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繰り返し現れる「富士山」が、引き寄せてくれた古き尊きもの

思い返せば、十一月ごろから、何かにつけて「富士山」と出くわす。

その勇ましい姿を見るだけでなく
ふと手に取った本や、会話や、音楽の中に登場するなど、
視覚・聴覚にやたらと「富士山」が現れてくる。

ことの初めは、十一月二十日に行った日本文化のチャリティイベントにて偶然聞くことになった、能楽 囃子方 大倉流小鼓方の大倉源次郎先生のお話だったと記憶している。

お能の「羽衣」の舞の手本は「富士山」なんです。
富士の山は朝昼晩、四季折々に色が変わる、そのように舞人はお客様を飽きさせないように衣を着替えている、そして私たちのようなお囃子は風の音だったり、鼓や太鼓は打ち寄せる波を表している。

舞いの手本が富士山で、お囃子が風、鼓や太鼓が波の音?!
日本古来の伝統文化であるお能が、自然を手本にしているとは。驚きと共に、当時の方々の感性の豊かさとクリエイティビティに感動した。

日本には、「八百万の神様」という言葉があるように、自然や現象、衣食住など身の回りのさまざまなものに神様が宿っているという自然信仰(アニミズム)を大切にしてきた。

演目「羽衣」がつくられたのは室町時代。この頃も、人間が自然の一部であり、自然と共に生きると言う考え方が根付いていた。だからこそ、富士山を手本にしようと言う発想が生まれたのだろう。

ところで、「富士山信仰」の起源を調べてみると次のようなことが書いてあった。

富士山の信仰は、その美しさからはじまったわけではありません。
富士山が噴火していた昔、そのあまりにも激しく吹き上げる火焔に、当時の人々は怒る神の姿を重ねていました。

参照;世界遺産富士山とことんガイド
https://www.fujisan223.com/reason/faith/originate.html

怒る神の姿、だったのですね。

富士山麓にある富士山本宮浅間大社のはじまりも、荒れに荒れていた富士山を鎮めるためだったとか。当時は、「遙拝(ようはい)」と言って、遠くから富士山を仰ぎ見て崇拝するスタイル。
自然の脅威に対して、人間が祈り、鎮めようとする。このような流れが、歴史の中で何度も繰り返されてきたのですね。

長い祈りが通じて1083年(永保3年)を最後に富士山の噴火活動は収束。そこから、富士山信仰は形を変え、富士山の御神徳を拝しながら登山すると言う「登拝(とはい)」スタイルへと変化してゆく。

東海道新幹線から見た、師走の夕暮れの富士山

こちらは、十二月の京都出張からの帰り道。
新幹線の中から撮影した一枚。

富士山の画角、そして青のグラデーションが美しい空。
まるで浮世絵のようではありませんか。

富士山の浮世絵といえば、葛飾北斎が描く『冨嶽三十六景』が有名。

『富嶽三十六景』の一部

この『冨嶽三十六景』シリーズはとても人気で、図柄は増刷に増刷を重ねるなど、江戸時代の爆発的大ヒットとなる。
その背景には、江戸時代の庶民に流行した富士山信仰「富士講(ふじこう)」の存在があった。

富士講とは、「富士を拝み、富士山霊に帰依し心願を唱え、報恩感謝する」という江戸時代から昭和初期にわたり続いた庶民の信仰。
信仰者からお金を集め「代表」を選び、代表者が富士登山することで皆の祈願を託すシステム(これを”講”と呼ぶ)を導入し拡大した。

当時、山の結界が開放される2ヶ月の間に平均1~2万の人々が信仰を目的とした登拝が行われたと記録がある。
ちなみに、江戸から吉田までは健脚でも片道3日、吉田から頂上までは少なくとも往復2日、合計8日間(運よく好天に恵まれた場合)という超過酷な旅を平均1~2万人がしていたと考えると、富士講の信仰の強さが伺える。

2013年、富士山は世界遺産として登録されたが、その理由は「信仰の対象と芸術の源泉」であった。

信仰というのは、富士講を代表とする富士山信仰のこと。芸術というのは、浮世絵をはじめとする絵画、万葉集などの文学、その他演劇や衣装や工芸品など。富士山は芸術の様々なシーンにインスピレーションを与えてきた

