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底辺フォトジャーナリスト ミャンマー白骨街道に1週間だけ行ってみた①

ミャンマーの軍事クーデターから3年が経過しました。各地で戦禍が頻発し、民間人の犠牲が後を絶ちません。ウクライナ紛争より長期化しているにも関わらず、未だに解決の道筋が経っていない悲惨な状況。いったい現場はどうなっているのでしょう。


なぜミャンマーの奥地に行くのか

「ミャンマー」と聞いて何を連想しますか。市川崑監督で映画化された「ビルマの竪琴」、1991年にノーベル平和賞をとったアウンサンスーチー氏、などでしょうか。どちらも偉大過ぎて、一般的な日本人にはどうもなじみにくいです。かといって、他にミャンマーという国を身近に感じられるものも思い当たりません・・・・・・。ミャンマーを遠くに感じてしまうのは、2021年のクーデターから続く内戦も要因です。今も各地で同じ国に住む人たちが争い、安全な生活を送れていません。温和で誠実な人が多く、素晴らしい観光資源がたくさんある国ではあるものの、現状多くの日本人はあまり関心や情報を持っていないのが現状ではないでしょうか。

 そうした淡い繋がりのなかで、日本とミャンマーを結びつける大きな出来事が約80年前にありました。第二次世界大戦でもっとも無謀と言われた愚策「インパール作戦」です。1944年3月から7月まで旧日本軍第15軍の作戦として行われたこの作戦は大失敗。戦地に取り残された日本兵は命からがら来た道を戻り、飢えと病気のためバタバタと死んでいき、3万人以上が犠牲となりました。のちに、あまりの死体の多さに「白骨街道」と呼ばれるようになります。この道は現在のミャンマー北西部、今のサガイン州とチン州を結ぶティディムロードが舞台です。
 70年以上経った今も、この道では旧日本兵が遺した遺品や骨が時折見つかるとのこと。現地に訪れると見せてくれる方もいます。

 前置きが長くなりましたが、そんな歴史のある地を訪ねました。実はクーデターが起こる前、2019年に一度行っているので今回は2度目です。そのとき現地で会った方たちの安否、そして軍との紛争状態になってから現状がどうなっているのか、それが気になっていました。


日本人のものと思われる遺骨の一部(2019年12月トゥイキャン村)


旧日本軍が遺したヘルメットを見せてくれる子どもたち(ティディムロード)


捨てていった戦車も残っています(チカ村近郊)






 

出発前から預金通帳とのたたかい

 出発前から驚きの出費の連続です。第一にどこに行くにも例外はありませんが、航空券がとんでもなく高いです。日本からヤンゴン、ヤンゴンから国内線でサガイン州カレーミョ空港までの往復チケットでおよそ13万円強。この時点で昇天です。因みにミャンマー国内の移動において、バスはストップしているため、空路しか選択肢がありません。そのため、航空券は秒で売り切れるので、ネットによるチケット争奪戦を勝ちぬく必要があります。

次に、これも悩ましい話ですが、ミャンマーの観光ビザ(7,900円)を取るのに、国有保険(同7,900円)に入らなければなりません。ビザのホームページによると、自前の海外旅行保険でもいいとは言っています。しかし、これは建前。インターネットでビザを申請する際、国有保険に入った証明番号を入力しないと先に進めない設定になっているため、実質国有保険は強制といってよいでしょう。外国人からお金を巻き上げるスタンスが、貧乏人には応えます。

幸運なことに、宿泊については予約サイトエクスペディアで予約が可能だったので、事前に決済をしておきました。しかし、この選択はのちに後悔することになりますーー。

ヤンゴンまで行くのも一苦労でした

 ミャンマー最大の都市ヤンゴン国際空港、朝11時。私は北西部の都市、カレーミョ行きの航空券を携えて国内線ロビーにいました。出発ゲートは約50人ほど。すべて現地人、外国人はおそらく私一人です。私のフライトを含めて2便遅れているようです。出発ロビーのベンチに腰掛けると、ここへ着くまでのいろいろなことが思い出されます。


ミャンマー全体地図とカレーミョの位置図

 前日まで2日かけて、中国各地を経由しながらヤンゴンへの長い旅を続けていました。中国名物カウンターたらい回し、現金しか使えない国際空港など、微々たる問題をたくさんクリアし、ミャンマーに入国。
「一眼レフカメラが見つかったら取り上げられる」「スマホにFacebookアプリを入れているなら消していったほうがいい」など、いろんな人にいろんなことを言われてナーバスになっていた入国審査は、難なくクリアしました。おそらく中国人観光客に紛れていたのが功を奏したのでしょう。よかったです。

 

昆明空港への乗継 同じ機体を使うので一度降ろされ、待たされます
昆明空港からいよいよミャンマーへ ご覧の通りガラガラです

翻ってベンチで待つこと1時間、12時過ぎ。CAが現地語で何ごとかアナウンスしました。そのとたんに、一斉に半数以上の人が立ち上がり、どこかへ立ち去っていきます。急いで「何かあった?」と、ベンチで隣に座っていた50代くらいの女性に確認しました。どうやら1便運休になったとのことです。各地の戦闘の状況により、ミャンマーの飛行機はたびたび止まります。そのことに対してクレームを言うでもなくサッサと帰るあたり住民も慣れたもの。私ならその先のことを想像して、怒り心頭になってカウンターに怒鳴り込むでしょう。
 ラッキーなことに、そのすぐ後に私の乗るフライトは無事運行し、1時間遅れとはいえ出発しました。専らものすごく心配していることではなく、その斜め上の問題が起こるのが旅のだいご味です。次は何が起こるのか、楽しみですね……


ヤンゴンからカレーミョへの飛行機内 エアコンが全く効かず暑かった……

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