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『Playing Kafka』— “カフカの小説とは、笑いと恐怖のコントだった”と無料で気づけるゲーム。プレイヤー自身が得体の知れないシステムとなり、『審判』や『城』の主人公の運命を操作するかのようなADV

文学とビデオゲームの関係ということでは、数ある古典的な小説家のなかでもフランツ・カフカの小説ほどビデオゲームにインスパイアを与えたものはないように思う。しかし、ここまでの不条理文学の古典となりすぎることで、固いイメージが少なくないだろう。

『Playing Kafka』はそうではなく、「あの小説はよく考えたらコメディとホラーが混ざり合ったコントみたいなものだったのではないか?」と、ビデオゲームの力によってかの古典を再解釈させる力を持つ一作なのである。

そんな再解釈を無料で体験でき、クリアまで約70~90分ほど。終わった後は「いかにカフカがビデオゲームと相性がいいのか」についてを考えさせられるだろう。

執筆 / 葛西祝

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実態の見えないシステムとゲームプレイの相性


カフカ作品がビデオゲームに与えた影響は想像よりも多い。

たとえば未完の小説『城』は寒村の城に雇われた測量師Kがいつまで経っても城の中に入ることができないという奇妙なものだ。日本では須田剛一作品の『シャドウオブザダムド』が、開発のコンセプトにあの小説をモチーフにしていたし、振り返れば探し屋が爆弾を探すADVだが、いつまでも爆弾にたどり着けない『花と太陽と雨と』も近いものだった。

代表作『変身』にインスパイアされたゲームもある。『Metamorphosis』は主人公グレゴールがある日、虫に変わってしまった視点から謎を解くアクションADVになるなど、カフカをモデルにしたゲームは少なくないのである。

ジェーン・オースティンの『高慢と偏見』がモデルになったゲームなど、古典作家の小説をモデルにしたタイトルがないわけではない。だが、なぜカフカに関してはゲーム化が目立つのか?

僕が思うに、カフカ作品で共通する “実態が知れない社会のシステムに翻弄される主人公”ということが大きい。ビデオゲームとはプレイヤーがあるシステムの中で遊び、特にゲームを始めた当初は実態がわからないなにかに放り込まれ、翻弄されるものだからだ。

あなたが神の手となり、主人公を不条理な運命へと導く

『Playing Kafka』とはまさしく “実態が知れないシステムとしての世界”を体感させるものである。『審判』、『父への手紙』、そして『城』を題材にした3つの短編ADVによって、ビデオゲームによってカフカの小説の意味を掘り下げている。

主人公や他のキャラクターをクリックで掴み、他のキャラやオブジェクトにもっていくことで物語が進む。神の視点から人間の運命を操作するかのようだ。

本作は基本的にはポイント&クリックADVといっていいだろう。しかし、細かな演出によって本当にプレイヤーに体験させたい部分は登場人物が何もわからずに不条理な運命に翻弄させられることにある。

まるでミニチュアで出来た舞台演劇のように構成されている。通常はオブジェクトのクリックで調べたり会話したりするところを、本作はキャラを掴んで移動させることで進めるのである。

それはプレイヤーが神の視点となり、罪に問われたり、目的の場所へ行けなかったり、わけがわからずにいる主人公たちの運命をシルバニアファミリーのオーナーみたいに操っているかのようなのだ。このあたりは実際にプレイしてみると人間をハムスターかなにかを持ち上げるかのようで軽く笑えるのだが、同時にえも知れない不気味な手触りもある。

しかも、プレイヤー自身も神の視点でありながらも別におさまりのいい展開にならない。カフカの原作小説を読んでいればそんなわけがないのは明白なのだが、謎がすべて解けましたとか罪はありませんでしたみたいな「悪いことがあったが何とかなってよかったよかった」みたいなことがひとつもない。

『父への手紙』ではカフカとして手紙を書くパズルを体験する。

いわば、神ですらも人間の運命が、この社会の環境のなかで最終的にどこへ向かうのか操作しきれないような感覚だけがある。この体験を通して、『審判』や『城』の原作小説を読んでいるなかでは見えにくかった、実態の知れない社会のなかで右往左往する人間の哀しみとその末路の部分が見えてくる。

ケージのなかにいれたハムスターを観察していると時々、檻のなかに作り上げた環境のなかで奇妙な動きをしてしまうのを見て笑ってしまうようなことがあるが、神の視点であるプレイヤーの目線に晒される『Playing Kafka』の主人公たちもまた、そういう哀しい笑いを抱えている。ただハムスターと違うのが、主人公たちは環境のなかで苛烈な最後を遂げることなのだが。

本作を作ったチェコを本拠地とするCharles Gamesは、これまで第二次世界大戦中の自国とドイツの国境線に関わる、ドキュメンタリー実写ADVを開発するという歴史や時代精神に絡んだゲームを開発してきた

今回、プラハのゲーテ・インスティトゥートと呼ばれる国際文化交流機関と協力して開発が行われた官と産によるプロジェクトであり、一般的なゲーム産業では出てこないようなゲームを多数開発している。今回の『Playing Kafka』も間違いなく普通の市場では出てこないゲームであり、新鮮な体験がある。

そして、不条理文学とビデオゲームの共通項を見出せることだろう。これからカミュといった古典から、現代のさまざまな社会構造によって翻弄される映画や文学の歴史のなかに、どれだけビデオゲームは繋がっているのだろうか?

葛西祝
令和ビデオゲーム・グラウンドゼロ主催。
「ジャンル複合ライティング」というスタンスで、ビデオゲームを中核に映画や現代美術、文学、あるいはスポーツや格闘技なども越境するテキストを作り続けている。
●Twitter:@EAbase887 ●公式サイト
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