'9月1日防災の日'に振り返る。沖縄での台風6号被災体験から感じた「災害を乗り越える処世術」
2023年9月1日。関東大震災から100年経った日。
9月1日といえば、始業式からの防災ずきんをかぶって避難訓練をする、夏休み明け早々ややだるい時間という認識だった小学生時代。
「このやわやわなずきんで何から身を守れるのか?」なんて幼ながらに懐疑的に思いながら訓練を終えて帰宅すると、関東大震災の悲惨なモノクロ映像が多数流れ、ちょっと怖い日という印象の一日である。
自身の被災歴でいうと、12年前に起きた東日本大震災のみ。
千葉県幕張にある会社で働いており、同県内に住んでいたに関わらず、1.5日帰宅できなかった。沿岸部埋立地の被害は結構大きく、余震も続いて不安な時間であったが、会社の仲間で集いながら家に泊めてもらい、できる限り一緒に帰宅したりという支援のおかげで、怖い思いをせずに乗り切った。
今回、出張先の沖縄で初めて台風での被災を経験した。
この4年間程、頻繁に行き来している時に台風がくることはあったが、今回は夏真っ盛り。パンデミック後の観光客MAXな状況でスケジュール変更が困難だったという背景がある。
出張や旅行とパンデミック後の移動緩和、多拠点生活、移住など居住地の自由化が進む中、どんな対策ができるのか。
自身の学びとして記しておこうと思う。
パワーをもったまま滞在する長期型台風により、延泊八日間を体験。
8月頭にやってきた台風6号カヌーンの影響により、7/24 - 7/31の沖縄出張から帰宅できず、避難しながら8日延泊。人生初めての台風で被災した。
那覇市など中心部でも停電し、私の関わる場所である今帰仁村でも大きな被害が出た。
しかも8/1-2の第一波、8/5からの第二波と二回、沖縄本島直撃するかもという状況。
しかし台風慣れしている沖縄の皆様。
さほど焦りなし。
いつもの通り、台風対策を行う雰囲気であった。
その空気に従い、まあ、過ぎ去るであろうと思い、8/3くらいに帰れるであろうと思ったら二波が訪れた。その結果、8日間の延泊となった。
8/1 店舗の台風対策と食料確保
毎時強くなる雨風をウォッチしながら、次に飛べるであろうフライト情報をチェックする。
店舗の台風対策を終えて、食材確保に走った。
なかなかの渋いラインナップ。
すぐ食べれるものと好きなもの(炭水化物)を選んでいた。
そう、もうこの時、棚には食材なしであった。
自分もこの光景に慣れてスーパー空っぽの写真とか撮り忘れ、買い物に必死になった。
8/2 携わる仕事場。台風一波目に直撃し、お店が大きく損壊
8/1の暴風雨でドアが吹き飛び、床上浸水、店内は塩害で二日間で錆が各所に見える状況。
北部地域は一週間以上、停電が続いた。
我が身もそうだが、手塩にかけてオープン前より携わるレストランAwaykの壊滅的状況に、
「なぜに自分たちにこんなことが起きたのだろう。自然災害っていったてデータはあったはず。なんで防げなかったのだろうか。」
そんな気持ちが込み上げるのに、驚き過ぎて言葉がでなかった。
これはもうしばらく営業できない。
世に協力を求めようと、荒む気持ちを整理しつつ、クラウドファンディングをスタートした。
【皆様のお陰で、なんと8日間で目標は達成しました!】
今帰仁村への寄付に向けて、引き続きご支援よろしくお願い致します!