先月、大阪の美術館で観た長沢芦雪の「富士越鶴図」も素晴らしかった。

長沢芦雪「富士越鶴図」
大阪 中之島美術館鑑賞にて

現代画であれば、元旦に SNSで流れてきたこちらが記憶に新しい。

実は、以前この絵と出会ったことがあり、絵の持つパワフルさがとても印象的だった(コロナ禍だったこともあり、とても元気をもらえた)

2022年夏 六本木で行われたヘラルボニーの展示会にて

わたしたちにとっての富士山は、雄大で、美しくて、縁起が良く、日本人の心のふるさとのような存在へと移り変わっていった。
かつての「怒る神の姿」を想像する人はほぼ居ないだろう。

元旦の朝、実家のベランダから撮影した富士山
父もやっぱり富士山が好き

しかし、科学的にも神の怒りが完全になくなった訳ではない。富士山の噴火はいずれ必ず起きるものと専門家たちは言う。かつて、富士山の脅威を鎮めるために人々が祈ったように、未来のわたしたちも遙拝(ようはい)を繰り返す日が来るかもしれない。

そんなことを考えていた矢先、元旦に起きた「能登半島地震」。

こんなタイミングで、あんな大きな地震が来るなんて、誰も、1ミリも想像していなかった。自然災害の恐ろしさと人間の無力さを再び思い知らされた。

次々と流れる被災地のニュースを見ながら、被災地以外に住んでいる多くの人たちは、地震が鎮まるよう、被災地の方々の被害が最小限となるよう祈った。

(もちろん祈るだけではなく、募金をはじめとする復興支援をできる範囲で行っていく)

先月から立て続けに「富士山」に出くわしているわたしは、今回の地震を前に、普段は考えないような想いを巡らせている。

自然の脅威を鎮めるために祈るというのは、わたしたち日本人のDNAに刻まれている行為なのかもしれない

これは、一神教の「神様に願う」とは違った感覚のように思う。
「自然」と「神様」が「ほぼイコール」であり(故に、神様がぼんやりとしている)自然信仰の考え方に極めて近い。

自然の脅威とともに生きているのは、今も昔も変わらないが
一方で、時代とともに変わったこともありそうだ。

人間が自然の一部であるという感覚、自然から学ぶこと、自然を敬う気持ちは、
昔よりも劣ってきているように思う

自然信仰に戻るべきと言うつもりはなく、自然に対する「人間側のスタンス」は見直した方がいい(足並みを揃えた方がいい)ように感じている。
環境保護やSDGsという言葉が浸透したとしても、人のスタンスが変わらなければ(揃わなければ)進みも遅くなってしまう。

人間は自然をコントロールはできない
人間は自然の一部に過ぎない

自然は、壮大で、美しく、時に荒々しい。
守り神でもあり、怒りの神でもあることを忘れてはいけない。

わたし自身、都会暮らしに慣れすぎており、
自然の一部という感覚を持ちづらいことに危機感と焦りを覚えた

たぶん、今のわたしは、自然災害に弱い。弱すぎる。。。

自然と共に生きるために、古来の人間の在り方から学ぶことは多そうだ。

十一月ごろから、何かにつけて「富士山」と出くわしていたことの意味は、
この学びを得るためだったのかもしれない・・・!

なんて、都合の良い解釈をすることに決めた。

富士山のご縁(?)が与えてくれたこの学びを深めるために、
手始めに「古来の人がどのように自然と向き合っていたのか」を知るべく日本の文化や芸術に触れていく所存。

そう決意したとき、YouTubeから「富士山」という美声が聞こえた。

不思議な巡り合わせってあるものですねえ。

みなさまも、こちらの一曲をどうぞ。

この世にあって欲しい物があるよ 
大きくて勇ましくて動かない永遠
こんな時代じゃあ そりゃあ 新しかろう 良かろうだろうが古い物は尊い
ずっと自然に年を取りたいです 
そう貴方のように居たいです富士山

椎名林檎 – 人生は夢だらけ

新しいものが良いとされてきた時代に 見過ごされてしまった「古い物の尊さ」を再認識するタイミングが「今」なのかもしれません。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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