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私がエストニアに行く理由

海外移住に伴い、色々と言いたいことはあるのですが、まずは「なぜ私は今の時期にエストニアに行くのか?」について書きたいと思います。

正直これと言った理由はなくて、強いて言えば「ずっとヨーロッパに行きたかったから」です。でも勇気がなくてずーーーっと先延ばしにしていました。それがこの時期にエストニアになった理由は、本当にたまたまとしか言いようがありません。

てなわけで、私の半生(社会人になってから)を以下に簡単にまとめてみました!2020年〜2021年がメインですが、過去のお話もあった方が理解が深まるかなと思ったので、簡単に2016年〜2019年も書いてみました。

2016年:高望みすぎてコケる😇

実はこの時点でロンドンの大企業に受かっています。最初からグッドスタート。しかし当時は東京にカレピがいたのと、鬼ミーハーだった私は「総合商社→転勤コース」を狙っていたので、その場で蹴ってしまいます。アホすぎて当時の自分を蹴りたい。

しかし私は総合商社ウケが悪いのか、最終面接で落とされまくります(なぜか最終面接まではスムーズに行けるので、毎回期待させるのやめてほしい)。

同時期にゼミの先生のところに外コンからの求人が来ていて、声をかけていただいてましたが、「私は商社に行きますので(キリッ)」と断っていました。しかし就活が終わり、行けるところがなくなり絶望していたので、「ごめんなさいやっぱりお願いします」と頭を下げて、無事内定をもらいました。

2017年:ブラック企業で金の亡者になる🤑

外コンで毎日楽しく()社畜をしていました。徹夜したり土日も働いたりと、人生で一番働いていたおかげか、性格もひん曲がりました。「金ない奴とかマジで無能すぎ〜」と思ってました、本当にゴミ。

けれど4年目で海外に転勤できる制度があったので、「いつか海外に転勤させてもらえるかも!」「この分野でキャリアを積めば、本部のあるヨーロッパに転職できるかも!」という淡い期待を胸にどうにか耐えていました。

しかしロンドン出張についていかせてもらえなかったことと、部屋に軟禁されたことがきっかけで我慢の限界になり、夜逃げしました。

2018年:人生のピークを迎え、調子に乗る😈

転職活動をするも、なかなか次の仕事が見つかりません。暇すぎてフランス語を勉強しようとして、言語交換サイトで知り合った起業しているレバノン人と仲良くなりました。そいつの紹介で、炊き出しボランティアとかを始めました(ここが後から重要になってくる)。

ニートを謳歌していると、チーズ職人の友達に「俺の友達がイギリスでチーズ修行したいらしくて、無償で通訳やってくれない?」とお願いされます。航空券も自腹という最悪な条件ですが、イギリスに飛びました。

するとなんということでしょう、ロンドンで泊めてくれた友人の紹介で東京オリンピックの仕事をゲットします。この仕事の話を聞いた時から私の性格にすごく合うと思っていたので、「YOU、明日平昌来れる?」と電話で聞かれた時は、かなり嬉しかったです。その日は母親と『グレイテスト・ショーマン』を見に行く予定だったのですが、チケットは弟に譲って、私は金浦空港に飛びました。

平昌五輪はめちゃくちゃ楽しかったですし、この一年が人生のピークだった気がします。調子に乗りすぎて、「私は将来ヨーロッパに行くから」と言ってカレピを振りました。同僚がみんなギリシャ人だったので、ギリシャ語の勉強を始め、夏はギリシャの島にバカンスに行きました。

ここの本社がスペインにあるので、「ここでうまくやれば、東京五輪後はスペインに行けるのでは?」と勝手に思い始めます(私にありがちな、根拠のない期待)。誰にも約束されていないのに、スペイン行きを狙って、無理に頑張り始めます。

2019年:ギリシャ人と地獄の日々🤮

オリンピックの準備(泊まり込み)が地獄すぎて、心が折れます。でも約束されていないスペイン行きのために、土日返上で毎日12時間泣きながら頑張りました。ちなみにストレスで足首が腫れて歩けなくなりました。

またギリシャ人に囲まれて、東京にいながらギリシャの生活にどっぷり浸かっていたので、勝手に「私は絶対将来ギリシャに住む運命なんだ」と思っていました(n回目の根拠のない期待)。あまりにもギリシャに染まっていたので、友人からも「久しぶり!まだギリシャに移住してない?」と言われるようになりました。

2020年春:心と体をぶっ壊す😭

新型コロナのせいであっさりクビになります。「また来年戻ってきたらよろしく〜」と1年間フリーターになりました。

良くも悪くも人生の転機その1。10年前からメニエール病で、3年に1回ぐらい発作が勃発するのですが、無職のストレスのせいか、案の定再発します。しかも今回は薬を飲んでも耳鳴りが治りません。ずっと続く耳鳴りに落ち込み、重度のうつ病になり、精神科に強制的に送られました。

