自分の感受性くらい自分で守ればかものよ。
詩人茨木のり子氏の詩、「自分の感受性くらい」の一節。
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
初めてこの詩に触れたとき、衝撃を受けた。
自分が鈍くなっていくこと、
ぎすぎすしていくこと、
目指すところと離れていくこと、
すべてを「何か」のせいにするな、という詩。
厳しい…
厳しいけども。
納得。
人のせいにしたり、環境のせいにしたり、時代のせいにしたりして、「仕方がない」って言いがちだけれど。
何を「感じ」て、何を「感じない」かは、自分で選べることなんじゃないだろうか。
広辞苑を引いてみる。
<感受性>…外界の印象を受けいれる能力。物を感じとる力。感性。
感情の起伏の激しい自分のことを、ちょっと持て余し気味だった頃もあるけれど、今は。
鈍くなりたくない、と思う。
以前コピーの勉強をしている頃、講師を務める大先輩コピーライターの方から教えていただいたことの中で、強く残っていることがある。
それは、「選ぶ力」についてのお話。
コピーの講座では、現役で頑張っている人も、コピーライターを目指している人も、学生から社会人まで、さまざまな人が毎週山ほどコピーを書いて提出し、講師の方々がその中から「これ」とピックアップして、講評してくださるのです。
もし自分の分が選ばれたらそりゃ嬉しいわけですけれど、その他にも大事なのは、誰のものであれ、選ばれたものが「なぜ選ばれたのか」「どこがいいのか」、そして選ばれなかったものが「なぜ選ばれなかったのか」を考えること。
「書く」力と同時に「選ぶ」力が大事だと教えていただきました。
100本書いて100本クライアントに見せることはまずないし、書き散らかして、ピックアップして、これでしょう!って10本見せたとしても、本当は残りの90本の中に「これ!」ってヤツがあったら日の目を見ずにサヨウナラ、となる。
学校ならそれを何度も繰り返せるけれど、自分がいいと思って持って行った10本がカスカスなら、次の打席はもう回ってこない。
新人のうちは、先輩がそれを見てくれて、「これはいい」「これはダメ」って選別してくれたりして、それを基に自分なりに分析を繰り返して自分の中の基準を作っていけるのですが、転職組や年齢を重ねて後はそれも難しい。
だったら、自分でコツコツ「よいもの」に関する基準を積み重ねていくしかない。
これもその先輩から聞いたお話ですが、ダイヤモンドの鑑定士を育てるためには、偽物と本物を比べさせるのではなく、とにかく「本物のダイヤモンドしか触らせない」。
すると、偽物を見た時に「あ、これ違う」と分かるようになるんだそう。
いいワインを飲み続けたり、いい生地を触り続けたりすれば、そうじゃないものに触れた時に「違う」と分かる。
これは、コピーライターの中ではよく聞く「コピー写経」にも通じるものかもしれないな、と思います。
「コピー写経」とは、優れたコピーが掲載されている「TCC(東京コピーライターズクラブ)」の年鑑などから、自分がいいと思ったコピーをひたすらノートに写すというもの。
その際、ただ写すのではなく、「なぜそれがいいと思ったのか?」ということを考えながら写すことが大切。そうすることによって、いいコピーの書き方が身につくという方法です。
私はコピー写経はしていませんが(してないんかい)、気になった言葉などはメモを取る習慣があります。
そして別の方からは、「なんかいいかも禁止」という方法も教えていただきました。
広告を見たり、お店に入ったり、何かに触れたときに、「あ、なんかこれ好きかも」と思ったら、それが何故なのかを考える。逆も然り。
私はそれまでフィーリング重視(と言えば聞こえはいいが)でふわふわっと「なんかこれいいかも~」という感じで過ごしてきて、それが”感性”ってやつ?みたいに勘違いしていたのですが。
日常何に対しても「なんでいいと思ったのか?」「どこが心を掴んだのか?」と考えるようになると、毎日発見がいっぱいで、俄然楽しくなりました。
なんでも分析するっていうのとはちょっと違うんですけれど。
広告の仕事をしているからというだけでなく、「いい」とか「好き」とか感じることって、自分にとって大事なことだと思っています。
コピーもそうだし、絵とか音楽とか服とか食べ物とか、好みがあって一概に「これがいい!」と言えないものの方が多いと思うけれど、だからこそ、自分の中の「これがいい」と思うものを、みんな大事にしていくと毎日がもっと楽しくなるんじゃないかしら。
私は私が「いい」と思うものも、「嫌」と思うものも、日々感じていたい。
確固たるものはありながら、頑なにはならず。
自分の感受性くらいは、自分で守ります。
サポートありがとうございます。これからもコツコツがんばります。