見出し画像

【現役教師が語る】教育の「平等」と「公正」とは

こんにちは、不登校を想う現役教師・れいです。

今日は、ご支援している保護者さんと話していて、興味深いことがありましたので、改めてコラムとして再考してみたいと思います。

すでにラインで先行配信し、読んでいただいた不登校保護者からは、ありがたいことに「鋭い分析だ」「モヤモヤとしていた不登校の課題が整理できた」とご好評いただいています。ぜひ、チェックしてみてくださいね!

突然ですが、皆さんはこの絵を見たことがありますでしょうか?

( https://interactioninstitute.org/illustrating-equality-vs-equity/より引用)

「平等」と「公平」を示した絵として、とても有名なものです。

これは、

・学校に行っている子に対し、「行っていない我が子」にどう向き合うか
・発達特性がない子に対し、「ある我が子」にどう向き合うか
・兄弟がいるご家庭で、個々の子にどう向き合うか

を考えるうえでも非常に効果的ですので、ぜひ一緒に考えながら、読んでみてくださいね。

さて、まずは…
イラストの「野球観戦」は何を示しているのでしょうか?

これは「公平」な場で、すべての人たちが「できていること」ですね。
ということは、「最終的に、すべての人たちが叶えるべきこと」になります。

それって、一体何でしょう?

ざっくり言うと、「幸せになること」かもしれませんが…
それだと抽象的すぎるので、もう少し具体的に言語化してみましょう。

自分なら、「(我が子も含め)すべての人たちが、最終的に叶えるべきこと」はなんだと表現されますか?

私は…

・自分で考えて、自分で動けるようになること
・自分以外の誰かに、貢献をすること

このあたりを定めるでしょうか。

世の中を見渡せば、その「ゴール(野球観戦)」を、自力で悠々と叶える子もいれば、たくさんの箱があって、ようやく叶える子もいる…ということですね。


では、このイラストでいう「箱」は何でしょうか?
野球観戦…つまり、子どもたちのゴールのための支援ですね。

箱の一つは、「学校教育」もあるでしょう。
まさしく「平等」に与えられ、たとえば自主行動や他者貢献に一役買います。

しかし、これを読んでいる保護者さんであればお分かりの通り、「それだけ」では野球観戦ができない…ゴールに到達できない子も一定数います。
では、そんな子にはどうすべきか?

もちろん、「箱を足す」必要がありますね。
では、どんな箱を足せばよいか?

…これが難しいのですよね。
「うちの子、この箱だけじゃ足りないっぽいんですけど…」と言うだけで、どこからか追加の箱がくればいいのですが、残念ながらそうならないのが日本教育の現状です。

どれくらい、箱を足せばいいのか…つまり、子どもにどんな支援をすればいいのか…それを親御さんだけで考えることになってしまっているのです。

ただ、俯瞰して考えてみれば、「どれだけ箱を足せばいいか」というのは、「今のお子さんの目線」と、「野球観戦に必要な目線」の差し引きで決まるはずです。

「今のお子さんができること」と「叶えるべきゴール」にどれだけの差があるのか…ということですね。


どうでしょう?
教師もそうですが、普段子どもを見ていると、「学校に行けていない」「勉強ができていない」「早寝早起きができていない」と、「できていない」ところに目が行きがちです。

ただ、「できること」でいうとどうでしょう?

「心身が健康である」
「睡眠は7〜8時間取れている」
「食事も取れている」
「親とは話せる」
「家事などで家に貢献してくれる」
「幼馴染やネッ友とは話せる」
「スマホの動画を楽しんでいる」……など。

あえて「できること」にフォーカスすると、意外と出てくるものではないでしょうか。

その「できること」と、親御さんが最終的に叶えてほしい「ゴール」を比べる。
本来その差が、「必要な箱=やるべき支援」であり、「今の課題」になるはずなのです。

極論、
「私は、我が子に『他者貢献』なんて望まない。
せめて自分が生きている間、健康で生きてさえくれれば、それでいい」
と心の底から、本気で思うならば、これ以上の箱(支援)は、そもそも「必要ない」。
「実はもうゴールは叶っている」…とも言えるのです。

「ゴール」を定めないまま、日々を奔走するのはとてもしんどいです。
走り回って苦労して、ようやく箱を見つけても、それで十分なのかまだ足りないのか、分からないのですから。
日常があっという間に「徒労感」に埋め尽くされてしまいます。

まずは仮決めでいいので、「我が子も含め、すべての人が叶えるべきゴール」を定めてみてください。
私と同様、「自主行動と他者貢献」と考えられるのであれば、それでもよいですし、私が考えているものとは別でもいいです。

その上で、「お子さんができること」を見定め、差がありそうなら、その差を埋める箱=支援、が目下必要になるのです。

そう考えると、学校に行くこと…は、最終的な「目的」ではなく、何かを達成するための一種の手段(箱)にすぎない、とも捉えられますよね。


ここまで読んでいただき、ありがとうございました!
私、「不登校を想う現役教師・れい」は、主に不登校や五月雨登校でお悩みの親御さんに向けて、公式ラインを運営しています。

公式ラインには、すでに150名以上の不登校保護者が登録してくださっており、「子どもの自主性支援マニュアル」を読んだり、お悩み別ナビを利用したりして、不登校の課題整理に役立てていただいています。

不登校や五月雨登校でお悩みのことがあれば、ぜひこちらからご登録してみてください💁🏻‍♀️
ライン上のコンテンツは全て無料ですし、合わなければ、いつでもブロックしていただいて構いません。

いいなと思ったら応援しよう!