「しくみ化」と創発への「余白」③
昨日までのポストでは、組織としての経験的知見が凝縮されてできたサービスメニューや定型化された実行プロセスが「裏目」に出て、本質課題を掘り下げきれないまま、ソリューションを当てにいくケースについて見てきました。
コンサルのようなクライアントワークに限らず、どんな仕事をしていても、組織が過去に手掛けた案件をもとに、しくみ化されたやり方を共有財産として活用するケースは多いと思います。
似たタイプの問題に対して効果を発揮した解決策を適用することや、効率的に解決策にたどり着くための標準的な仕事の進め方を参照すること自体は、誰が担当しても、できるだけ早く確実に結果を出すために有効なアプローチではあります。
落とし穴があるとすれば、しくみ化されたやり方はそれを活用する人に、表層的な手順だけを追ってしまうとか、脊髄反射で経験則を当てはめてしまうといった行為を誘発しやすい、ということでしょう。
逆に言えば、しくみ化されたやり方を活かすには、以下の点について腹落ちした状態になっている必要がある、ということではないかと。
その手順がなぜひとつの標準形として有用だと考えられているのか(そのプロセスを踏むことで起きることとは、アクション項目間のつながりとは)
そのソリューション原型がなぜ、どういった問題に適用され得るのか(何がどう機能してどんな効果をもたらすのか、どんな場合にそれが価値として受けとめられるのか)
では、そうやってそのしくみに内包された本質的な意味を理解していることで、何が実現されるのか?
さらに続くポストで検討したいと思います。
(つづく)