【藤原道長②】奥義「藤原スペシャル」で一条天皇が即位
歴史を少しでも楽しくお伝えしたいと「人物相関図」を使って歴史スペクタクルをご紹介しているnoteです。
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前回の記事では「藤原氏とは?」と「藤原道長の家族」を書きました。
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今回の記事では藤原道長にとって人生を支えてくれた姉である藤原詮子(せんし )について、そして詮子が産んだ一条天皇の即位を書いていきます。
今回も、めっっちゃ愛憎あふれる人間ドラマです。
藤原氏ってとにかく愛憎ドロドロなんだよなぁ。。。
道長の姉・詮子が円融天皇に嫁ぐ
道長の姉である藤原詮子。
彼女は藤原兼家と時姫の末っ子であり自分の弟の道長をとてもかわいがっていました。詮子と「仲が良かった」ことで、道長はその後の人生でライジングしていくことになります。
詮子が道長を引き立ててくれることになるのです。
さて。
道長のお父さん・藤原兼家は朝廷での権力を握らんとするため、娘の詮子を第64代天皇の円融天皇に嫁がせます。
兼家は藤原氏の奥義「藤原スペシャル」を決めようと考えていました。
「藤原スペシャル」とは・・・。
「天皇に自分の娘を嫁がせて子供を産ませる」
↓
「その子供を天皇として即位させる」
↓
「自分は天皇の祖父(外戚)として権勢をふるう」
これですね。
先祖代々のこの奥義を兼家も実行しようと娘の詮子を円融天皇に嫁がせたわけです。
詮子が後の一条天皇を出産
そして、藤原兼家の思惑どおり、詮子と円融天皇の間に男子が生まれます。
この男の子が後の一条天皇です。
この一条天皇はつまり、藤原道長の甥にあたります。
一条天皇と道長は後の人生で非常に濃い関係になっていきます。
藤原道兼が花山天皇をダマして出家させる。ひどっ…
さて、藤原兼家のプランどおり、娘の詮子は子供を産みましたが、まだその子供は天皇に即位したわけではありません。
円融天皇の次の天皇は花山天皇(かざんてんのう)という方でした。
兼家としては、はやくこの花山天皇に退いていただき、自分の孫を天皇に即位させたい。
毎日、悪い顔でそのことばっかり考えています。
そこで、藤原氏のダークサイド担当の登場です。
藤原兼家の次男・藤原道兼。
道長のお兄ちゃんですね。
この道兼が「暗躍」します。
道兼は花山天皇の蔵人(くろうど)という役職でした。
天皇の側近です。
兼家と同じく悪い顔で花山天皇を譲位させるスキを狙っている兼家。
そんな中、花山天皇は寵愛していた女御を亡くし深く悲しんでいました。
花山天皇は
「悲しいなぁ。。。もう、自分、出家したいかもなぁ…」
と言い出します。
「出家」とは世俗の地位など何もかもを捨てて、仏門に入ることですね。
兼家は
わたくしも出家いたします!
さぁ共に出家いたしましょう。
悩んでいるヒマはございませんよ。
と半ば強引に花山天皇をスピード出家させます。
で、自分は
「やっぱ出家すんの、ヤメました」
と、出家はしない。
道兼、ヒドイ奴だ…。
でも。
それが藤原氏! それでこそ藤原氏!!!
兼家の孫が一条天皇として即位! 兼家ファミリーの天下じゃ!
さて、こうして退位した花山天皇の次の天皇が。。。
一条天皇!
藤原兼家の孫ですね。
一条天皇はこの時、まだ7歳。
おさないですね。。。
祖父の兼家が「摂政」となります。
摂政とはまだ幼い天皇を支えるポジション。
実質、朝廷を支配する絶大な権力を握る役職です。
こうして藤原兼家はトップ権力者となったのでした。
一条帝の御世はこのあと25年間つづきます。長いです。
この25年間の中で、藤原道長と濃い~ドラマを紡いでいくことになります。
日本史上でも最強クラスの権力者と言われる藤原道長。
お父さんである藤原兼家が一条天皇を即位させて摂政となったことが道長の人生にめちゃくちゃ影響を与えたことは言うまでもありません。
でも、道長は兼家の三男ですからね。
上に2人の兄貴、道隆と道兼がいますからね。
まだまだ道長の番は回ってこないわけです。
さて、次回は道長の結婚のお話です。
2人の源氏のプリンセスとの結婚エピソード。「そもそも源氏ってナニ?」ということもカンタンに説明します。記事はコチラから!
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