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学校の窓ガラスが全部割れていた話 : 大人になって思った事

中学の時の話です。

今思うとまあまあ治安の悪い中学だったのだと思います。

当時はいたって平和に過ごしていましたが、大人になって振り返るとパンチ強いなあと思うことが結構あります。

例えば、

授業中に廊下を複数人が歩き回っている。

やたらと非常ベルが鳴る。

昼休憩に殴りあっている人がいる。

校庭に暴走族が入ってきて、数周して帰っていく。

育てる君が暴れる(前話参照) 等。


当時はすっかり慣れてしまっていたので、エンターテインメントくらいにしか思っていなかったのですが、一度だけ、登校すると学校のガラスというガラスが割れていたことがあります。

一緒に登校した友人も呆然として、

「尾崎豊かよ。」と言っていました。

さすがにこの時は笑いごとではなく、警察も出動して、臨時休校になりました。

その後詳しい犯人の事は教えてもらえませんでしたが、学校に関係のある若者の可能性が高いようでした。


『夜の学校に忍び込んで、ガラスを割って回る。』

想像しただけでもすごいエネルギーと行動力です。

力が爆発する方向性が違えば、何か大きなことを成し遂げたのではないかと思ってしまいます。

当時を振り返ってみて、

生徒のどうにもならない感情の表現方法や向かう先を示せる学校教育だったら違ったのかなと思う一方で、

あの朝割れたガラスを拾っていた大人の姿を思い出すと、

全部綺麗ごとのような気がして何も言えなくなってしまいます。


学校教育の何が正解なのかは私には分かりませんが、

大人になって分かったのは、大人も一生懸命生きているということです。

泣きたい日もあるし、仕事に行きたくない日もあります。

ワーッと叫んで、書類を全部投げたくなる時もあります。

それでも大人という仮面を被って、一生懸命生きています。


改めて読み返した尾崎豊の歌詞が心に染みました。


”卒業して いったい何解ると言うのか

想い出のほかに 何が残ると言うのか

人は誰も縛られた かよわき子羊ならば

先生あなたは かよわき大人の代弁者なのか

俺たちの怒り どこへ向かうべきなのか

これからは 何が俺たちを縛り付けるだろう

後何度自分自身 卒業すれば

ほんとうの自分に たどり着けるだろう”

(尾崎豊「卒業」から抜粋)















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