかるだろうと判断し、
自分の判断を偏らせるような情報にお金を払ってまで
自分の受け取る謝礼を減らした 。
以前取りあげた 、高価な助言の実験のときと同じで 、参加者は自分がお金を払った情報に耳を傾けすぎた 。
これは多分、それを得るのにお金を払った事実を正当化するためだろう 。
人間はほとんどの場合、一度得た情報によりバイアスが生まれてしまう。
それによって選択を間違ってしまうことも。
ではどのようにしてそれを避けるか?
それはあらゆる情報を踏まえて高い視点から考える。
いわゆる抽象度の高さが必要になる。
良い選択をしていくために鍛錬は絶やしてはいけないと言う感じですね。