アートフェアアジア福岡2019年プレイベント「山口周氏講演会」へ。
世の中に、まだまだ観たい美しいものも、読みたい本もたくさんある。
だけど、自分が生きている間の時間で全てに触れることはとうてい無理なので、せめて、なるべく美しいもの、好きなものに触れながら生きていきたい。
と、思いながら過ごしているのだけれど。
「うんうん、それでオッケーオッケー」と言っていただいているようなイベントに、先日参加してきました。
アートフェアアジア福岡2019のプレイベントとして行われた、山口周さんの講演会。
本屋さんで特設コーナーができるほど人気のアートとビジネスの関連書籍の中でも続々重版している『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』の著者のお話が直接聞けるとあって、当日立見席も出るほどの超満員でした。
美術関係の方の参加が多かったようで、質疑応答では若手アーティストの方などのガツガツ貪欲な質問が面白かったです。
よく、「アートに詳しくない」「よく分からない」という声を聞くけれど、自分の中に取り入れるのは全然難しくないと思う。
もちろん、歴史や宗教、技術といったいろいろな知識があったほうが、より絵画を身近に感じたり、理解が深まることはあるのだけれど、膨大な数のアートを観る中で、やっぱりそれを「好きかそうじゃないか」という大前提でふるいにかけてもいいのじゃないだろうか。
「役に立つけれど、意味がない」ものと、「役に立たないけれど、意味のあるもの」なら、どちらを選ぶのか?
この場合、「役に立たない」とは、全く使うことができないというものではなく、例えば高級外車のように、機能だけであれば、それと同じようなものを十分の一の価格で購入できるのに、というようなもの。
人それぞれだと思うけれど、私は「使えればいい」「便利ならいい」というものは興醒めする。
(メイクポーチやお財布代わりにジップロック使ってるとか、使っている化粧品のボトルがいかにもだったりとか)
私は子育てしながら仕事も家事も…という生活ではないので、そんなに時短しなくていいし、過剰に便利である必要もないのだ。
「役に立たないけれど意味のあるもの」は、人の好みがかなり反映されるので、多様性が生まれやすいそうだ。
山口さんが嫌悪する日本の電線や東京の景観も、海外の人から見たら「Cool!」と映ることもあって興味深い。
美意識は人それぞれのものだけれど、時代を超えて残っているものは、人間に共通して訴えかける美しさがあるのだろう。
「正しいこと」にこだわり過ぎると、違いを許せなかったり、価値観の違う人を攻撃したりすることが増えてしまう気がする。
私は、役に立たないかもしれないけれど、意味のあるものに囲まれて、これからも楽しく生きていく所存です。