![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/155434010/rectangle_large_type_2_853958a79faddbe81932d048ff242777.png?width=1200)
【源氏⑪】源氏が平氏に大勝利ッ! でも、兄弟の悲劇の始まり〈頼朝&義経の相関図〉
歴史のオモシロさを「人物相関図」でご紹介しているnoteです。
今回のシリーズは源頼朝&源義経ブラザーズの物語。
2人にまつわる相関図をまとめたマガジンはコチラ↓
前回は、戦のスーパー天才・源義経が次々とミラクルな戦い方で平氏軍に勝ちまくっていく姿を描きました。記事はコチラから↓
今回の記事では、ついに源義経率いる源氏軍が平氏軍に完全勝利ッ!します。
ただ、頼朝と義経の兄弟の亀裂が深まっていくという哀しき展開も。。。
最終決戦を前に兄・頼朝から弟・義経へ
![](https://assets.st-note.com/img/1727126318-tXKV3STz6iWjNbqvBQIkc9RG.png?width=1200)
一ノ谷の戦い、屋島の戦いと「そんなのアリ!?」な戦術で平氏軍を蹴散らした義経。
ボコボコにされた平氏軍は彦島(現在の山口県下関市)に集結しています。
義経たちはこの平氏軍たちとの最後の決戦に挑むことになります。
それが「壇ノ浦の戦い」ッ!
関門海峡での海上の決戦です。
決戦を前に、鎌倉の兄・頼朝から弟・義経に伝令です。
いいか、義経、大事なことを2つ伝える。
①安徳天皇を連れて帰ること
②三種の神器を奪い返すこと
以上。
頼朝は、平氏を倒したあと、どのように日本をまとめていくかを思案しています。
その時に大事になるのが「権威」。そして「正統性」。
そのためには、必ず天皇と、皇位継承の正統性を示すために必要な三種の神器を手にすることが重要だったのです。
義経、チーム内でまたモメちゃってるよ…
![](https://assets.st-note.com/img/1727126480-FuWweILpRklQ3ZHVPayJ6KbD.png?width=1200)
総力を結集して平氏軍との決戦に挑む源氏軍ですが、
あれ? モメてる人たちがいる。。。
源義経と梶原景時。
この2人は屋島の戦いの前にも意見衝突してましたが、今回も「どっちが先陣を切るか」でモメます。
景時からしてみれば自分はあくまで頼朝の部下。
自分を格下扱いしてくる義経は気に食わない。
義経としては自分にめっちゃ意見してくる景時に対し「なんなん?コイツ!」と思っている。
2人の関係は修復することなく戦は始まります。
義経と景時の仲は悪いままですが、屋島の戦いで大勝利したことで、たくさんの武士たちが源氏軍に馳せ参じていました。
今までは水軍といえば平氏が有利でしたが、
寝返って源氏サイドに着く武士も多く、源氏軍は水軍でも強大な兵力を持つに至っています。
決戦!壇ノ浦ッ ついに平氏が滅びる。まさに諸行無常
![](https://assets.st-note.com/img/1727127007-gLFPMx2vOWmiuXBUKEk9Vh51.png?width=1200)
こうして始まった壇ノ浦の合戦。
源氏のイケイケムードに平氏は抗えず、ついに平氏は完全敗北します。
「もうこれまで」と平氏の名だたる将たちが海に身を投げていきます。
平氏サイドにいる幼い安徳天皇も、平清盛の妻に抱えられ共に入水してしまいます。
こうして、源平合戦は源氏の大勝利で幕を閉じます。
あれ?
でも「安徳天皇を連れて帰ってこい」という頼朝の指示が完遂できていないですね。。。
そして2つ目の指令「三種の神器を奪い返してこい」についても、鏡と勾玉は取り返したのですが、宝剣だけは海の底に沈んでしまい見つからなかったそうです。
そういった意味では、壇ノ浦の戦いというプロジェクトは完全には成功しなかった、といえるのかもしれません。
「壇ノ浦で平氏を滅亡させた」
「でも、安徳天皇は入水してしまい、三種の神器はそろっていない」
この「ポジティブ」と「ネガティブ」の2つの報を聞いた頼朝の心境はどんなものだったのでしょうか…。
それでも、平氏に討ち勝ち、大いに沸く源氏軍ッッ!
ついについに、平氏を倒したのでした!
この戦のMVPはもちろん源義経!!でしょう!!
ところが、ちょっと雲行きがあやしくなっていきます。。。
MVPのはずの源義経が認められない!?
![](https://assets.st-note.com/img/1727127637-Mf1G7vKTIJpOFc3uPtRaSCYd.png?width=1200)
やってやった!!!
このオレがッ!!
兄上(頼朝)もさぞお喜びだろう!
と、大勝利に有頂天になる義経。
でも、その裏で「義経ネガティブキャンペーン」が行われていました。
キャンペーンの旗振り役はあの梶原景時。
義経とめっちゃモメていた武将ですね。
この梶原景時は、どの戦でも「戦況」や「討ち果たした武将の名前」などをマメに頼朝にリポートしていた。
いわゆる「報告」「連絡」「相談」のホウ・レン・ソウを上司にきちんと行うタイプですね。
丁寧なリポートにマネージャーとしての頼朝も景時への信頼を厚くしていきます。
その景時のリポートに、義経のネガティブなことがいっぱい書いてあります。
勝手な行動とか、周りの言うこと聞かない、とかそんなようなことですね。
頼朝は思います。
義経、アイツやっぱ勘違いしてるな。
ということで、勝利に浮かれ「兄上、やりましたよ!」となっている弟・義経とは裏腹に、兄・頼朝の弟への気持ちは冷たーーーーくなっていってしまいます。
哀しく、切ないっすね。
こんなに頑張って達成したプロジェクトなのに。
成功しても報われないなんて。。。
ということで、次回は、義経が「兄上、なんでーーー???」の悲しみに暮れる記事となります。コチラから↓
源頼朝&源義経ブラザーズ 相関図まとめマガジンはこちら↓