【宣陵散策】君との間の「もやもや」
私はパラスポーツの情報発信をする活動をしているが、選手のご家族やスポーツの指導をされている方から、「なぜ、パラスポーツに関心を持つようになったのですか?」と質問されることがある。
きっかけになったのは、2004年にギリシャで開催されたアテネパラリンピックを観に行ったことだ。パラスポーツについて、ほとんど知らないまま出かけてしまい、最初に観た視覚障害者柔道の選手たちの技の掛け合い、スピード感、力と力のぶつかり合いに驚いた。
「障害者」について、サポートが必要な人というイメージが強くあり、パラスポーツ競技にスピードや力強さ、迫力をイメージできていなかったのかもしれない。
どんな練習をしているのだろう?
どうやって技を覚えたり、上手くなっていくのだろう?
なぜ、これまで知らなかったんだろう?
私の中で、「もやもや」した。
この「もやもや」がなかったら、その後、パラスポーツの情報発信に取り組むことはなかったかもしれない。
知り合いから誘われていなかったら、アテネに行くことはなかった。だから、振り返ってみれば「たまたま」誘われて出かけて見たことが、私のパラスポーツに対する関心を膨らませ、今の活動に繋がっているといえる。
「宣陵散策」(チョン・ヨンジュン著、藤田麗子・訳)は、主人公の僕が、自閉症の青年ドゥウンと一日を過ごす物語だ。
先輩からアルバイトの代理を頼まれ、断りきれなかったためで、僕はこの散策に乗り気ではない。ドゥウンにどのような障害があり、どう接したらいいか。詳しい説明などはされないまま、僕は仕事を引き受けている。このため、僕は戸惑いながら、ドゥウンと一緒に宣陵(ソルルン)を散策することにする。
ドゥウンは辺り構わず、唾を吐き散らしてしまったり、
食堂に入れば、トンカツをわしづかみにして食べ散らかしたり、
大声で騒ぐなど、かなり「やっかい」な存在だ。
僕は、時計を見ながら、アルバイトが終わるまでの時間を気にしている。
しかし、ドゥウンと一緒に歩いて行く中で、彼が公園内に植えられている樹木の名前を正確に覚えていたり、ボクシングの動きが上手にできることを知っていく。それまで知らなかった意外な一面を知るうちに、僕のドゥウンに対する気持ちは変化していく。親近感が増し、彼の表情の微妙な変化を自分が話した一言に反応したように捉え、気持ちが通じ合えたかのように受けとめたりもする。
このアルバイトは、よい形では終わらない。
ドゥウンは怪我をし、僕は、ドゥウンの保護者や、仕事の代理を頼んできた先輩を失望させてしまう。
しかし、僕にとって、ドゥウンと出会い、共に過ごしたことは何らかの変化をもたらしている。「たまたま」の出来事が、主人公の人生の転換点になりそうな予感もする。
僕の中にはドゥウンのことが気になる「もやもや」感が生まれており、その「もやもや」は、ドゥウン対してだけでなく、自閉症やそのほかの障害者、障害者を取り巻く環境に対する関心の芽生えのように思えた。