武馬怜子

フリーの写真家。原発事故後の双葉町、第2次大戦中のインパール作戦の軌跡など各地を取材。ヤフー特集、文春オンライン、週刊SPA!、週刊金曜日などさまざまな媒体で写真、記事を出している。 https://www.reiko-buma.com/

武馬怜子

フリーの写真家。原発事故後の双葉町、第2次大戦中のインパール作戦の軌跡など各地を取材。ヤフー特集、文春オンライン、週刊SPA!、週刊金曜日などさまざまな媒体で写真、記事を出している。 https://www.reiko-buma.com/

最近の記事

「拳と祈り ―袴田巖の生涯―」 冤罪に抗い続けた姉弟の記録

1966年、静岡県清水市で起きたみそ製造会社専務宅一家4人殺人事件。犯人とされた袴田巖さんは無実を訴え続けながらも、死刑判決を受け47年7カ月もの間拘禁された。無罪を信じ続けた姉・秀子さんとともに闘った人生を追うドキュメンタリー映画「拳と祈り」が今、多くの人々の心を揺さぶっている。 長すぎた拘禁と奪われた人生映画は、袴田巖さん逮捕から48年後の2014年3月、彼が釈放される場面から始まる。一点を見つめかたい表情を浮かべる巌さん。その顔には喜びというよりも疲労と戸惑いがにじ

¥300
    • 【総選挙ルポ】たった一人で戦った26歳無所属候補の挑戦と挫折

      10月9日解散、15日公示、27日投開票と戦後最短で進められた衆議院議員総選挙。その結果、自民・公明が過半数を割り、立憲民主党が議席を大幅に伸ばす展開に。だが、短い選挙戦のなかで大政党の候補者よりも、さらに厳しい状況で戦わなければならなかったのが無所属の新人たちだった。今回は、そんな状況の中で孤軍奮闘した一人の候補者、石倉弘次郎氏を通して、その戦いの一端を追う。 孤独な候補者との出会いまで 選挙戦終盤のある昼下がり、私は中野区・沼袋駅から新井薬師、その後野方、次に都立家政

      • 1944年インパール作戦に参加した旧日本軍の写真がインド・コヒマに残っていました。すごく若いですよね。この若者たちに待ち受けていた苦難を思うと……😢

        • 底辺フォトジャーナリスト ミャンマー白骨街道に1週間だけ行ってみた③

          ミャンマー軍事クーデターのさ中、白骨街道の取材を試みた筆者。ところが、運悪く到着と同時期に戦闘が激しくなり、先に進むことが困難になってしまいました。いくつか方法を模索しましたが、なかなかうまくいきません。戦闘地域では当たり前ではありますが、待ち時間がもどかしいです。しかし「できることをやるしかない」そう思い、可能な範囲で動くことに決めました。 ミャンマー北西部に生きる人たちの現状  ここからは、カレーミョの人たちが直面している現実のお話を私が見てきた限りでお話いたします。

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          底辺フォトジャーナリスト ミャンマー白骨街道に1週間だけ行ってみた②

          クーデターから3年が経過したミャンマー。終わらない内戦のなか、無謀な作戦の代名詞にもなっている「インパール作戦」の舞台のひとつ、白骨街道を目指します。幾多の(小さい)苦難を乗り越え、ついにカレーミョ空港に降り立ちましたーー。   ホテルの予約トラブル  4年ぶりのザカイン州・カレーミョ。この街の広さは2,330平方キロメートル、岐阜県高山市程度。人口は37万人、越谷市ほどです。住民は大きく分けてビルマ人とチン族というふたつの民族が共生しています。割合としては2:8くらい

          底辺フォトジャーナリスト ミャンマー白骨街道に1週間だけ行ってみた②

          カブくん推定7才。何でも着けさせてもらえます👏癒される ~

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          底辺フォトジャーナリスト ミャンマー白骨街道に1週間だけ行ってみた①

          ミャンマーの軍事クーデターから3年が経過しました。各地で戦禍が頻発し、民間人の犠牲が後を絶ちません。ウクライナ紛争より長期化しているにも関わらず、未だに解決の道筋が経っていない悲惨な状況。いったい現場はどうなっているのでしょう。 なぜミャンマーの奥地に行くのか 「ミャンマー」と聞いて何を連想しますか。市川崑監督で映画化された「ビルマの竪琴」、1991年にノーベル平和賞をとったアウンサンスーチー氏、などでしょうか。どちらも偉大過ぎて、一般的な日本人にはどうもなじみにくいです

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