職員室って誰のもの?
※ 木村泰子さんと学校関係者のみなさんによる対話の動画「エドカフェ」シリーズ、No.23「改めて考える、職員室の空気」から、木村泰子さんの言葉を拾って書き出したものです。
〜泰子さんのことばより〜
どういうのがいい空気。どういうのが悪い空気。
この考え方が二項対立。みんなが言う「いい空気」が吸えない人もいる。
「ゴールをひとつに。」っていうけど、30人いたら30通りのゴールがある。
初めて来て「ここに自分の居場所見つけられるかな?」って不安になっている人に、まわりがどうしたら安心できる空気をつくれるか?
「そもそも職員室ってだれのもの?」
多くの先生は「教員のもの」って答えると思う。
それは今までのあたりまえ。それを問い直そう。
職員室がある目的は?
正解なんてない。みんなであれこれ考える。
<大空小のエピソード>
4年生で大空小に転校してきて、「学校なんてぶっ壊してやる!」と言っていたせいしろうが、地域の方を案内しているとき、職員室に来て
「ここは大空小の子どもたちが1番安心できる部屋です。」
とプレゼンしていた。
卒業生が言った。
「大空小の職員室は、困っている子のことをいつもみんなでどうしたらいいか相談していた。それを見ることで私は安心した。」
学校のあたりまえを変える。職員室のあたりまえを変える。変えることで、先生たちの仕事がスリムになって、明日から学校に来るのが楽しみになる。
他の教室に入って学ばせてほしいとき、
「ここでいっしょに入って学んでいいですか?」
って聞く相手は担任でなく子どもたち。
「いいよ〜」って言ったら、
「子どもたちいいって言ってくれたから失礼します。」でいい。
見られると困るという先生は「自分がちゃんといい授業しなきゃ」という意識にまだとらわれているのでは?
<大空小のエピソード>
子どもが職員室に入ろうとしたら「ここは勝手に入ってはいけません!」と言う先生がいた。(仮にA先生とします。)
「どうして?」と聞くと、
「子どもの個人情報や見られると困るものが置いてある。」
とA先生は答えた。
「じゃあどうしたらいい?」
ここからが対話スタート。
結局机の下に鍵付きのロッカーを買ってもらった。
でもこれだけでは「子ども入っていいよ〜」とはならない。
「次に何が困ると思う?」
先生たちみんなで対話した。
「子どもの話、悪口など言ってるのを聞かれたら困る。」
などなど・・・そんな話をしていくと最後は教員としての権力が残る。
1人の人として子どもに向き合っているというより、教員として、子どもを管理監督しているという・・・
その後のA先生と泰子さんの会話
A先生 「入っていいですか?と許可をもらえば入っていいんですよ。」
泰子さん「先生職員室入るとき誰かの許可もらってる?」
A先生 「なんでわたしらが許可もらわなあかんのですか?」
泰子さん「職員室って先生の部屋ですか?」
A先生 「そうですよ。職員室は私の部屋です!」
泰子さん「お部屋代出してるん?」
A先生 「ええ〜?!」
泰子さん「税金やで税金。」
「学校にあるのもぜ〜んぶ税金やで。マイルームなら自分で部屋代 出さな。」
A先生 「あ、そうか〜」
この話題を先生たちと共有したらいろんな話やアイディアが出てきた。
「だいたい子どもたちに片付けろと言いながら、先生たちの机めっちゃ汚い。」
せいしろうが地域の人に案内したときも開口一番
「ここは学校中で1番散らかっている部屋ですけどどうぞ。」と言っていた。
若者先生がカビ生えた饅頭とか置いてる。これは常識外!
「どうしたらええやろ?」ってみんなで話した。
ここで最上位の目的を忘れたらあかん。先ほどのゴールの話も「誰一人取り残さない学校にする」という最上位の目的をゴールにするなら問題ない。
この最上位の目的につなげるための「職員室はどうあればいいか?」という対話に進まないと。
「職員の負担軽減」って言ったとき、子どもが自由に入ってきたら先生たちのストレスが溜まっていくような学校つくっていたら、いつまで経ってもしんどい状況変わらない。
机上にプリント配るのが大変だからと、地域の方に頼んで職員ごとの棚を作ってもらったこともあった。そういうつながりから、地域の方が子どものためにどんどん学校へ入ってきてくれるようになった。
本音を出したら当然対立が起きる。対立はあたりまえ。それを避けていたら変わっていけない。対立を対話で埋める。
職員室で先生たちがけんかしているのを子どもが見る。
「先生もけんかするんか?」
「みんなもけんかするでしょ?そのあとどうなる?」
「仲良くなる。」
「じゃあ大人もけんかしたら仲良くなるかな?じゃあ放っておこう。」
2人は一度職員室から出て行ったが、しばらくしたら「ご心配おかけしました!」と帰ってきた。
「子ども見てるよ。」とか
「けんかやめな。」とか校長が言ったらしんどくなる。
言いたいことを途中で止めるのでなく、言い切ってしまえば納得する。そこで自分を振り返られる。
なんで職員室でけんか?って思うことも正直ある。でも職員室が安心できる場所だから、誰かが見守っていて何か言ってくれたりもするからけんかできる。
いつも最上位の目標に向かって、いつも確かめ合って、人のせいにしないで、自分を問い直す、ということが普段からある。だからできる。普段から言い合える環境が職員室にある。
文句を意見に変える。そこには覚悟が必要。これを1番大切にしていた。ただ他人を否定するだけはただの文句。どうしてそう思うの?と問い返す。今のは文句?意見?それをいつも問い直す。
文句を言っても「アウト」って校長やベテランが軽く言える。ベテランが校長に向かって「アウト」と言える。そうすれば若者も楽。「アウト」って言ってもらえることが大事。それが言えてこそ安心できる職員室。
「これでいい」と思ったら三日後には崩壊する。日々、時代も人も変化している。「これでいい」はありえない。
職員室のネーミング変えるっていいね?!
保護者→サポーター
校長室→やり直しのお部屋
と変えたけど「職員室」は変えてなかった。
いい考えあったら聞きたい。
冒頭で、今話題の本「子どもたちに民主主義を教えよう」(苫野一徳×工藤勇一)に、エドカフェの話題が載りました!との紹介がありました。(P104)
エドカフェNo.19、大学生を交えての「よい教師とは?」をめぐる本質観取の哲学対話での「教師の仮面をかぶらない」というキーワードが出てきたお話です。 (参考記事↓)