今自分に必要なのは自己陶酔
一見遠回りに見えることの方が長い目で見れば近道だったりする。
目の前の簡単な利益に飛びつくことで、将来の莫大な利益とチャンスを手放すことに繋がる。
覚悟を決めて一つの事に専念する事で見えてくる世界がある。
知ってる。分かってる。その思考で行動した事だってある。実体験ベースで、私は分かっているはず。なのに
今必要なのは、歳に見合わない圧倒的な自己陶酔。
周りは大人になっていく。
自分は?
自分の思考を信じ続けて生きていくのは大変だ。
歳を取れば取るほど、周りから取り残されている感覚を強く感じる。
覚悟という言葉が数年、数ヶ月、たったそれだけの時の流れで重く感じる。
昔当たり前に出来ていた思考回路が、途絶えていくのを感じる。
ひとつのことを長く続ける。
フルタイムで働きながらお金を貰い生活する。
挑戦より安定、直感より論理。
プロセスよりも結果で見せる。
自分が持つ自己陶酔のベールが剥がれたら、現実を客観的に認識する力がついた。
理論を固め、正しそうな判断が出来るようになった。
少し前まで自分が1番苦手だったはずの思考方法を、今の自分が当たり前にしている。
圧倒的な努力ができていた時、それは自分自身の力なんかじゃなく、漫画やアニメの主人公になりきっていただけ。
自己を何か別の対象に当てはめることで、自分という体から思考を切り離し、無謀とも取れる挑戦や行動が出来ていた。良いか悪いかは別として。
本当は、リスクを冒すことも失敗を晒すことも怖いから、挑戦は好まない性格な気がする。
いままでの行動は、恐怖と自信のなさの裏返しによる努力であり、純粋な向上心からくるものではなかったと自分は認識している。
肩の力を抜いて数年生きてみて気づいたことは、別にこのままの自分でも存在していけるということ。現状維持を行う努力だけをして生きていき、小さな気づきに心を躍らす人生も自分の選択肢の一つにあるのかもしれないということ。
自分の中の選択肢が増えた。
劣等感や焦燥感という暗いモヤモヤが自分から外れて、純粋な選択が出来始めた今、
何もせずにゆったりと過ごしていく人生にも幸せを感じられる今、
それでも自分は現状維持では全く持って満足しない。新しく、面白いもの、常に自分が最大限成長出来る選択をしたいと思えている事に正直ほっとしている。
その領域における人間の差は、生まれながらの差なんかじゃない。
何年間、自分が理想とする場に身を置いて必死に生きているかだけだ。
だとしたら自分は、覚悟を決めて自分の会社をやる。
最近、数年間修行の為に働くかどうかめちゃくちゃ迷ってたんだよね。最近成長の速度も遅いし、熱量も前ほどは無い気がしていて。冷静にかっこよく決めようとしている自分を、だせえと思いながら、失敗する恐怖に負けてそこそこレベルの結果を狙いにいってる自分で居続けている。
覚悟を決めて自己陶酔した自分は、もっといい意味で馬鹿だった。
この数年間は、自分にとってとても素晴らしい資産だった。
身体の不調はスッキリ治った。あんな不調が続くって、どれほどストレスと疲労を抱えていたのか。そこまで追い込めてた自分を羨ましいと思いながらも、冷めてる自分がいた。
また不調になりたいとは思わないけど、でもあの時の感覚を取り戻したいと思う自分もここにいる。
これからの数年間は、また、もう一回、誰よりも努力する人間でありたいと思う。
もう一度、新しいレベルでの自己陶酔を自分にかけて覚悟を持って努力していきます。
と、自分の為だけに書いたメモを貼っつけた久しぶりのnoteでした。