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【源氏⑨】源義経が京都入り! ヒーロー伝説のはじまりダッッ!!
歴史のヒーローたちの物語を「人物相関図」で、少しでも分かりやすく楽しく紹介できれば、という気持ちでつくっているnoteです。
今回のシリーズは源頼朝&源義経ブラザーズにまつわる物語。
シリーズをまとめたマガジンはコチラから↓
前回の記事では、頼朝&義経のライバル・源義仲が京都から平氏を追い出して、入京するまでを書きました。記事はコチラ↓
今回はついに、頼朝の弟・源義経が京都にやってきます!
さぁ、伝説が始まるゾーーーーーーー!
頼朝、義経に対し兄弟の甘やかしゼロ
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20年ぶりの再会を果たし、本拠地・鎌倉で平氏討伐のための戦略を練る頼朝&義経の兄弟。
ただ、兄弟仲良くという感じではなく、頼朝は源氏の棟梁として、兄として義経に甘い顔は見せません。
というか、めっちゃ厳しく接します。
ある時。鎌倉の鶴岡八幡宮若宮の上棟式がありました。
この鶴岡八幡宮は頼朝たち源氏にとって由緒あるめっちゃ大事な場所。
頼朝に従う武士=御家人たちがズラリと勢ぞろいしています。
若宮造営に尽力した大工に馬を与える式典での時でした。
頼朝が義経に
「義経、馬を引け」
と静かに命じます。
「えっ?」と戸惑う義経。
「馬を引くって、なんでそんな下っ端的な仕事を自分にやらせるの? 自分は兄上と同じ源氏の御曹司でしょ?? そんなことほかの御家人にやらせればいいのでは?? 兄上???」という気持ち。
シーーーーーーーン
なかなか動かない義経。
御家人たちも黙って見守っています。
そんな中、頼朝が
「義経、聞こえなかったか。馬を引けッッッ」
一喝!!!(こえぇ。。)
義経も仕方なく馬をひく仕事をこなしました。
御家人たちが勢ぞろいしている中で、あえてこのプレーを行った頼朝。
これによって弟だからといって義経を特別扱いしないこと、義経は頼朝の配下であり主従の関係であるのだ、ということをはっきり示したのでした。
義経には「勘違いするなよ、お前はオレの配下なのだからな」という意識を植え付けた。
御家人たちにも「頼朝様が圧倒的なドンなんだ」ということを意識づけさせました。
強力なマネジメント力だと思います。
頼朝はこういうところがスゴい。
ガバナンスが効いてるってヤツですかね。
京都中がタイヘン! 義仲もうカンベンしてー
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一方、京都では。
平氏を追い出し京都に入った源義仲。
ところが、義仲は京都のしきたりや貴族の風習などが分かっていない。
粗暴な言動が後白河法皇や貴族たちに受け入れてもらえません。
また、この時期は凶作が続いており深刻な食糧不足が続いていました。
そんな中で、義仲の兵士たちは京で略奪を行っていきます。
「義仲、カンベンしてよ!!」
貴族たちも民たちも義仲から心が離れていきます。
後白河法皇と義仲の関係性も険悪なものになっていきます。
後白河法皇から頼朝にヘルプ「義仲のヤツをどうにかしてー」
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そして、後白河法皇は鎌倉の頼朝に対し上洛して義仲を排するように、との命をくだします。
ついに京都が、朝廷が、頼朝を頼ってきたのです。
法皇からの命ということで、ライバルである義仲を討つ大義名分もできました。
頼朝、ついに京都に兵を派遣することを決めます。
自らは出向きません。関東の地盤をしっかり固めるためにまだ自分は鎌倉を離れるわけにはいかない。
では、京都に向かうのは・・・
源義経!
そして
源範頼!
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
範頼は頼朝の異母弟です。義経にとっては異母兄にあたります。
頼朝はこの2人の兄弟を義仲討伐に向かわせます。
実際には義経が先に軍を進め、その後に範頼が合流してきた形となったようです。
義経にとっては、これが初陣です。
(鶴岡八幡宮では馬を引かされたけど)
兄上、必ず戦果をあげます!!
の完全ヤル気モード。
鞍馬寺で育てられ、一人で欧州にいき、ついに兄と合流した義経。
ついに戦に出る! 義経のこの時の「ヤル気」はすごかったんじゃないかなーと思います。
京都では、後白河法皇への不満が積もりまくった義仲が、ついに法皇を幽閉してしまいます。めっちゃ緊迫モード。
後白河法皇から官位をもらってはいけないよ ダメ!ゼッタイ!
鎌倉から京都に兵を出すにあたり、頼朝が御家人たちに厳しく伝えたことがあります。
それは、
今後、後白河法皇から直接、官位を与えると言われてもそれを受けてはいけないよ。
いいか? ダメ!ゼッタイ! だからな。
というものでした。
頼朝が描いている構想は武士による統治社会。
日本の武士のトップとして朝廷からお墨付きをもらうのは頼朝ただ一人。
その頼朝が武士を束ねている世界です。
こうすることで、頼朝は乱世が収まると考えていました。
そのためには、自分の部下である御家人たちが勝手に朝廷の官位を得たりするとガバナンスが効かなくなります。
あくまで、御家人たちは頼朝の配下であって、朝廷の配下ではない、というのが重要なポイントなのです。
この命令を御家人たちは深く深く胸に刻みました。
でも、あれ???
あんま真剣に聞いてなさそうなヤツがいるぞ。。。
義経ーーーー。
義経、この話は右から左で「義仲をどうやっつけるか」「その後、どうやって平氏をブッ倒すか」という気持ちでいっぱいだったのではないかと思われます。
これが、のちに、源氏ブラザーズの悲劇を巻き起こしてしまいます。。。
宇治川の戦いで義仲をやっつけろ!
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さぁ、京都に向かい進軍してきた範頼と義経。
義仲と激突するのが「宇治川の戦い」です。
結果は、義仲の負け。日の昇る勢いの鎌倉軍団にはかないませんでした。
義仲は敗走する中で、討ち死にしてしまいます。
そして巴御前は、、、逃げていったのですがそのまま行方知れず、と伝えられています。
義経、初陣を見事に勝利で飾りました。
こうして範頼と義経たちは京都に入っていきます。
源義経、ついに京都入り! おこしやすー
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横暴な振る舞いをして民を傷つけ、貴族たちを震え上がらせていた義仲を京都から追い出した鎌倉の武士たちは京都の人々から迎え入れられます。
若く清々しい義経は一気に人気が出たのではないでしょうか。
後白河法皇も義経に興味を持ちます。
「ほう。。。イキのいいのが出てきたな」
この後、後白河法皇と義経はどんどん親密になっていくのですがそれはもうちょっと先の話。
この時の義経は「とにかく平氏を倒す!」という一心。
京都でじっとなんてしていられない気持ちです。
そんな中、落ち延びていった兵士たちは。
源氏同士が潰し合っている中、実は力を取り戻しつつありました。
平氏による京都奪還作戦が練られていました。
そしてその最前基地を福原(今の兵庫県)の土地に据え、
一ノ谷に陣をしきます。
次回の記事は義経がありえないミラクルを連発して快進撃!
「一ノ谷の戦い」そして「屋島の戦い」です! 記事はコチラ↓
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