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毒親奮闘記;私の好きなことは読書。

「私の両親は変わっている」

いきなりだがそう確実に意識したのは思春期初めの11歳、小学校5年生。理由やきっかけは分からない。ただいやそれより前、ずっと昔からそう思っていたのかもしれない。両親に対しては友達の親や身近な学校の教師、遠方に住んでいる祖父母とは一味違う雰囲気、違和感を覚えていたのは確か。

「まあいいか、関わらなければいい」とそんな違和感を軽く受け流し、内気で他人と関わるのが苦手だった私は自室に篭り本を読むことが大好きだった。
自室といっても粗末な布団と机、数枚しかない自分の服、あとは家中のガラクタに囲まれた物置部屋だったけど。

本の主人公の行動に一喜一憂していると階段の軋む音がした。
「母親が2階に来る」
足音は聞こえないし部屋の扉はしまっていてるけど、階段の軋む小さい音で誰が来ることは瞬時でわかっていた。兄の部屋に用事があるのだろうか、こっちに来ないでくれと心の中で願い、怯えていた。

そんな願いは儚く消え、勢いよく部屋の扉が開かれる。
埃が舞い、扉はゴンッと鈍い音を立てて近くのタンスに勢いよく叩きつけられた。いちいちうるさい。もっと静かに行動できないのか、怖い。と思い母親を見上げた。

母親は私を見下ろし、一言。
「そんなに本読んでもテストの点数悪いのなんで?これだからバカは。」

バカにしに来ただけか。殴られるかと思ったと安堵する。
殴られるよりバカにされるだけの方がマシだ。痛くないから。

テストの点数悪いと言っても90点以上は必ず取っていた。
この間の算数のテストだって100点取ったけど見せたら「たかが小学生のテストで調子乗ってるんじゃないよ。もっと勉強しな。それに女の子が理系なんてやめといた方がいいわよ。男社会だし。」とか褒めてんのか期待してるのかよくわからない言葉かけてたじゃないか。

第一「本をたくさん読む=頭が良くなる」というのは違うのではないか?という疑問、本を読んでいる姿を見たことない人にバカにされるのは癪に触る、私の好きなことを妨害された上貶された苛立ち…
そんな感情を瞬時に感じた。

でもそんなことをしょっちゅう言われていたから、いつも通り何も言わず下を俯き母親が部屋から出るのをじっと、ただただじっと…身じろぎもせず待っていた。
何も言わないには理由がある。反論するとたちまち母親のみではなく父親にまで話が伝わり「親に向かってなんて口の利き方だ」「生意気だ」「誰のおかげで飯食えているんだ」と2人から殴られ、罵倒を浴びせられるからだ。

それを学習していた私はせめてもの反抗として無言を貫いていた。
謝ったら、負けだ。謝る意味もわからない。
それを見た母親は鼻で笑い、部屋を出て行った。
「終わった……今回は殴られなかった」という安堵感に包まれ、
また本を読み進めた。

自分が感情と全く正反対の行動をしていること
好きだと思っている本は現実逃避のための道具として使っていることに
目を背けながら。

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