2020年夏:ちょっとずつ元気になる💪

ちょっとずつ元気になってきます。大学時代のバイトの縁で、またバイトとかもし始めます。そこで大学時代のバイト仲間と数年ぶりの再会を果たしました。

あと割と本気で死にたいなと思っていたので、「死ぬ前にやりたいことリスト」を作って、昔仲良かったフィンランド人の友達に連絡をし始めます。

7月にコペンハーゲンに住んでいる親友に子供が生まれました。そのせいでどうしても北欧に行きたかったのですが、コロナのせいで行けない状況に挫折していました。あとどうでもいいですが、久々に元カレに連絡してみたら、彼女ができていて絶望しました。

2020年秋:家出したくて仕方なくなる🏠

転機その2。友達のインスタグラムを見て、私は急に何を思ったのか、犬を飼いたくなります。しかしこの犬について家族とかなり大揉めし、難聴が悪化しました。犬も結局飼えませんでした。同時にうつ病も悪化しました。

家出したくて仕方がなくなり、国内の色々な知人の場所に転がり込みまくりました(泊めてくれたみんなありがとう)。ここで「実家から出たい欲」が爆発し、少しずつ引越しを考え始めます。

また連絡を取り始めたフィンランド人の友達がコロナのせいで来日できず、就労ビザがないと海外には行けない現実を見て、「現地で働かないとヨーロッパには行けないのか…」と絶望しました。

11月にチーズ職人の友人の結婚式がありました。そこでまさかの友人代表スピーチ(しかも最後の締め)をやらされました。即興で何も考えておらず、「私は難聴持ちで…」と暴露したら、彼の父親も重度の難聴持ちだとのことで、連絡先を交換しました。

2020年冬:オリンピックを捨てて、転職する🎉

東京オリンピックの仕事の再開が迫る中、大晦日に退職のメールを送りました。大晦日にしたのは、「大晦日だったら怒られないんじゃね?」というしょうもない理由です。

12月末にたまたま友達の起業パーティーがあったのですが、そこの近所に留学時代の友達が住んでいたので、偶然再会しました。その子に退職しようか考えているところを相談したところ、「絶対辞めた方がいい」と言われ、退職メールまで書いてくれました。「目には目を、ギリシャ人にはギリシャ人を!」と思い、そのメールを別の友達(ギリシャ人)と一緒に直しました。二人ともありがとう。

ちょうどいいタイミングで、大学時代のバイト先の知り合い(2020年夏に数年振りに会った)から良い話をいただき、新しい仕事(マーケティング関係)に就きました。この職場は最高で、本当に感謝しかありません。

2021年1月:だんだんと余裕ぶっこき始める🐝

北欧に行きたすぎて、北欧の求人をLinkedInで漠然と眺めていました。フィンランドの隣国エストニアで日本語のできるマーケターの求人が出ていたのですが、「経験も足りないし、エストニアだし…」とスルーしていました。

その時期、知り合いに勧められて出会い系アプリデビューを果たします(もう二度とやりたくない)。

2021年2月:友達がプランを作成し始める📝

友達に「日本を出たいけどコロナで出れないマジで辛い」と愚痴を言いまくっていたら、呆れた友達が「現実的にこうやったら行けるよ」というプランを作り始め、パニック発作を起こします。

ここで初めて、自分は今までただ怖がって逃げてきただけだということに気づきます。

2021年3月:ゴミ男と出会う💘

転機その3。ゴミ男に出会います(結局最後まで付き合えませんでした)。相手はアプリで出会ったキプロス人(ギリシャ語喋れるイケメン)でした。「ギリシャ!」と勝手に運命を感じてしまい、どっぷりハマります。

こいつがなかなかのゴミ野郎で、10人中9人にやめろと言われました。しかし私はアホなので、1人の言うことを聞いてしまいます。今考えてみると、まだやっぱり怖かったので、「こいつと付き合えば、海外に行かなくていい理由ができる」と思っていたのだと思います。

2021年4月:ゴミ男に失恋する💔

ゴミ男と事件が勃発します。簡単に言うと「もっと夢を追いかけないと人間としてダメでしょ」的なことを言われました。あと唐突に「元カノが恋しい」と言われ、泣きました。この時点で逃げればよかった…

かなりムカついたので、9月に海外転職したことがLinkedInに書いてあった気がした知り合い(単発バイトで出会って、留学先のロンドンで一度会って、ニート時代に相談に乗ってもらった人=ほぼ他人その1)に連絡しました。その方にめちゃくちゃ色々アドバイスをもらったり、履歴書のサンプルを送ってもらったりしました(感謝してもしきれません)。

