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【源氏14】鎌倉幕府が爆誕ッ! 頼朝さん、あんたが大将!

歴史のオモシロさを「人物相関図」を使ってご紹介しているnoteです!

今回のシリーズでは源頼朝&源義経ブラザーズの生きざまを書いています。
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前回の記事で、悲しく辛い逃避行の後、奥州に逃げ込んだ源義経(↓記事はコチラ)。

そんな義経を、兄・頼朝が許すはずもなく…。
頼朝が奥州に圧をかけていきます。

そして、頼朝さん、政治的にもクレバー過ぎる一手を打ち、ついに鎌倉幕府が誕生します。

今回の記事はその流れを書いていきますー。


頼朝、守護・地頭の設置をゴリ押しッ!

法皇に守護・地頭設置を認めさせる

弟・義経が全国を逃げ回っていた際、頼朝はその事態もうまく利用して朝廷にあることを認めさせます。

それが、全国の守護・地頭の設置。

まず、守護・地頭とはなんぞ? 

・守護 国ごとに任命される地方行政官。現在の県知事的なポジション。
    治安維持、警備、統制を行う。地頭のマネジメントも担う

・地頭 土地ごとに任命される役職。土地の管理、徴税を行う

この2つの役職を「朝廷」ではなく、頼朝つまり武家のトップが任命する権利を後白河法皇に要求します。

頼朝は

全国に逃げまわっている義経、ひいてはそういった犯罪者を取り締まるために、地方ごとに担当者を置くべきです。
ね? そうでしょ???

というようなロジックで、朝廷にこれを認めさせます。

これで義経の捜索はもちろん、それ以上に重要な「土地の管理者」の任命権を頼朝は勝ち取ったことになります。

なんてクレバー。。。
こういった策の頼朝のブレーンだったのが大江広元(おおえのひろもと)。

平氏が世を仕切っていた時代、彼は京都の貴族でしたが都での出世を見限って、鎌倉にやってきて頼朝に仕え、文官として大活躍します。

今後の武士の世の到来を予期し、鎌倉政権というスタートアップ企業にジョインして見事に大成した人物です。
大江広元、カッケーっす。。。

こういう有能な部下を抱えているところが頼朝の強みですよね。

日本初の武家政権・鎌倉幕府が爆誕じゃっ! 


1185年守護・地頭の設置

全国の土地の掌握を朝廷ではなく武士が行う、というパラダイムシフトが起き、これによって源頼朝が事実上、武家政権を樹立。

1185年。

これをもってして鎌倉幕府が誕生したとされています。

頼朝は自分の部下である御家人たちを全国に配置していきます。

お父さんの義朝や兄たちを殺され、伊豆に流されてめっちゃ苦労して、でも恋もして。
20年経ってやっと挙兵して、平氏と戦って滅ぼして。
で、ついに武家のトップとして全国を事実上、支配。

ホントに頑張りました。
頼朝さん、あんたが大将だよ!!
(この後、頼朝は1192年に征夷大将軍にも任命されます)

でも。
まだ、義経がいます。
あの弟を討ち取らなければ終わらない。。。
(頼朝さんのめっちゃコワい顔…)

義経討伐&奥州を滅ぼすぞプロジェクト

奥州に圧力をかけていく頼朝

犯罪人である義経をかくまっている奥州に対して頼朝は圧力をかけていきます。
それをのらりくらりかわすのが奥州のドン・藤原秀衡(ふじわらのひでひら)。

頼朝は義経を討つこともさることながら、奥州を滅ぼしたいと計画していました。

平氏を倒し、守護・地頭の任命権も得た頼朝。

そんな頼朝に唯一対抗できる存在として残っていたのが奥州藤原氏なのです。
奥州を滅ぼさない限り、頼朝の全国支配は達成しない。

奥州を討伐することは超重要プロジェクト。
頼朝が本気になっていきます。

さて、次回の記事ではそんな奥州にある出来事が起き、義経が大ピンチ!の展開を書いていきます! 記事はコチラ↓


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