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【ルポ 筋肉と脂肪はアスリートに訊け】「心技体」か、「体技心」か、それとも?

「納得がいかない」という思いを消すことができなくて、バレーボールクラブに通うのを辞めたのは、小学6年生の時だった。

私が小学生の頃、地域で入れるスポーツのクラブは、男子は野球かサッカー。女子は、バレーボール。指導者は、中学校の体育の先生や、クラブに所属している子の父親などが務めていた。

バレーボールが特別好きなわけではなかったが、練習するとサーブやレシーブがそれなりに上手くなり、最初は楽しかった。
しかし、時折、違和感を感じることがあった。
練習試合などで、誰かがミスをすると、ミスをした子が責められる空気があった。
クラブに所属している子ども同士がそうした空気を醸し出しているわけではなく、指導者が選手個人を責めるようなところがあった。
指導者の言動からそういう空気を感じとるたび、私は「一生懸命にプレーしているのに、なぜ?」と心の中で思っていた。

私にとって「事件」が起きたのは、6年生の時だ。
バレーボールのクラブでは、6年生のチームは、上手な子たちで構成したAチーム、それほどでもない子たちで構成したBチームと2チームがあり、私はBチームだった。
ある時、私たちのチームが、年下の5年生のチームと練習試合をして負けた。
指導者は、私たちのチームメイト全員を一列に並ばせ、一人ずつ、ビンタをしていった。

今ならありえないだろうが、
当時は、そういうことが許されていた時代だったと思う。

ただ、小学6年生の私は、「これは間違っている」と強く思った。
負けたのは結果だし、事実だが、ビンタされるのは許せない行為だと思った。そう思うものの、指導者の大人に「間違っている」などと口にすることはできなかった。納得がいかない気持ちを抱えたまま、それをどうしたらいいのか分からなかった。
なんだかんだと理由をつけて次第に練習に行かなくなり、バレーボールクラブはフェードアウトするように辞めてしまった。

「心技体」は、心、技、体の3つがバランスよく整うと、スポーツなどで成果が出るということを意味する言葉だと思う。
小学生の私の心は、このビンタの件で、バレーボールに向き合う気持ち、「心」が切れてしまったのだと思う。

「もっとうまくなりたい」とか「楽しい」とか、「次は勝ちたい」など、競技に前向きに取り組める「心」が無くなってしまうと、「技」を磨く練習に身が入らないし、パフォーマンスに必要な「体」をつくろうという意識も生まれないだろう。

平松洋子・著の「ルポ 筋肉と脂肪はアスリートに訊け」は、アスリートの体(主に筋肉と脂肪)に注目して、相撲の力士やプロレスラー、長距離ランナーなどを取材した1冊だ。
体をつくる食事のメニュー、サプリメント、腸内環境などにも目を向けている。

私が特に興味をもったのは、アスリートそれぞれの食事に対する考え方と、食事をサポートする人のアスリートへの関わり方についてだ。

本書の中で、プロ野球選手・監督として活躍した落合博満氏の言葉が紹介されている。

落合は、自身のスポーツ哲学をこう語る
≪「心技体」ではなく、「体技心」≫
 かねてから日本のスポーツ界では、とかく精神論がもてはやされてきた。根性、粘り、克己、我慢…強い精神こそが結果を生み出すと信じるあまり、身体の声を後回しにする風潮がたしかにあった。しかし「心」はむしろ最後ではないか、と提言する。最優先にするべきは「体」。だからこそ、身体をつくる食事が重要なのだ、と。

本書P259

「勝ちたい」「結果を出したい」という思いを強く持っているアスリートは、その心、根性があるゆえに、身体を酷使しすぎることがあるのだろう。生理がこなくなってしまった女子アスリートのことを報じている記事を読んだことがある。

落合氏の指摘は、「心」を「根性」のように捉える傾向がスポーツ界にあることを問題視しているものだ。

しかし、「心」を「根性」ではなく、選手それぞれを尊重する心だと捉えると、「体」「技」よりも前に優先すべきことだとも思う。

本書8章で紹介されている、公認スポーツ栄養士の鈴木志保子氏は、実業団の長距離選手のほか、車いすバスケなどパラスポーツ選手の栄養サポートも行っている。

鈴木氏のサポートについて、著者は次のように書いている。

数人の選手の面談に同席させてもらいながら、気がついたことがある。鈴木の口調はざっくばらんだが、間合い、声の調子、質問への言葉の返し方が、相手によって微妙に変わる。
気軽に話ができる間柄の若い選手には、ずけずけと評を下す。
(中略)
いっぽう、調子がいまひとつよくないと悩む選手には、同じ立場に立って考える姿勢をとりながらアドバイスを口にする。豪快な人柄だが、鈴木はこうしたほうがいいとは言っても、こうしろああしろと強制して押し付けたり、ねじ伏せたりしない。生活状況にも目配りしながら自分に寄り添おうとする姿勢が伝わってくるから、このひとについていってみようと心が開く。
(中略)

P240 

さらに著者は、障がい者アスリートを慮る鈴木の言葉を紹介する。

「障がいを持つ選手は、栄養や食材のことを気にしつつも、どうしても手近なコンビニを利用してしまいがちなんですよ。それは、コンビニには入口に段差がなく、車いすでそのまま進んでいけるから。入りたい店があっても、狭かったり、階段や段差があれば遠慮してしまう。そういう状況があることも知っておかなければ、現実と離れた栄養指導に終わってしまうんですよね」

P240

選手の身体の大きさや機能、競技中の消費カロリーなどはもちろん、
選手がどのような生活をしているか、食材の調達や調理などの準備を含めて、どのように食事をすることができるかなども含めて知ることから始まるということだ。

著者は、「スポーツの場であっても、なくても、人間同士の信頼関係は、相手の人格を尊重するところから始まる」と指摘しているが、その通りだと思う。

人間関係の中で、相手の状況に目配りし、相手に寄り添う姿勢を保ち続け、細かな変化などにも気が付くことができるだろうか。
誰かに「根性」を求めるようなことはないが、相手を尊重する「心」をどれだけ持てているか。私自身、それほど自信はない気がする。


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