安直な私は「とりあえずそれっぽい履歴書を作ればいっか」と思い、デザイナーの弟に1万円支払って、それっぽいのを作ってもらいました。

2021年5月:ストーカーをしまくる👩‍💻

求人を眺めますが、なかなかいい求人が見つかりません。「あのエストニアのマーケターの仕事に受かった人は誰なんだろう」とふと思い、LinkedInでその会社と職種を検索してみました。すると3年間その職種についている日本人の方(Mさん)を見つけました。

MさんをFacebookで検索してみたところ(完全にストーカー)、たまたま共通の知り合いがいたので、連絡を取ってつないでもらいました。ちなみにその共通の知り合いは、炊き出しボランティア先で出会った子の友達の誕生日パーティーで会った人でした(=ほぼ他人その2)。Mさんと電話をして、履歴書を送ったところ、「この履歴書だったら絶対受かってましたよ!」と残念がられました。

この時期、私はゴミ男(彼氏ではない)とズブズブの関係になっていきます。

2021年6月:難聴が悪化して、自暴自棄になる🌚

Mさんから「前回の求人で採用された人がクビになったので、また同じ求人が出ると思います」と連絡が来ました。しかし私はゴミ男で頭がいっぱいだったので、正直受ける気はありませんでした。

しかしさすがMさん、「履歴書、チームに渡しておきました〜」と連絡がきます(今考えると超絶グッジョブ)。典型的なノーと言えない日本人な私は、勝手に始まった採用プロセスにズルズルと引き込まれていきます。しかし全くやる気がないので、全然準備もせず、質問にも答えられませんでした。なのにどんどん通る面接。なにがあったんだろう?

同時期にゴミ男のストレスで、難聴がかなり悪化します。それもストレスの原因が、前の職場に遊びに行ったら、自分に絶望して「私がダメだからゴミ男が振り向いてくれないんだ…」と毎晩考えこんでしまった、というしょうもない理由です。今考えると、前職は私にとって本当に良くない環境でした。

これはもうやばいと自分でも思い、ゴミ男に(付き合ってもいませんが)お別れを告げます。ゴミ男との思い出が東京中にあるので、東京を出たい欲が大大大爆発します。そして「もうどうにでもなれ」と、香港とモントリオールの仕事に応募します。

2021年7月:内定が出てパニックを起こす🤯

香港とエストニアと面接をし続けます。ゆるゆるとやっていたら、エストニアの内定が出てしまいました。そもそも日本から出るのが怖かったので、毎日パニックを起こしていました。

「給料上げて?」「保険はどうなってるの?」など文句を言いながらズルズルと引きずっていたら、「早くサインしてくれない?」とあちらから文句を言われてしまいました。

正直、人生で一番悩みました。

一番の悩みは難聴とか体調面です。友達ほぼ全員に相談しました。でも決定打になったのは、前職で出会ったギリシャ人に「じゃあもう行かなきゃいいよ、どうせそんなこと言い続けてきっと一生どこにも行かないよ」と言われて、すごくムカついたことです。私は基本的にムカつくと行動起こすようですね。

あとは母親の「人生は経験なんだから、もしボロボロになったとしても、色々な経験積んだ方がいいんじゃない」という言葉にも背中を押されました。ママありがとう。

2021年8月:色々なことに諦めがつく😅

難聴はなぜか悪化し続けたのですが、悪化しまくって病院に行きまくった結果、かかりつけの耳鼻科医師と喧嘩して、諦めがつきました。日本にいてもどうせ悪くなる一方なので、だったら海外で悪くなっても同じじゃん…と思えるようになりました。

またチーズ職人の友人の父親が重度の難聴を持っているので、連絡を取ったところ、「東京駅で会おう」と誘われました。ランチしてお話しするだけかな…と思いきや、補聴器を見に連れて行かれました。補聴器にはかなり抵抗があったのですが、ほぼ強制的に見に行かされました。そしてヨーロッパの方が補聴器が半額以下で買えることを知り、また再度諦めがつきました。

ちなみに香港の会社からは内定まで出たのですが、あまりにもしっかりしすぎていて、入社後に厳しそうだなと怖くなったので断りました。あと私はヨーロッパに行きたいんだなぁ、と改めて気づきました。ここで比較できたので、もう後悔なくエストニアに行こうと決められました。

結論:人生色々ありすぎた結果のエストニアです🇪🇪

私の人生色々とありすぎるのですが、色々な偶然に偶然が重なって、こんな結果になったと思っています。

正直嫌なことばかりで辛いのですが、これら一つ一つがなかったら、私はエストニアに行くことにはなっていなかったんだろうな…となるべくポジティブに考えるようにしています。


長くて疲れたのでこのへんで。就活についてはまた書きます👋

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