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子育てってこういうことか(2)

前回のつづきです。

小さい頃の私は、あれこれやってあげるのが好きだった。ありがとうと言われるのも、微笑みかけてくれる笑顔も、その場が温かくなるあの感じも、全部が好きだった。


でもいつからか、自分がやることにいい顔をされなくなってきた。はっきりと「もうやめなさい」と言われて、迷惑がられたこともある。


大人になった今なら、どうしてそうなったのかがいくらかわかるものの、小さいときの私には「もうこういうことしたらいけないんだ」と理解することが精一杯だった。



子供の頃に自分で理解したこと、言い聞かせたことは、そのまま自分の中のルールになりやすい。

誰かに何かをする、ということには、とても慎重になるようになった。


でも、その「慎重になる」の中には、やりたいけどやめておく、やりたいけどどうしよう、といった気持ちが隠れていたんだなと、最近になって気づいた。


本当は、もっともっと、あれもこれもと、アレコレと手をかけてやってあげたかった。でも、それをセーブしていたのは、自分の子育て論や、自分の生きたい人生に目を向けることや、時間や労力の有無を言い訳にして、ただただ、自分がそれをやってしまったら「また怒られてしまう」ということに怯えていて、単に自分が理由なだけだった。


良かれと思ってやったことが相手に受け取ってもらえなかった経験なら、誰にだってあると思う。

その虚しさや寂しさは、積み重なるごとに、恐怖や憤りといった、別の感情に変わる。


でも、そもそもは、相手を思った行動だという、愛でしかないもの。
 

愛が、あらゆるネガティブな感情に変わってしまうというのが、生きていれば至るところで起きる。

これが人生だったり、生きるってことなのかもしれないなと思う。


ボジティブな感情よりネガティブな感情に引っ張られやすいのは、脳の特性によるところもあると思う。


人は7万回思考して、そのうちの6万回はネガティブな独り言だという。

誰に何を言われているわけでもないのに、1人で脳内で「これはだめ」「こうしなければ」「こうでなければならない」などが繰り返されているらしい。

もちろん、そういう思考が出来上がってしまったことにも理由はあるけれど、ずっとそのままでいるしかないかといえば、そうではないという提案ができるのは、音を扱うから。


そのネガティブな独り言は、どういうわけかでそう出来上がってしまったのなら、そうじゃないようにも出来上がってしまえるということ。


聞きたい音をきき、見たい景色をみる。そのお手伝いに、精油と周波数がよき味方になる。


 
ポジティブだけでなく、ネガティブなものに捕まってしまうのもまた人生だし、自分が辛かったり、そこにはいたくないって環境にいることに気づくことから、ネガティブを手放すこともできる。
 
その経験があるから、そもそもあった 愛 の力やその素晴らしさを感じることもできる。

高熱でうなされて、健康のありがたみを感じるようなもの、と簡単に例えてしまうのは乱暴だろうけれど、そもそもの自分を改めて感じて取り戻すことで、過去の自分がそれでよかったんだと思える感覚は、大きな救いであり、大きな癒しになる。


こんな風に思えたのは、短期留学から帰ってきた娘に大きな成長が感じられたから。


できない子になったらどうしよう
将来困らないように育てなきゃ
でも、辛い思いはさせたくない


いろんな想いが交錯しながら子育てに勤しんでいた当時の自分は、いろんな言い訳をしながら自分で自分にブレーキをかけて、でも、前に進もうとしてた。

振り返って改めてわかったのは、かなりの不器用だったけど、その都度その都度、迷いながらも悩みながらも憤りながらも、自分なりに答えを出して、選び、決めて、目の前のことを一つ一つしっかりやって来たということ。


謙遜することなく、卑屈になることもなく、遠慮もなく、当時の自分ははっきりとこうだったはっきり言えるのは、当時の自分を今の自分がしっかり理解して、受け止められるようになったからだとは、今の自分だからわかること。

以前の私は、迷う自分も、決めた決断も、何かとこれでは駄目だと罰していた。それだけ、あらゆる自分に、自信がなかった。

でも、そんな中でも、目の前のことをやり続けてきたことが今に繋がって、それは自信という形で自分の中に根付いていることに、成長して今を楽しんでいる娘が気付かせてくれた。 

どこか、このままでは駄目だと感じていた当時の自分を許せた気がした

理解して、受け止められる、は許すへの道だった。

子育ては子供と同時に親も育つという言われは、子供を通して大人もいろんなことを学べるから。

それは、たくさんの気づきを得られるだけじゃなくて、過去の自分を許すチャンスが得られるということなのだと思った。そこを経て、親としてだけでなく、自分自身がステップアップしていけるんだ。



親が迷うと子供にもそれが伝わってよくない、という話もあるけれど、そもそも迷わない子育てなんてないと思うし、あれこれと親が苦悩しながらいる姿も子供にとっては学びの1つになる。

全大人はみんな子供だったときがあるし、いろんな大人をみて育つ中で学ばないで過ごせてきた人はだれもいない。


完璧でないからこそ子供が育つところがあるのだと、いくらか腑に落ちた感覚は、あれこれと手をかけてあげられなかったことに罪悪感があった自分に気づかせてくれたし、でもそれでよかったんだと思えたことで当時の自分が全て許可されて楽になれた。


エゴでもなんでもいい。
やってあげたいことはやってあげたい。
その気持ちに蓋をすることはないんだ。
行動にうつすかどうかは、また別の話なんだ。

今更ながらに自分の理解が深まった。

でもこれは、子育てに限った話ではないとも思う。

自分と出会ってくれる人は、いつも何かしらのヒントをくれる自分にとってのガイド。私には子供を産んで育てて、そこから学ばなければいけない何かがあるから、こうなっている。ただそれだけ。


大きく成長した娘は、行動力も自分の意思も考えもしっかりある。もう大丈夫かと思えたら、存分に甘やかしても大丈夫な気がしてきた。


「あさごはんなにー」「おひるごはんはー?」「よるごはんいつー?」そんな声にもどかしさがあったのは、自分にセーブがあったから。

声がかかるたびに、私がやっていることは中断されるし、集中力も切れる。

一日に何度もキッチンに立って献立を考えることがあんなに辛かったのに、今ではとても気持ちが軽い。冷蔵庫と相談して、彼女が食べたいものを存分に食べさせてあげたい。

いや、ちょっとは自分のペースが崩されることのもやもやはあるか(笑)

でもこのくらいが丁度いい。彼女が巣立ってしまったら、この感覚すらも懐かしくなっちゃうのだ。一緒に暮らせなくなってしまう前に気づけてよかった。子育てってこういうことか、、と、またちょっとわかったような気がした。

人はちょっとしたお節介に救われるのだと何かで見たフレーズを思い出す。

人と人は愛で繋がっていて、人は愛でできている。

時間も労力も限りがあるけど、愛だけは存分に溢れていいんだ。

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