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ジャーナルの良さが分かってきた
ジャーナルを始めて2か月が過ぎました。最近になって、やっとその意味と効果が分かってきたような気がします。
ジャーナルを始めるまでは、所詮日記だろ、とか、日記なんて小学生以来続いたことがないよ、と思っていました。ましてや、こんなもので人生が変わるわけがないと。
確かにYouTubeには胡散臭いものもあって、それでお金持ちになりました、とか、人生の目標が達成できた、とか、なんとなく商材臭い動画がたくさんあります。私は敢えて、そういうものを観ないようにしていました。
しかし、実際にやってみると無意味ではないし、多かれ少なかれ効果があることも分かってきました。ジャーナルを続けながら何となく感じてはいましたが、それを明確に再確認したのは昨日のことです。
昨日は変な日でした。いつも通り朝4時に起きてルーティンをこなしました。ジムでウォーキングをしている最中も調子が良く、精神的にも研ぎ澄まされた感じがしていて、1日の始まりとしてはとても良いものでした。
しかし、昼過ぎから雲行きが怪しくなってきました。なんとなく鬱々としてくるのです。自分でも原因が分かりません。そうこうしているうちに、夕食の時間になり、あることをきっかけに怒りの感情が爆発したのです。とても些細なことです。これはいけない、と思った私は、そのまま就寝することにしました。
私は確かに短気ですが、1日単位でコロコロ感情が変わるほどお天気屋というわけではありません。それが、この1日は自分でもちょっと異常でした。布団に入っていてとても(精神的に)気持ちが悪く、なかなか寝つけませんでした。
翌朝になって、またルーティンを始めました。ジャーナルを書く時に、前日あったことを全て書き出して、自分なりに夕方の調子が悪くなった理由を考えてみました。翌日になって冷静になって考えてみると、心あたりが3つほど出てきました。
その3つが何であるかは、非常にプライベートなことなのでここには書きませんが、それぞれについて1つづつ対応策を練りました。そして、それをルーティンに組み込んでいく。
ジャーナルには日常なんとなく過ごしている中で、漠然と考えていること、不安に感じていることを曝け出す力があります。他人が読むものではなく、自分だけが読むものなので、隠し立てや綺麗事で覆い隠す必要がないのです。普段気付かなかった素のままの自分が見えてきます。
文字に書くということは、言語化するいうことでもあります。その過程で、自分に何が起きているか、それに対してどうしなければならないのか、どう考えるべきなのかが明確になってきます。自分で自分のコンサルテーションをやっているようなものです。
大抵の課題や問題は、自分の中から解決策を見つけることができます。できなければ、しかるべき人にヘルプを頼めば良いのです。私の場合、そこそこ歳をとってきているので、何が問題かが分かれば、大抵のことは対応策を考え、手を打つことができます。自分のことですから。これが他人のこととなると、そう簡単にはいかないと思います。
ジャーナルで大金持ちになることはないでしょうし、人生の目的を達成できる魔法というわけでもないでしょう。しかし、その人生の過程の中で生じた様々な問題や課題を言語化し、分析し、対策することができるようになります。それだけでも素晴らしい効果があるのではないでしょうか。
放っておくと、ずーっと漠然とした不安とスッキリしない気持ちに悩まされながら人生を送ることになります。それ自体がすでに人生としてディスアドバンテージにあると言っても過言ではないと思います。
人生は様々な荷物を背負いながら谷あり山ありの行程を進むようなものです。ただでさえ多い荷物を、少しでも減らしながら歩ければ、確かに目標に到達する可能性は上がるかもしれませんね。その意味では、あながち怪しいYouTuberたちが言うことも間違っていないのかもしれません。