https://rescuex.jp/project/90064
8/2 自身はチェックアウト日。暴風雨で移動できず、待機場所で仕事
7/31から外出れないと困るとコンビニや大浴場がある大きめのホテルに移動し2泊した。
想定通り快適に過ごせたのだが、多分明日の飛行機は飛ばないため、延泊が必要となった。
台風での延泊が増えているのとまさかのお盆真っ最中でプライスはマックス。
ここに延泊は無理だと次の場所を探す。
ここは台風だが、東京は晴天。
仕事がなくなるわけではない。
店の被害にそわそわしつつ、外の椰子の木はえぐい角度で風に靡いているのを眺めながら、明日のフライトがキャンセルとなった。
ホテル二件目のチェックアウトし、歩いて8分、車で2分のホテルに延泊先を決めた。
しかし暴風雨で移動できず、開放されたホテルの宴会場スペースでとりあえず仕事をした。
おもちゃや折り紙が置いていあったり、ホテルの対応は素晴らしく、次第に移動できない人たちでいっぱいに。
子供達は知らない子たちと交わいながら広場で遊び、大人たちは情報共有をしたりしていて、ムードは避難所のようだった。
ダメ元で、ホテルのエントランスに行くとタクシーが1台止まっており、次のホテルへ向かった。
車で2分といえど、吹き飛びそうな風に注意しながら移動する。
ドライバーのおっちゃんとドアを開ける時、雨風の衝撃にきゃーきゃー言いながら、停止されたホテルの自動ドアを自力で開けて中へ入った。
(名護から来ていた勇敢なおっちゃんに感謝。)
8/3 - 4 飛行機チケット取れずの連続。天気アプリ、飛行機、ホテルを毎時チェックしスケジューリング
台風の抜け目で1.5日くらい飛行機が飛んでいた。
が、チケット争奪戦に負けて取れなかった。
店舗の二次被害がでないように対策をしつつ、自分の帰れるスケジュールを考える。
この旅の移動、この時点でホテル4件目。
延泊5日目。
メンタルが一番しんどかった日。
8/5 5日は飛ぶでしょうと予約したものの、第二波直撃。
予想が外れ、5日に第二波が直撃。
予約していたフライトはおじゃんとなった。
毎度くる「欠航のお知らせ」メールのタイトルを見ると辛さ倍増。
昨夜ホテル1泊分を延泊し、終日待機した延泊6日目。
8/6 天気図が🌞マークになった8/7にフライトを決定。最後に村へゆく。
まだ雨風が強く吹く中、今帰仁村にゆくと、店の前がまさかの土砂崩れで通行止め。
初めて見る景色だった。
自然豊かな場所へ足を運ぶことが多くなったが、やはり自然には抗えない。
店舗の二次被害はなかったが、周囲の山、地盤には影響が出ており、村とのやりとりなどが始まった。
延泊7日目は、友人宅にお世話になり明日の帰宅へ備えた。(Sちゃん、いつもありがとう!!)
8/7 延泊8日目、東京へ帰宅
テレビで見るほどの列はないものの、行列。
チケット変更や待ちで来ている人も多く、カウンターも混み合っていた。
満席の飛行機で帰路に着いた。
学びその1。フライトチケットは二刀流で調整。緊急時、マイルが役に立った。
今回スカイマークを利用しており、一回のフライト変更希望はページから可能だった。
しかし2回目以降の変更は、変更フォームからでないと依頼ができない。
オンタイムの変更ができず、その間にチケットはものすごいスピードでなくなっていく。
これはあかんとJALマイルでのチケット予約も同時に開始。
プロパー価格は最高価格となっており、マイルが役に立った。
今回、8/1からの第一波が過ぎ去り8/3 - 8/4に何便か運行していた。
二刀流でチケット手配に精を出したものの、ここを逃し8/7となった。
スカイマークはしばらく空席がなく返金処理し、補いで活用したJALで帰ることができた。
自身の場合、仕事で来ているためPCからネット予約で攻めたが、兎にも角にも帰らないといけない場合は、電話は繋がらないので、空港で張り付くことがおすすめである。
臨時便が何本か飛んでいた。
しかし取れなかった場合は、空港滞在またはホテルへ移動しなければならない。
その際、外は暴風雨なので家族全員で移動などなかなか困難と思える。
夏休み期間なので、きっとお父さんだけ先に帰宅するなどの対応もあったのだろう。
ベストな選択肢は人それぞれ。
自分で自信を持って情報を探って、決定、行動することが求められた。
学びその2。すぐ食べれるものをまずチェック。
よくスーパーやコンビニの棚がすっからかんになる映像がメディアに出るが、その通り。
台風慣れしている沖縄県民は台風がきますよーとなったらまずスーパーに行き、備蓄する。
今回、船が一週間止まれない状況で、物資の遅延は台風の後半戦に訪れ、8月中に渡り、食材が十分に手に入らない状況であった。
