伊勢遺跡はこんなに面白い!①
今回から、私が邪馬台国の<本命>と考える伊勢遺跡について書きます。
伊勢遺跡は、滋賀県守山市と栗東市にまたがる弥生時代後期の遺跡です。
東西約700m、南北約450m、面積約30haもあり、同時代の集落としては佐賀県吉野ヶ里遺跡、奈良県唐古・鍵遺跡などと並んで国内最大級です。
平成24年1月24日に、倭国(ヤマト王権)の成り立ちを考える上で非常に貴重であるとして、国史跡に指定されています。
「イセ」という名前から三重県にあるように思われがちですが、発見された滋賀県守山市伊勢町に由来する名前です。
この伊勢遺跡が最も栄えたのは弥生後期の2世紀後半~末。
ちょうど「倭国大乱」の時期と重なります。
近畿地方では弥生中期まで栄えた巨大環濠集落が解体して、小さな集落に分散していった時代です。
そんな時代に、伊勢遺跡は例外的に巨大化したのです。
伊勢遺跡では、これまで12棟の高床式大型建物が見つかっています。
注目したいのは建物の配置です。(↓の守山市のサイト参照)
これを見ると分かるように、同じ形の高床式建物(SB4~9、12)が、等間隔にぐるりと円を描くように配置されています。
弥生時代の遺跡で、こんな特殊な建てられ方をしている場所は、全国どこを探しても見当たりません。
円の直径は約220mもあり、円周上に並ぶ建物の数は推定30棟。
しかも、これらの建物は祭殿と考えられています。
伊勢神宮や出雲大社などは「心御柱(しんのみはしら)」と呼ばれる特殊な柱が建屋の中央にありますが、伊勢遺跡の建物にも同様の柱があるからです。
この報道を読んで、真っ先に頭に浮かんだのが『アーサー王物語』です。
アーサー王と騎士たちが円卓を囲む「円卓の騎士」と同じく、円は上下の区別なく、卓を囲む者すべてが対等であるとの象徴です。
つまり伊勢遺跡で見つかった円形の祭殿群は、それぞれのクニを表すとともに、すべてのクニが平等であるとのメッセージと受け取れます。
ちなみに、この祭殿群は「神明造」で建てられています。
あの伊勢神宮と同じ建築様式です。
「ならば、伊勢神宮を真似たのか?」と考えてしまいそうですが、伊勢神宮が創建されたのは持統天皇の時代、7世紀末。
これに対し、伊勢遺跡の祭殿が建てられたのは2世紀末。
伊勢遺跡のほうが500年も前に建てられていたのです。
むしろこちらが伊勢神宮のルーツと考えたほうが自然です。
実際、「のちの神社建築様式の原型となった可能性がある」と述べる神社建築の専門家もいます。
伊勢遺跡で注目したいところは円の内側にもあります。
円の中央には二重の柵で四角に囲まれた区画があり、中には4棟の建物が整然と並んでいます。
大きさや配置から、主殿(SB1)と副屋(SB2)、祭殿(SB3)、倉庫(SB4)(↑守山市のサイト参照)で、この一帯を支配する首長の居住・祭祀空間だったと考えられています。
そして二重柵のすぐ外には、三階建ての高層建物(SB10)が建っています。
高さは推定約12m。この時代の建物としては異様な高さで、吉野ヶ里遺跡のそれと同様、楼観だったのでしょう。
30の高床式建物と、柵で囲われた王の館、それを守るように立つ楼観——。
「三十の国々」
「宮室、楼観、城柵を厳かに設け」
と、『魏志倭人伝』の記述そのままの光景が広がっています。
(つづく)
★見出しの吉野ヶ里遺跡の写真は、みんなのフォトギャラリーから、 kappa113iさんの作品を使わせていただきました。ありがとうございます。