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【藤原道長④】超ヒロイン・藤原定子が一条天皇とキラキラ純愛!

知ってるときっと人生のタメになる歴史のエピソードを「人物相関図」を使ってエンタメ的に紹介するnoteです。

今回のシリーズは日本史上トップクラスのラッキーボーイ・藤原道長!
まとめマガジンはコチラです↓


前回の記事では藤原道長と源氏のプリンセスたちとの結婚を描きました。
記事はコチラ↓

今回は藤原道長の兄・藤原道隆とその子供たちの話。
スーパーヒロイン・藤原定子サマの登場ですっ!!


ダンディー兄貴・藤原道隆がグングン出世


孫・一条天皇の摂政として朝廷の権力者となった藤原兼家。

ここでもう一度、兼家ファミリーをみてみましょう。

兼家の跡を継ぐのは長男・道隆

兼家の正妻・時姫の長男は道隆。
兼家の地盤を引き継ぐのはこの道隆です。
当然、三男の道長ではないですね。

兼家のパワーで道隆もどんどん出世。エリート街道を歩んでいきます。

道隆はお酒大好きでユーモアたっぷり、かつダンディーな人柄だったようです。

華やかなり! 藤原道隆ファミリー


そんな道隆が正妻に選んだのが
高階貴子(たかしなのきし)という女性。

和歌や漢文の才能あふれる人だったようです。

エリートなパパ・道隆と才能豊かなママ・貴子の間に生まれた子供たちも見事に華やかに育っていきます。

まぶしいくらい華やかファミリー

道隆ファミリーは光り輝くような人々。
ご紹介していきましょう。

長男 藤原伊周(これちか)

名前がまずカッコいいですね。伊周。これちか。
シビれる響きっ!

伊周は美男子だったと言われています。
気品もあるエリート青年。
後に道長の最強ライバルとなります!

長女 藤原定子(ていし)

母・貴子の血を引き継ぎ、教養あふれる女性に育ちます。

笑顔はほがらか。明るくて知性もあって。ステキ過ぎ女子。

次男 藤原孝家(たかいえ)

血気あふれるヤンチャな弟。

お兄ちゃんの伊周やお姉ちゃんの定子のことをしたっています。


道隆と貴子の子供たちは他にもいますが、いったんここではこの後、壮絶なドラマを繰り広げる上記の3人をご紹介させてもらいました。

定子が一条天皇に入内。明るい未来しか見えない!!

道隆と貴子の夫妻は玉を磨くように娘・定子を育てます。

貴子の持つ教養を注ぎまくったことで定子は品に満ちた才色兼備な女性になっていきます。

定子がスーパーヒロインに成長!

娘を魅力あふれる女性に育て上げる道隆・貴子の心の中には「娘への愛」ももちろんですが、それと同時に「一族の繁栄」のための「戦略」もありました。

そう、定子をステキ女子に育てあげて天皇に嫁がせるのが目的なのです!

道隆は藤原氏に先祖代々伝わる「藤原スペシャル」を決めようとしているんですね。

藤原スペシャルとは(おさらい)。

これが藤原スペシャルだ!

「天皇に自分の娘を嫁がせて子供を産ませる」

「その子供を天皇として即位させる」

「自分は天皇の祖父(外戚)として権勢をふるう」

これですね。

せっかく娘を嫁がせても、天皇にちゃんと愛されて、その結果、子供(男の子)が生まれて、その子が天皇にならないとこの技は完成しない。

天皇に愛していただくには、
教養・知性・気品が大事!!!

平安王朝の貴族社会におけるモテ要素として教養は外せません。

管弦
和歌
文字の美しさ
手紙に香りを炊いてつけたりするセンス
などなど。

これがあって初めて、高貴な方に愛される。

ましてや娘を天皇に愛していただくにはマスト。

娘に知性、教養を与えることは「政治戦略」として必要なことだったんですね。

その意味で、道隆・貴子の夫婦のプロデュースは完全にハマりました。

だって、定子サマ、ステキすぎな女子になったもん!

ということで、定子が一条天皇のもとに入内(じゅだい)します。

入内とは天皇と結婚して宮中に入る、ということですね。

定子は14歳。一条天皇は11歳です。
幼いっ。。。

道隆は娘を入内させ「藤原スペシャル」を画策

道隆は定子が将来、一条天皇との間に男の子を産んでくれることを期待しています。

定子に一条天皇もメロメロ 清少納言もやってきた


定子の一条天皇への入内は「政略結婚」なわけですが、定子サマのことを一条天皇は本当に大好きになります。

ここにグッときますよね。

親がプロデュースしてる宮中の政治の世界なんだけれど、
そこで出会った天皇とお姫様が純愛をする。

こんな形のボーイミーツガール。

美しき、です。

清少納言も定子サロンの仲間入り

さて、宮中で生活する定子さまに仕えるのが「女房」という女性たちです。

身の回りのお世話をしたり、貴族たちとの取次をしたり、といったことをします。
和歌を詠みあったり、というザ・平安なカンジも。

この女房たちも当然、教養・センスがマストです。

定子と女房たちによる華やかなサロンができあがっていくのです。

そして、そこにまた1人、才能あふれる女性が加わります。

清少納言

あの随筆「枕草子」の作者ですね。
枕草子を書くのはまた後のこととなります。

宮仕えをし始めたばかりの清少納言は華やかな定子サマがまぶしくてクラクラしてたみたいです。

時がたち、清少納言はその才能を認められ、定子とソウルメイトのような関係になっていきます。

ちなみに「清少納言」という名前ですが。

「せい・しょうなごん」という読み方が正しいです。

「清」というのは、清少納言の父である清原元輔(きよはらもとすけ)の「清原」という姓を縮めて呼んでいるもの。

当時の女性は名前で呼ばれることはなく、父親や夫の名前や官職をもって呼ばれることが多かった。
「少納言」というのも官職の名前ですね。

清原元輔の才能が伝わった

清少納言のお父さんの清原元輔という人物は、和歌の名人だったようで、平安時代の選び抜かれた和歌の名手「三十六歌仙」の一人。

お父さんの文芸の才能を清少納言は受け継いでいたんですね。

さて、今回の記事では藤原道隆ファミリーとその娘・定子のエピソードとなりました。

めっちゃ華やかですが、この一家、この後、悲劇のどん底に落ちていきます。

栄光からの悲しみ。
光と影。
なんてドラマチック。

次回の記事は道隆たちの行く末、そして今回出番のなかった弟・道長がどう絡んでいくのか、についてになります。


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