夏休み需要でそもそも島にいる人数が増えてる状況での物資不足。
ホテルで作業している時、ずぶ濡れでおむつを買ってきたお母さんを見かけた。
長期滞在でこどものおむつは宿泊分しかもっていないであろうから、確かにと感じたところであった。
紙製品、パンなど日持ちしてすぐに口に運べるもの、栄養補うビタミンサプリなどコンビニでも買えるものは、台風あやしいぞと感じるあたりから買って良いものだと感じた。
避難食となるとカップラーメンだなとたくさん買ったが、やはり毎食食べれなかった。
都心部で電気がある場合は、袋パックになったお惣菜や冷凍食品がおすすめである。
延泊5日目あたり、なかなかナイスな避難食生活となっていた。
学びその3。メンタルを崩しやすい環境。繊細さんは心の安定を作る「安心パック」を持っておこう。
移動生活をしながら、さまざまな環境に身を置いている割には、メンタル豆腐な私。
台風の悲惨な状況を見てるだけで心は荒んで、帰れない不安定な状況と、何せ1人でホテルにいることが長く、雨風で建物が揺れる怖さと寂しさを感じた。
移動先でもストレス緩和するためのアイテムや自然に行ってコンビニがないなどのシーンも沖縄ではよく起きていたので、「安心パック」的なものを作ってトランクに入れていた。これが役に立った。
安心パックには、お茶やコーヒーなどのティーバッグ、アロマグッズ、天然塩、洗濯洗剤、ナッツ、サプリ、マスクなどを詰めている。
瞑想、ストレッチ、ジムで走ったり、ホテルを散歩をしたり、からだの調整をしていたが、非常時となると全然心が休まらなかった。(修行不足そのもの)
アロマスプレー、バスソルトなどは普段から活躍してくれるアイテムですが、香りでくいっとリフレッシュできたり、カロリーメイトや、サプリ、天然塩なども役に立った。
栄養を補うだけでからだの感覚が変わり、'大丈夫'と思えるようになるものである。
学びその4。デジタル機器はマックス持っておいて損なし。
いつどこでも大体PCは持っているが、スマホのみだと調べる速度や、得る情報のスピードが落ちる感覚があり、やはりPCに救われることが多かった。
ホテルチェックアウト後、次のホテルに移動できず待機場所で仕事をしていた際に充電池も活躍。
充電スポットが限られていることも多く、持っていると安心。
自然豊かな場所やバケーションに行くとき、荷物はあまり持って行きたいくないものではありますが、、、ご参考まで。
学びその4。体験を積む。ヘルプが必要なときは声に出す。
都会生活がベースな自分は、自然の学びが足りない自覚がある。
山に登ったり、海に行ったり、自然を学ぶチャレンジはしているが、沖縄行き来生活でも、結局いつも友人たちに学ばせてもらい、お世話になりっぱなしだ。
そのおかげか、出張グッズも快適仕様になり、解決能力はアップ。
自分の心身の限界ラインを知り、ヘルプが言えるようになった。
今回はSNSで状況をたくさん発信した。
自分からのヘルプ依頼である。
ストーリーズを見た友人が「ホテル生活つらいでしょ?お弁当もっていくね」と差し入れを持ってきてくれた。(神様Mちゃんありがとう!)
個の時代、助けの求め方、繋がりも変化している。
助けてくれるひとはすぐそばにいる。
声を出すことが大事だ。
今回の被災での気づきであった。
防災の日に考える。増える災害に対し、心身それぞれどう備えるか。
東京に戻り、他国のニュースをチェックすると、南半球は冬なはずなのに30度以上あるとか、各所で山火事があるなど地球が燃えている話でいっぱいだった。
冒頭の防災の日について話に戻ろう。
母方の祖母が神田生まれ育ちで、8月に帰省すると終戦記念日の話が出ると、防空壕の中にいた話や大震災の話を聞いた。
おばあちゃんの語りには悲惨さはなく、長年生きた悟りもあり、そんなこともあったねえくらいのテンションで語る。
復興が進むと駄菓子屋さんができてねえ、小麦粉をといただけのもんじゃ焼きをよく食べたんだよ、もんじゃはおやつなんだよ。なんていう話まで思い出した。
過酷な幼少期から、高度成長期に家族を支え、病気をしながらも大往生だった祖母の語りの力強さに、生きる力と、彼女の運命のようなものを感じた。
今は予測する情報もさまざまあり、大半の人が各人考えながら生きていると思う。
しかし昨今のコミュニティが少ない都会で起きた際、ひとりで困る人は多いんでは?と思うところがあった。
パンデミック後の自死率の伸びを見ると感じざるを得ない。
幸せな日常から、危険伴う非日常が訪れたとき、問われるのは「心身両方をうまく扱えるか」。
多発する災害時の処世術は、個の時代に求められるスキルの一つなのかもしれない。