【藤原道長⑤】え!? 2人の兄がいなくなり いきなり道長の出番!?
歴史の楽しさを「人物相関図」を使ってご案内しているnoteです。
今回のシリーズは 平安時代にあり得ないレベルで栄華を極めた藤原道長。
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前回の記事では、道長の兄・藤原道隆の娘の定子(ていし)が一条天皇に愛される様を描きました。記事はコチラ↓
今回の記事では、道長の長兄・道隆、次兄・道兼が相次いで他界してしまうジェットコースター展開を描いていきます。
道長もそして京の都中がビックリ!な急展開です。
父・兼家が他界 兄・道隆の華麗なる時代がやってきた
孫の一条天皇を即位させ 自らは摂政→関白となり絶大な権力を握った藤原兼家。道長のお父さんですね。
この兼家が病気で他界してしまいます。
この兼家の跡を継ぐのは長男・藤原道隆。
父から関白の座を譲り受けます。
さて、この「摂政」「関白」について。
摂政・・・成人していない幼い天皇や女性天皇を支える家臣
関白・・・成人後の天皇をサポートする家臣
です。
どちらも天皇の最も近くで仕え、時によっては自分の意のままに政治を操ることができる最強のポジションです。
ちなみに必ず置かなければいけない役職ではありません。
この「摂政」「関白」をある時期、ほぼ独占したのが藤原氏。
ゆえに「摂関政治」と言われるのですね。
ちょっと強引じゃない!? 道隆サンのグイグイ路線
さて、兼家の後継者となり力をふるう藤原道隆。
一条天皇のもとに入内していた娘の定子を正式な后である「中宮」にしてその地位を盤石なものにします。
また、まだ若い長男の藤原伊周(これちか)をグングン出世させていきます。
道長はというと。
中宮 定子を世話する役所の長官である「中宮大夫(ちゅうぐうだいぶ)」に就きます。
そして、甥にあたる年下の伊周に出世で抜かれていきます。。
道長 お兄ちゃんファミリーについていくしかない状態ですね。
権力を自分の一族で固めていく道隆のやり方がちょっと強引だったため、
周囲は少し引き気味に。
特に親の威光で出世した伊周は不遜な態度をとることもあったとか。
ということで、この道隆ファミリーをよく思っていない人たちも現れてきます。
強引なやり方って人の気持ちは離れちゃうんですよね。。。
それは平安時代も現代も同じ。
このことが、後の道隆ファミリーの凋落の遠因ともなっていきます。。。
道隆が病死! 道兼も病死! ジェットコースター展開に
さて、そんな栄華を極めていた道隆ファミリーに突然の悲劇が。
道隆が病死します。
糖尿病だったと言われています。
酒が大好きだった道隆 飲み過ぎがたたったのでしょうか。。。
息子の伊周や娘の中宮・定子は悲しみに泣き濡れます。。。
さて。道隆亡きあと、その後を継ぐのは兼家の次男・藤原道兼です。
花山天皇に「一緒に出家しましょう」と誘導して自分は出家しなかった、あのダークサイド担当・道兼です。
「ついにオレの番だ!」
とハリキリますが。。。
なんと、関白に就任して数日で疫病で他界してしまいます。
このころ、都では疫病が大流行していたのです。
民衆はもちろん、道兼以外でも貴族たちも大勢がこの疫病によって亡くなりました。
権力トップに昇り詰めたのにあっという間に他界してしまった道兼は「七日関白」と呼ばれることに。
さぞ、無念だったことでしょう。。。
道兼の命を奪ったこの疫病はすさまじかったようで、都のあちこちに死体があったとか。
特に民衆の暮らしは本当にキツかったようです。。。
道長VS伊周のバトルが開始! 次の関白は誰だ!?
いきなり他界してしまった道兼。
では、その後を継ぐのは誰なんだ!?
次の関白候補は、
・藤原道長 道隆、道兼の弟
・藤原伊周 道隆の長男
この2人です。
道長は今まで関白を務めていた2人の兄の弟ですからまぁ筋は通っている。
一方の伊周も道隆の跡継ぎなワケですから、資格はある。
しかも 伊周は一条天皇の寵愛を受けている定子の兄ですからね。
一条天皇の気持ちは伊周寄りかも。。。
さて、次回の記事では道長VS伊周のバトルが過熱していきますッ。
平安時代の権力争い、おそろしや~。
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