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娘の誕生日に感じたこと        ~抱っこセラピー♾️🦭🐾~       

先日、娘が6歳を迎えた。

今になって感じること。
(子どもたちが生まれてから、
10年ほど経ちました、そんな今)

いつも、わたしがガチガチになってるときや
何かをしようと力が入っているときに限って

抱っこしてって言ってくる。

その要求に仕方なく抱っこしたこともあったし、
「今はできない」と突っぱねて
“やりたいこと”を優先したこともあった。
抱っこはしても、心ここにあらずなこともしばしばあった。

でも

抱っこしてもらっていたのは
いつだって、わたしのほうだった

子どもたちに、
してあげていると思っていたけど、
比べ物にならないほどの恩恵をうけとっていたのは
間違いなくわたしのほうだった。

子どもたちが居たから
今のわたしがある。

体験させてもらって
両極まで振りきれては戻り...
を繰り返してきたけど

そのどれもが、かけがえのない経験として
わたしのなかに刻まれている

書ききれないほどの...
思い出せないほどの、
いろんな感情にのまれたこともあったけど。

“こうあってほしい”
わたしの過去の経験から想像できる範疇なんて

生まれたときから
子どもたちは、はるかに越えていた

いつの時代も刻々と変化している
子どもたちにとって、それは当たり前のこと

(わたしも過去に、親世代はわかってくれない!
と感じたことがあった。そういう方も多いと思う)

娘はとっても
楽しそうにケーキをつくっていたけれど

これも
もっと、も~っと独創的でもいいんだよね
...♩なんて、ふふと思う。

一緒に果物を買いにいき、子どもたちと生地をつくったり
リクエストのチョコクリームに初挑戦し、娘が楽しそうにデコレーションする姿…この過程に、充足感が満ちました…✨

体験を通して気づかせてもらったことが溢れた今、
わたしだからこそ
伝承したいことが湧いている。

すべての人のなかにある感性を尊ぶこと

わたしのように忘れていたら
思い出せること。

今は、内にゞ気持ちが向かっていて
日々学びを深めています
(シュタイナー手仕事、
この世界観にどっぷりとひたっています)
───────────────────◌

こども(相手)のためにやってあげている、
という動機がはじまりだと、

期待どおりにならない
パラドックスが生じる

「こども(相手)のため」と思ってやっている事は

わたしがしたいからやっている
という意識をもつことは、
可能性をひろげてくれると思う


子どもたち(=わたしたち)は
計り知れないほどの
無限の可能性を秘めているから💎✨

心配の波動でいるより
子どもたちを信頼する
=わたしへの信頼を深める

という意識でいることが大切だと感じるし、
わたし自身ずれたら、そこに戻るように意識している。
───────────────────

アドヴェントスパイラル(クリスマス時期のもの)
の機はすっかり逃してしまったけれど。

シュタイナー手仕事の学びを復習している中で

娘の誕生日にやるのもいいな、と思い立った

子どもたちと3人で
それぞれに大きなロウソクから火を受け継いで、
自分のロウソクに火を灯した🕯️🕯️🕯️

厳かに、とはいかなかったけれど…。

光(太陽)と闇、誕生と死、言葉ではなく感じられることを大切にするという世界観(特に幼児期)
闇も光も、どちらも無限であり、
すべての人の中にあるもの、
光は自ずと放射していくもの...。

光を内に宿す人の自然な流れは、留まっていない。常に発せられて、流れて広がっていくのが特徴。
そして
光は自分のなかに温存することはできない、自然と外に広がっていく...。

光は揺らぐこともあるけれど、
闇が深ければ深いほど、光はより一層輝く、
そして、光が集まると輝きは増すと想像する。

大人数でのアドヴェントは、
体験したことがまだないが、
ロウソクの火が集まることを想像すると、
まずは己の光の美しさや大切さに気づき、
他の光を感じる中で、安堵感、一人ではないこと、他の光の美しさにも見惚れることが、
体験を通して感じられるのではないか、と浮かんだ。

体験することで
心に“何か”を生み出すと信じられた

今回、もみの木もリンゴロウソクも真っ暗闇な空間も…本当に何もかも準備万端できなかった

でも「今あるものでやってみる」体験ができたことで、わたしの内面の自己信頼に繋がったように感じる
 
「今あるものでやってみよう」

そう思えるのは
学びのなかで本質に戻る体験と
愛を受けとらせていただいていること

また子どもたちがいてくれて
目の前で、まずやってみる姿を見せてくれているから、と感じる


この時の写真は撮っていないけれど
蝋燭の灯りは、とても素朴でそれだけで静かな喜びを感じた

───────────────────
わたしが、
何かをしてあげなければ…と思えば思うほと
緊張や不足が伝わる
(セラピストをしていた過去のわたしにも
言ってあげたい笑)

施術する側が、緩んでいることが何より大切

その緩みによって、
自然と治癒する方向にご本人が気づく
(治癒は、はじめはたったひとつの細胞から始まる)

子供に触れるときも、
やさしく触れることが、一番の癒しにつながる
(毎日必死に長男にベビーマッサージしていた
時代のわたしにも言ってあげたい笑)

ガチガチなときもある…
(小さい子どもたちを現代社会で育んでいると
それだけで、とてもエネルギーがいるから
そんな時がほとんどかもしれない)

でも、ガチガチになっている自分に気づいたら

まず自分を緩ませてあげることを優先する

練習していくうちに、
じぶんにとってのコツができて、
本来の状態に早めに戻れるようになります


光と影の織り成す、
はっと息をのむような光景を見るのがすき


お母さんがガチガチになってるときや
何かをしようと力が入っているときに限って

子どもたちは抱っこをせがむ

それは、
お母さんに緩んでほしいから
笑っていてほしいから…かなって感じるようになった

わたし自身、
わが子を一番抱っこしたかった時期に
こころから可愛いなって
抱っこできなかったことが多かった…
(今になって、ぎゅ~っしてるわたし(*/∀\*)…苦笑)

声を大にして言いたい
(伝わるといいな)

そんなときは
まずは、すこしでもほっと呼吸を深くゆるめて
抱っこしてあげる…🧡

めぐり巡って

抱っこしてあげてるようで

抱っこしてもらっているのは
大人のほうだなぁって。

今、目の前にいる
子どもやペット、純粋な存在を

抱っこしているときのセラピー効果は

何にも変えられないほどの
癒しにつながるなぁって思います🌸

(でも、気持ちがそこに向かわないときもあるもの。
誰かに頼ったり、
生まれたときのことを思い出したり
いったん落ち着いてお茶を飲んだり…
心地よいこと優先がいい😊)

こういう、心からほっとする瞬間は
どんなものにも愛を見いだせるような状態に
瞬時にわたしを連れていってくれる🦭🐾

わたしたちは
本来の状態で居ることが何より大切

こんな風に…
こころが満たされる感覚は、
何でもない日常にこそ、ちりばめられいると
感じるようになった

いつもこころを寄せてくださり、感謝します…✨


         
 Thank you🕊️ 智子 ~


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