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【藤原道長①】藤原道長の一生を【人物相関図】でご案内

歴史のオモシロさを「人物相関図」を使ってエンタメ的にご紹介しているnoteです。

前回までは源頼朝&源義経ブラザーズの人生をご紹介していました。
(まとめマガジンはコチラ↓)


今回からは藤原道長の一生を「人物相関図」を使ってご案内していきます!

2024年の大河ドラマ「光る君へ」でもメインとなって描かれている人物。

・絶大な権力者
・圧倒的な「強運」で頂点に上りつめた空前絶後のラッキーボーイ
・自分の一族の繁栄だけを考える強欲者

など、色んなイメージがある藤原道長。
恐らく上記のどれも彼のリアルな一面だと思います。

ただ、一方

・機を見るに敏な行動力
・周囲の人間の「心」を察知する細かやな気遣い
・長期的な視野で計画するプランニング力
・その計画が思うようにいかなかったときの対応力


なども持ち合わせていた「実力者」なんだろうなぁと自分は思います。

藤原道長をとりまく人間関係は複雑に絡み合い、そして美しく、はかなく、激しくぶつかり合い、壮大なドラマを紡ぎだしていきます。


藤原氏とはなんぞや?


藤原道長の人生に入る前に。

そもそも「藤原氏」とはなんなのか、を簡単にご説明します。

中臣鎌足が「藤原姓」を賜った

歴史が生み出したスーパーエリート貴族集団「藤原氏」の始まりは飛鳥時代です。

645年。
「乙巳の変(いっしのへん)」と呼ばれる政変で蘇我氏を打ち倒し、政権を手にした中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)。
いわゆる「大化の改新」ですね。

後の天智天皇となった中大兄皇子を支えたのが中臣鎌足(なかとみのかまたり)。

天智天皇は中臣鎌足に

私のために本当によく頑張ってくれた。鎌足、心からありがとうね


という感謝の気持ちを込めて「藤原」という姓を授けます。
天皇から特別にオリジナルな姓を賜る。
これはめちゃくちゃ栄誉なことです。

こうして中臣鎌足は「藤原鎌足(ふじわらのかまたり)」となったのです。「藤原氏」の誕生です。

ちなみに、鎌足は藤原姓を賜ったのちにすぐに死んじゃいます。。。


そしてこの鎌足の息子が藤原不比等(ふじわらのふひと)。

個人的には日本史の人物の中でも最強レベルでカッコいい名前だと思います。

不比等。ふひと。

字もなんとも言えない趣があるし、響きもサイコー。

めっちゃステキな名前じゃないですか???
いっつも思ってしまいます。

さて、この藤原不比等は大宝律令の立案や平城京の遷都などに尽力する非常に優秀だった人物。

さらに、娘を天皇に嫁がせて自らの権力を固めていきます。

↑出た! これが藤原氏の権力を握るお得意技。十八番です。


「天皇に自分の娘を嫁がせて子供を産ませる」

「その子供を天皇として即位させる」

「自分は天皇の祖父(外戚)として権勢をふるう」

これで圧倒的な支配力を持つ。
この技、「藤原スペシャル」とでも名付けましょうか。

これを藤原氏で最初にやったのが藤原不比等、ということになります。

約300年後に活躍する藤原道長も「藤原スペシャル」で栄華をほこっていきます。

藤原四兄弟の中から「藤原北家」がライジング


さて、藤原不比等には4人の息子たちがいました。

「藤原四兄弟」と呼ばれている人たちです。

不比等の息子たちが藤原四兄弟

武智麻呂(むちまろ)
房前(ふささき)
宇合(うまかい)
麻呂(まろ)

この人たちの名前も本当に奥深いですね。
何度も声にだして読みたくなりますw

この後、この四兄弟をルーツにして藤原氏の一族は4つの流れに分かれます。
それが

南家・・・武智麻呂がルーツ
北家・・・房前がルーツ
式家・・・宇合がルーツ
京家・・・麻呂がルーツ

です。

藤原道長は房前さんをルーツとする「北家」の人間になります。

藤原氏の中でもこの「北家」がメチャメチャ強大な権力を持つ一族となります。

あの天神様で有名な菅原道真を大宰府に左遷させたのもこの藤原北家です。

「他者を蹴落とし」て、藤原北家は強固な地位を築いていきます。

エリート一家の三男坊・藤原道長

そんな藤原北家の男子として藤原道長は誕生します。
平安時代、966年。

ちなみに「枕草子」の作者の清少納言も同じ966年生まれと言われています。(清少納言の生まれ年については諸説アリ)

清少納言の生まれ年については諸説アリ

歴史に名を残すスーパースターの2人が同い年って興味深いですよね。。。

これが藤原兼家ファミリー

藤原道長の父親は藤原兼家。
かなりの権力者です。

この兼家と奥さんの時姫との間に生まれた3人の兄弟の末っ子が道長になります。

ちなみに兼家には他にも奥さんがいます。
「蜻蛉日記」の作者である藤原道綱母(ふじわらのみちつなのはは)も兼家の奥さんの一人。

ですが、兼家の正妻は時姫なので、道長たちが兼家の後継者たち、となります。

道長には2人の兄がいました。
長男の道隆(みちたか)
次男の道兼(みちかね)

です。

ざっくりキャラ紹介すると、

道隆・・・ダンディー且つ皆を笑わせるユニークな一面も。大の酒好き

道兼・・・明るい兄とは違いニヒルな謀略家

ってイメージです。

兼家の跡継ぎはもちろん長男の道隆。

エリート一家に生まれた道長ですが、お兄ちゃんが2人もいるので兼家の地盤を引き継ぐことはできないなって感じで幼少期、青春時代を過ごしていきます。

さて、今回の記事では「そもそも藤原氏について」「藤原道長の家族構成」を見てきました。

次回の記事では、道長の人生にとっての超キーパーソンである姉の藤原詮子(せんし)について書いていきます。記事はコチラから↓


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