大好きなホーチミンを離れ、日本に帰るわけ
ホーチミンに住むこと5年。ホーチミンは私たちが家族として暮らした最初の土地でした。コロナ禍に渡航し、ロックダウンで配給生活を経験したり、車がないので臨月にバイクで病院に行ったりしました。ホーチミンで始めた新婚生活では、子供を2人授かったり、東南アジアにたくさん旅行もしました。ホーチミンは、個人から夫婦へ、そして家族へと変化していく私たちを見守ってくれた大好きな土地です。この土地で私たちの暮らしを始めることができて本当に良かったと思っています。
ですが私は、贅沢なことに、そんな包容力のあるホーチミンに少々飽きてしまっているのも事実。
実家は転勤族で、幼少期に国を転々として生活していたからかもしれません。一つの土地や組織に長いこと属していると変化が欲しくなるのです。同じ環境に留まっていると、どこかむずむずともどかしい気持ちになってしまいます。
そんなわけで、来年ホーチミンから日本に帰ることにしました。私の心境の変化のほかにも、このタイミングで日本に帰る理由がいくつかありますので、備忘録として記させてください。
教育費
我が家には3歳と1歳の子供がいます。上の子は幼稚園、下の子はナニーさんに面倒を見てもらっています。
ホーチミンでベトナム語以外の学校に子供を通わせようとすると、教育費は年間で1人あたり100万円はします。今年は上の子だけ日本語の幼稚園に通わせ、下の子はナニーさんに面倒を見てもらっていますが、来年からは下の子も園に通い始めるので、教育費だけで年間で200万円飛びます😢。
駐在ではないので教育費の手当はありません。
それなら、日本に帰って保育園に通ったほうが経済的にも、日本語教育的にも良いと判断しました。
日本の保育園は、教育や保育の面でとても手厚くサポートしてくれる上、ほぼ無償で通えるので、神様みたいですね。今が海外からどうやったら保育園に応募できるのか、試行錯誤しながら進めているところです。(需要があれば、海外から日本の保育園に応募する過程も別記事で残せればと思います)
祖父母と過ごせる時間
私が小さかった頃のことを思い返すと、その大半は、祖父母と楽しく無邪気に遊んだ思い出です。一緒にご飯を作ったり、川遊びしたり、森の中を探検したり。
ホーチミンにずっと住んでいたら、私の子供たちは幼少期に祖父母と一緒に遊ぶことができません。可愛い小さい孫と過ごせる貴重な時間を、祖父母から奪ってしまうことにもなります。
私の中では、私が自分の祖父母と過ごしたはとても大切で素敵な思い出になっています。子供達のも同じように楽しくおじいちゃんおばあちゃんと遊んで欲しい。そんな思いが帰国の決断を後押ししました。
夫の仕事
5年前、夫はホーチミンで起業しました。それが故に私たちの生活はホーチミンから始まりました。
今年の終わり頃、その起業に一区切りがつきそうです。ホーチミンに縛られなくなった今が、日本に帰国するチャンスです。
私の仕事と趣味
今年はホーチミンの会社から、就労ビザをいただいてUXデザイナーの仕事をしています。ありがたいことに日本に帰ったら、日本の支社に切り替えていただけるそうで、仕事に支障はなさそう。その安心感が帰国の決断を後押ししてくれました。
そして私の趣味について。
今年に入ってから、ホーチミンで草月流のいけばなをはじめました。稽古を重ねるうちに、もっと技量を高めたいという思いが強くなってきました。ホーチミンにもいけばなを嗜む人はそれなりにいますが、日本ほどではありません。日本にはいけばなの先生も、展示会も、ホーチミンとは比較にならないほどたくさんあります。
一度日本に帰って、気が済むまでいけばなの世界に身を浸したい。そしていけばなを通して体得した感性と日本文化についての知識を、今度は世界に向けて発信したい。できればvlogにして、「いけばなのある生活」というコンセプトで発信したい。日本に帰ればそんな私の妄想が実現できそうです。
以上、とても個人的な事情が満載ですが、私たちが海外から日本に帰国する理由をご紹介しました。
日本に帰ったら4年くらいは腰を据えて生活し、準備を整えてまた海外に飛び立ちたいと思います(たぶんオーストラリア!)。
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今日も最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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