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インプットがアウトプットになっている状態の行動が美しいという話。
カリステニクスというのが面白い。
これを知った僕は、「より本質的なインプットというものは、パフォーマンスにもなり得るのでは」という考えで自分の生活をまとめ上げたくなってくる。
たとえば、ヨガの動画なんて、それはそれで見ていて気持ちが良いし、1個1個のポーズを決める様はまさにパフォーマンス。
それでも、やってる人は見せるためだけにやってるわけじゃないじゃん。
むしろ、インプット、トレーニング、んー、自分のためというか、さ。
内向きの矢印っぽい行為だと思っているわけじゃないですか。
現に、ヨガはその人のためになる健康的な行為だし。
なるほど、これもまた一つの「win-win」の形?
なんて思うと、ヨガにはサステナブル性があるのか、と。
ってことは、「インプット=アウトプット」みたいな行為が、超美しいことじゃないのかい?と思うようになり、詰まるところ、僕の生活24hをそれで埋め尽くしたいと思ったのです。今日はそんな話。
で、カリステニクスみたいなものが、本質的に身体能力を高める行為、体操であるとすれば、
「パフォーマンスになり得るようなインプットこそ、質の高いインプット」という帰結にたどり着くことができる。
これはちょっと言い換えとして変化もしれないが、「ダサい」とか「地味」、「人が見ていて不快」みたいなインプットは、そもそも、はなからインプットとしての質が悪いのではないのかもしれない、ということでもあるのです。
たとえば、睡眠の例でさ。
無呼吸症候群的な人で、1分に一回、「フガっ」みたいな呼吸している姿、よりも、静かにスースー呼吸して綺麗な寝相で寝ている人の方が、見ていて気持ちが良いし、実際にも後者の方が質の高い休養ができているわけじゃないですか。まぁ、綺麗に寝ていたとしても、それがパフォーマンスか?と言われると、違うかもしれないが。
結論、インプットのためだけのインプットはインプットとしての質が低くて、何らかの美しさがそこにあると、良いのかもしれないなと。
見ていたいもの、気持ちが良いもの、というか。
インプット、アウトプット、という言葉の定義、理解が必要になってくる。
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